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アレもコレも資本主義のしわ寄せだったの?『あなたのセックスが楽しくないのは資本主義のせいかもしれない』

「資本主義のしわ寄せは、圧倒的に女性のほうが受けやすい」。そんな本書の主張を読んで最初に思い出したのは、実家の雛人形だった。

座らずに、すっくと立つ男雛と女雛。実家の雛人形は立ち雛だった。友達の家では座っているお雛様しか見たことがないし、売り場でもほとんど見かけないから、わりあい珍しいと思う。自立した女性になってほしい、結婚や出産で仕事を手放さないでほしい。そう願いを込めて、母は私と妹のためにわざわざ立ち姿勢の雛人形を買い求めたという。幼少期から事あるごとに聞かされていた。小さい頃はふーんという感じだったけれど、大きくなるにつれ分かるようになった。それは男性の稼ぎに依存して生きていくことに窮屈さを感じていた一人の女性の、ささやかながら切実な祈りだったのだと。だから私は、どんなことがあっても仕事を続けようと、心に決めていた。

本書は資本主義システムの問題点を、女性の視点で浮き彫りにしているところが新しい。貧困の割合は、世界的にみても男性より女性のほうがはるかに高いという。景気が悪化すれば、まず煽りを食うのは女性。これは、コロナによるパンデミックで女性が人員削減の対象になっていることからも明らかだ。
本書によると、資本主義は、シスジェンダー(生まれたときに割り当てられた性別と本人の性自認が一致している状態)の女性による無償労働を肥やしに成長する経済システムだという。女性が家で無償のケア労働に従事すれば、政府の公的支出が減り、高所得者の税金が減る。資本主義の労働市場において、そもそも女性は歓迎されていなかったのだ。

「女性の経済的自立を促すには社会主義の政策をいくらか取り入れることが有効だ」と、ロシア・東欧学を研究する著者は提案している。20世紀の東ヨーロッパなどの社会主義国は男女平等を建前としており、政府が女性のキャリア形成支援に力を入れていたという。

例えば、1954年にブルガリア政府が制作した短編映画『私はトラクター運転手』のなかでは、男性的とされていた仕事で活躍する女性たちが映し出され、女性リーダーが「ブルガリア人女性は望めば何にでもなれる」というメッセージを送っていたそうだ。社会主義に対して、私はこれまで不自由なイメージしかなかった。もちろん、著者も過去の独裁的な政治体制については真っ向から否定している。ただ、丁寧に歴史を紐解けば、女性の解放につながるヒントがたくさん詰まっていることが分かる。
社会主義国家では、私的領域の極みといえるセックスの満足度まで向上するという。これについてはデータがあり、旧東ドイツ(社会主義国)と西ドイツ(資本主義国)を比較したとき、旧東ドイツの女性のほうがセックスで感じる喜びがはるかに大きかったそうだ。女性が経済的に自立していた社会主義国では、男女の関係が対等であることが多分に作用しているらしい。

一方、資本主義社会で育った私はどうだったか。
毎年立ち雛を愛でて大人になった私だが、いざ社会に出てみると女性が働くことの厳しさを痛感する。今は都内でひとり暮らしをしているが、家計のやりくりは悩ましい。実家が東京にあるため、勤務先から家賃手当の支給はない。給料の大半を家賃と光熱費で持っていかれる。それでも、自分の足で立つことから得られる自信は大きな支えになっている。だから実家に戻ろうとも生まれ育った東京を離れようとも思わない。

ただ、やはり男女の賃金格差やガラスの天井を感じる場面も多かった。

私は35歳のとき、12年勤務した大手金融機関を退職した。総合職だったけれど、キャリアが描けなくなったことが大きな理由だ。シングルだと何の支障もなく自由に働けるように思われるかもしれないが、実際はそうでもない。例えば、給料がぐんと上がるマネージャー職に就くには営業に出ることが必須だ。そもそも女性が少ない部署で、当然のように女性のマネージャーはいなかった。営業チームはベテランの中年男性で占められていて殺伐としている。その環境に身を置き、法人顧客と億単位の取引をする自分の姿が想像できず、チャレンジできなかった。目をかけてくれた女性の先輩も、マネージャーになる手前で踏みとどまっていた。女性のロールモデルの不在が関係していたように思う。

男女別の給与テーブルがあるわけではないのに、男女の賃金格差は開いていく。本書では、女性のリーダーを増やすための策として、クオータ制を挙げている。人種や性別などを基準に一定の比率で人数を割り当てる制度だ。政治やビジネスの場で活躍する女性が増えれば、世代を問わず多くの女性たちを勇気づけられるように思う。

こういった取り組みは、女性のためだけではないだろう。女性が今以上に経済力をつければ、男性の経済的な負担も軽くなる。男性だからという理由で高収入を期待されるのは平等といえない。
この不均衡な社会をならすためには、どうやら今の経済体制では難しそうだけれど、資本主義と社会主義のいいとこ取りで、お金や生活の心配が減る可能性があるのなら……。政治や経済の過去と今を学び、未来に希望を持てるようになった。
誰かに伝えたい。読み終えたあと、人に会い、この読書体験をシェアしたくてたまらなくなった。こんな経験は初めてかもしれない。

半年ぶりに会った友人との食事の席。パスタとピザを食べ終えると、私はバッグから本書を取り出し、ブックカバーを取った。突飛なタイトルに少しばかり驚く友人を前に、さもプレゼンするかのように話し出す私。「政治家になったら?」と言いながらも、友人は関心を寄せてくれた。

そうそう、と友人は学生時代に所属していたゼミの話をしてくれた。彼女のゼミの教授は近現代の日本文学におけるジェンダー言説を研究されていた方で、そこで学びたいがために大学を選択したのだという。初めて知った彼女の一面。
次世代により良い未来を残したいね。練乳入りの甘いコーヒーを飲みながら、ちょっと真面目に、楽しくおしゃべりをする。女性の生き方は永久のテーマだから、本書を読んでみるとも言ってくれた。今度会うときは、きっともっと話さずにはいられない。

読んだ本について、友人に話すこと。私が起こしたのは、ほんの小さなアクションだ。だけどこうした一市民の行動こそ政治の起点であるはずだ。

「政治的なことは、個人的なこと」この一文から実家の立ち雛を思い出し、政治と生活がいかに密着しているかを実感する。記憶のなかの、凛としたお雛様の佇まいに励まされ、背筋がしゃんと伸びる。

文/大塚 吏恵

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