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僕が書く初めてのライナーノーツ。Yo La Tengo Live@恵比寿ザ・ガーデンホール

Can’t wait!

直訳すると「待つことができない」だが、しばしば「楽しみだ」と訳される。ライブ開始前の恵比寿ガーデンホールにも、たくさんの「Can’t wait!」が渦巻いていた。

僕の隣にいた男は、いち早く待ちきれない衝動を行動に移していた。さきほど物販で買ったと思われるYo La TengoのCDを鞄から取り出し、包装されたフィルムを剥がした。30歳前後だろうか。

紙ジャケからCDを取り出し、この場で聞けるわけでもないのに、まじまじと眺める。表も裏も食い入る様に見つめた後、今度はライナーノーツを取り出した。アーティストの紹介や作品の解説が書かれた、主にクラシックや洋楽のCDに付随した、ペラ1枚。薄暗い会場で、ライナーノーツと顔を引っ付きそうな程近づけて読む彼を見て、僕は10代の頃を少しだけ思い出した。

ライナーノーツを読むことが、何より楽しみだった。だから必ず、洋楽のCDを買う時は、輸入盤ではなく、国内盤を買った。輸入盤には、ライナーノーツが付いていなかったからだ。洋楽CDは国内盤が2500円、輸入盤は2000円という、当時は謎の決まりがあった。高校生の僕にとって、プラス500円は大きな出費だったが、他に代え難い最大の楽しみだった。

洋楽を聞き始めた頃は、ライナーノーツを読んでも意味が全くわからないものが多かった。他アーティストとの比較や関わりを綴った内容が多く、そもそもその他アーティストを知らない僕にとって、何の情報にもならないものだった。

でも、洋楽を聞き始めて半年くらい経った頃だろうか。急に、本当にある日突然内容が理解できるようになった。それなりにアーティストの名前や楽曲を、知識として身に付けたからだと思う。そうなると、ライナーノーツは僕にとってビックリマンチョコのシールと化した。CDを聞くこと以上に、解説を読むことが楽しくなってしまったのである。読むたび、アーティスト同士が繋がる。同時に、世界が広がる様な気がした。富士山麓の閉鎖された田舎町、低く垂れ込めた厚い雲の下で、ライナーノーツをセコセコ読みながら、音楽に乗って擬似世界旅行に明け暮れる高校生活を過ごした。

大学に進学して出会ったイシイは、あっさりと言った。

「輸入盤しか買わないよ。その方が1万円で1枚多くCD買えるし」

ごもっとも、である。僕がライナーノーツを読むことが好きだ、そう話すと、

「あれに書いてあることなんて、知ってることばかりじゃん。意味ないよ」

185cmを超える長身から僕を見下ろし、そう一笑した。

イシイは授業中以外、いつもイヤホンで耳を塞いでいた。僕らと一緒にいるときも、ずっと何かを聞いていた。バイトは個人のCDショップと、大手レンタルビデオ店を掛け持ちしていた。常に音楽と共に生活したいから、というのが彼の言い草だった。完全なミュージックジャンキーだった。

ある時、オススメを教えてよ、そう言った僕に、授業後、1枚のルーズリーフを渡してくれた。そこには20組くらいのアーティストとアルバム名がびっしりと羅列されていた。ショックだった。1組のアーティストも知らなかったのだ。

「何枚か、貸そうか?」

イシイからの申し出を丁重に断り、そのままタワレコへ向かうと、リストの一番上に記されていたアーティストのアルバムを買った。

Yo La Tengoの『ELECTR-O-PURA』というアルバムだ。

なぜイシイからCDを借りなかったのか。もちろん、ライナーノーツが付いていないからだ。買ったCDを、店を出てすぐのベンチに座って開け、ライナーノーツを読んだ。今まで僕が聞いてきた、比較的メジャーなアーティストとは立ち位置がだいぶ異なることがわかった。なぜなら、そこに挙げられた比較アーティストたちの名前をほとんど知らなかったからだ。

チャリでダッシュ! 下宿先まで帰り、早速音源を聞いた。

感想は、なんだこりゃ。

変幻自在。静寂。獰猛。雑多。多彩。

狂ってる。中でも『Blue Line Swinger』という曲は圧巻だった。平坦な電子音を打ち消すドラム、まるで口笛を吹く様にそっぽを向くギター。突然思い出した様に響くギターリフ。そこから一気にノイズを含んだハイライトを迎える。9分を超えるその曲は、その曲を聞く前と後とで、僕の中の何かを明らかに変えてしまった。

その影響で「My Bloody Valentine」「The Velvet Underground」「Mogwai」など、今まで聞いてこなかったジャンルのバンドに傾倒していった。たった1枚、たった1曲。多感な10代後半のピュアなハートを撃ち抜くには、十分すぎる刺激だった。それから僕はYo La Tengoを四半世紀以上にわたって聞き続けていることになる。

彼らが来日するたび、ライブも体験した。毎回スペシャルな演奏をおこなうことに間違いないが、あの曲だけは、僕の運が悪いのか、聞いたことがなかった。

今回の日本ツアー、東京、名古屋、大阪と全てチケットはソールドアウトしている。今夜のステージは急遽決定した追加公演だ。インディレーベルでありながら、多くのファン層を獲得しているのは、Yo La Tengoのジャンルレスな幅広い音楽性によるものだと解釈している。

この日のライブも、最新アルバムからの楽曲を中心にしつつも、ポップ、フォーク、ジャズ、ロックと、異なるジャンルの名曲を随所に散りばめたセットで構成されていた。体育館然とした、極力装飾の控えられたこのホールが、曲ごとに違った色彩で塗りつぶされていく。

そして。

ライブも終盤に差し掛かる頃、聞き覚えのある電子音が聞こえてきた。部屋の中で、車の中で、外出中のヘッドフォンから、数え切れない程聞いたイントロだ。その音は、まるでUFOがフラフラとさまよう様にホール内に響く。

ドゥ・ダ・ドゥ・ド・ダン!

続いてドラムの音がそのままカタカナ文字となって会場を震わせる。

ドゥ・ダ・ドゥ・ド・ダン!

まつ毛が、ウーファーを通して唸る低音に振動しているのがわかる。

UFOにその波形を合わせるように、気まぐれなギターがステージの隅っこで鳴り始める。

ああ、Blue Line Swingerだ。初めて。初めてライブで聞けるのか。

そこから先のことを、僕は正直、あまり正確に覚えていない。ただ、これから書き綴ることが僕の経験した全てであり、記憶の全てでもある。嘘は一切、書かない。

その曲が終わるまでの10分程度の間に、僕は3回ほど笑って、2回ほど泣いた。ステップを踏んで体を揺らし続けたし、ステージで躍動する3人を凝視し続けてもいた(Yo La Tengoは3ピースバンドだ。ギターとドラムは夫婦でもある)。10代の青臭いハートに戻って酔いしれていた気がするし、40代のおじさんとして単に懐古的に聞いていた気もする。

ギターリフが鳴ると、UFOは消え、代わりにベースが太い音で曲の骨格を成す。ギターは自由度を増し、最初の音を休符にしたり、1拍の中に音を2音詰め込んだり、楽しそうに踊り始めた。ベースとドラムは規則正しいリズムを刻み、同じフレーズが繰り返されていく。優しく語りかける様な旋律だ。心の中でぐちゃぐちゃに絡まって、もうほどけないと諦めていた「何か」が、僅かだけど緩む気がした。

繰り返されるリフが、ゆっくりと、ゆっくりと昂まっていくのがわかる。音が少しずつ熱を帯びる。それは会場全体に伝搬し、僕はデニムシャツを脱ぎ、腰に巻きつけた。

同じフレーズを繰り返すことの限界を超え、音が8ビートに変調してなだれ込む。都心部で速度制限の中で低速運転していた新幹線が、品川を抜けてギアを一段上げたあの感じ。会場が開放感に包まれる。甲高い歓声があちこちから上がった。

CDを開けた彼は、笑顔で天井を仰いでいた。右隣の女性一人客は、明らかに泣いていた。少しだけ上向きで。僕も天井を見上げた。僕らが見上げた先にあったものは、無機質な黒い天井なんかじゃなかったはずだ。色とりどりの音の結晶が、キラキラと舞っている。瞬きするたびに形を変えて、僕らはその刹那、同じ万華鏡を見ていた。

ギターがさらに加速する。

あー、始まっちゃった。ぐちゃ弾きだ。

ギターのアイラは長い手足を折り曲げて、文字通り「く」の字になって、可能な限り低い位置でギターを掻き鳴らす。それでも長い手足が邪魔なのか、背中を思い切り丸めて、膝よりも低い位置でギターを弾く。埋められた大切な何かをギターで掘り起こしている様に見える。

深く掘った穴から、何発もの音のミサイルが発射される。ぐちゃ弾きの音のつぶてがホール全体に降り注ぐのを、体全身で浴びる。

ノイズに近いミサイルは、青龍のいななきとなって響き、ホールごと、どこかここではない別の場所へ連れて行こうとしている様だ。振り落とされない様に僕は足に力を込めた。演者も聴き手も、リミットが振り切られた。制御不能。

真っ白になった世界で僕らはどこへ向かうのか。どこかで僕らを呼ぶ声が聞こえる。混沌とした音の渦の中で耳を澄ますと、それは規則正しく進むべき道を示している。ベースと、ドラムだ。そのリズムに従って、ギターが蛇行しながらも軌道修正を始めた。狂気から正気へ。あの美しいギターリフが再び繰り返され始めた。カタルシスに包まれる。隣も前も後ろも斜めの客も僕も、皆一斉に大きく深呼吸した。

心の中の絡まった「何か」は、それごとどこかに消えてなくなってしまった。僕はぬるくなって炭酸の抜け切ったビールを喉に流し込んだ。

誰かに、伝えたい、そう思った。この瞬間を。それが誰の何の役に立つのか、わからない。でも、僕の様に、ライナーノーツ(文章)と音楽を常にリンクさせて楽しむ変わり者もいるかも知れない。アイラも、元は音楽ライターだったそうだ。僕にとって今夜の演奏は、彼の自筆のライナーノーツだ。

書いてみよう。下手くそでもいい、自分の見たこと感じたこと、思ったことを書いてみよう。僕にしか書けないライナーノーツがあるかも知れない。

ライブからの帰り道、久しぶりにイシイにLINEした。彼とは今でも年一程度に連絡を取り合っている。話す内容は、もちろん、音楽について、のみだ。

Yo La Tengoのライブに行き、あの曲も演奏したことをシンプルに伝えた。

すぐに返信があった。

「おー、俺の一番好きな曲!」

僕にとってもそうさ、昔、君に教えてもらったんだよ。ありがとう。

「いつ? そうだっけ?」

もう、27年も前のこと。僕ははっきりと覚えている。

今夜、その思い出がまた少し、青味がかって色濃くなった。

文/渡辺 拓朗

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