記憶がリロードされ、心のひだがゆさぶられる。民族楽器奏者ロビンさんの『幸せに長生きするための今週のメニュー』
本書は民族楽器奏者であり詩人のロビン・ロイドさんと、僧侶でイラストレーターでもある中川学さんの3冊目となる詩画集だ。季節の移ろいや日常の瞬間を切り取った詩が日本語と英語で表記されている。
本を手に取って驚いた。装丁がまるでノートなのだ。
背表紙もなく、カバーも帯もない。本棚に並べておくより、手帳やメモ帳と一緒にいつも持ち運びたくなる。触り心地がよく、気づけば指が勝手にページをパラパラめくっていた。目に入ってくるのは、素朴だけどハッとする手描きのスケッチの数々だ。鴨川など一目で京都とわかる風景や、ふとした生活のワンシーンに思わず手が止まり、書かれている言葉を眺める。
すると、私はあっという間に連れていかれる。
それは、いつか読んだ本の中だったり、幼い頃の通学路だったり、ちょっと先の理想の暮らしだったりする。まるでワープするかのように、昔の記憶やまだ知らない世界に連れていかれるのだ。
たとえば、詩画集はこんな詩で始まる。
“今一瞬だけ音を消して、
耳を澄まして!
季節が変わるところだから・・・““Be silent for a moment~
Listen!
The seasons are changing…”
私は、以前子どもによく読み聞かせていた『もりのなか』という絵本の世界に飛んでいった。森の中を一人の少年がラッパをふきながら動物たちと行進する。かくれんぼをして遊んでいると、お父さんが来て、気づいたら動物たちはいなくなっている。そんな話だったと思う。私はその少年になりきって、森の中で一人、一生懸命、耳を澄ましていた。と同時に、布団にもぐりこんだ子どもから、「早く読んで!」とせがまれた、あの頃の記憶もよみがえる。そして、今は思春期を迎えるその子との関係をしばらくの間、たどり直す。
どの詩も、こんな感じなのだ。私の記憶がリロードされ、心のひだがゆさぶられる。
***
著者のロビンさんについても話したい。
私がロビンさんと初めて会ったのは、ある小さな島で開催されたキャンプだった。頭にターバンのような帽子をかぶったひょろっとした長身の男性が、太鼓をたたきながら出迎えてくれた。「Welcome to the Island!」。そう微笑んだ人が、ロビンさんだった。
ロビンさんは島でワークショップを開いていた。会場には、どんぐりの実や木の枝、竹の筒、貝殻など、のものがずらっと並ぶ。「好きなものはどれ? どうやったら音がでるかな?」。ロビンさんのいたずらっ子のような目に促されて、集まった子どもや大人は、気に入ったものを手に取っては、振ったり、棒で叩いたり、足踏みしたり。踊りだす人もいた。どんどん熱気が高まって、あっという間に即興音楽会となった。
民族楽器の素材は木や動物の皮や骨、石、貝、実などだそうだ。くりぬいた木にヤギ皮を張ったり、実をカチカチ鳴らしたりして音を奏でる。決まったリズムや旋律はなく、一つとして同じ音楽はない。音楽のルーツは自然であり、音楽はその人の心の中に流れている。そんな話を聞かせてもらった。
夜はみんなで山歩きをした。真っ暗な山の中をロビンさんの太鼓の音を頼りに歩く。寝転んで夜空の星を眺め、アフリカの子守歌を歌った。初めての経験なのに、どこか懐かしくてうっとりする時間だった。
ロビンさんはアメリカの出身で、日本に来て35年。京都に長く滞在していたが今は神戸に住んでいる。アフリカン音楽をはじめ世界の民族音楽に精通し、カリンバ、尺八、琴などさまざまな楽器のマルチプレーヤーとして名高い。50カ国以上を旅し、出合った原生林や熱帯雨林、砂漠、山や川、鳥の声などの自然からインスピレーションを得て演奏する。子どもや老人、障害のある人への音楽療法も長い間続けている。
そんなロビンさんと私は時折、食事をご一緒している。家が近く、カレー好きという共通点があることがわかり、お気に入りの店を紹介しあったのがきかっけだ。なんとロビンさんは、携帯電話を持たずメールも使わない。だから、次に会うにはその時に約束するか手紙を出すしかない。「こんな便利な時代なのにごめんね。でも、一人ひとりの人や一つひとつのものと向き合う時間を大切にしたいから」と、またニヤッと笑う。
当時私は、ライターの仕事を始めた頃だった。それを知ったロビンさんは時々、執筆のお手伝いをさせてくれるようになった。ロビンさんは言葉の選択にとても慎重で、ぴったりの言葉が見つかるまで、私と何度も会って話し合う。「余計なことを伝えたくないから」「どう感じるかは読む人にゆだねたいから」。そんな想いで一緒に言葉を探し、そぎ落としていく。「もっと短く」「本質はどこにある?」。
こんな丁寧な作業を私はこれまで誰かとしたことがなかった。この時間が毎回楽しく、興奮した。と同時に、私にとってはとてもチャレンジングな作業でもあった。考え込んで難しい顔をしていたのだろう。ロビンさんは茶目っ気たっぷりにいつもこう言った。「no stress」「no rush」「for anything we can share together」。プレッシャーに感じないで。これは急ぐ必要もない。共同作業だよ。自分の書きたい気持ちを大切にしたらいいのだから。
私はキャンプの夜に聞いたアフリカの子守歌を思い出していた。ロビンさんと話していると、はっきり何かはわからないのだけれど、何かが変わるのだ。時間の流れがゆったりする。その場が静かに感じる。安心する。そして自分を大切に感じられる。そうか! ひょっとしたら、ロビンさんの言葉や詩は、ロビンさんの中に流れているアフリカン音楽そのものなのかもしれない。
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最後にもう一度、冒頭の詩のことを。
“今一瞬だけ音を消して、
耳を澄まして!
季節が変わるところだから・・・”
季節が変わる瞬間の音って本当にあるのだろうか? もし、あるのなら聞いてみたいな。この詩画集を時々手にとって眺めていたら、いつかそんな音に気づけるようになるかもしれないな。そんな気がした。
文/市橋 かほる
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