自分の見たものが全てじゃない。それを知るために対話を重ねる。『目の見えない白鳥さんとアートを見にいく』
以前、夫とこんな会話をしたことがある。
夕飯の準備をしていたときのこと。その日は丼ものを作ろうと思っていたので、近くにいた夫に「丼にご飯をよそってもらってもいい?」と頼んだ。
我が家には形の違う丼がふたつあるが、誰がどちらを使うかは明確に決めていなかった。すると夫が、どちらを自分が使っていいか、と尋ねてきた。自分が使う丼に、ご飯を大盛りにしたいらしい。
「大きいほうを使っていいよ」と答えると、夫はなぜか「小さいほう」に山盛りのご飯をよそい始めた。「え、それ小さいから私が使うよ」と慌てて言うと、夫はキョトンとした顔で「だってこっちのほうが大きくない?」と答えた。
夫は、私が「小さいほう」だと思っていた丼のほうが深さがあり、ご飯がたくさん入るのだと言う。一方私は、パッと見の丼の直径の大きさで、「大きい」「小さい」を判断していた。
私は、夫が自分と同じ認識でいると思っていた。なので、「小さいほう」のほうが大きいと主張する夫にちょっと困惑したしムッとしたので、不服に思う言葉を一言二言、投げかけてしまった。同じような生活をしていても、自分とは見ている世界が違うのだ、と少し寂しくなった。
思い返せば、夫に限らず、似たようなことは何度かあった。それまでの私は、相手に自分と同じ認識を持ち、同じイメージを共有していてほしいと思っていた。近しい相手ならなおのこと、その要求は強くなる。相手に自分の考えていることを正確にわかってほしいし、自分も相手の考えていることを正しく知りたい。そうすることが大事だと思っていた。
だから、物事の捉え方にすれ違いがあったり、正しくイメージが共有されていなかったりすると、分かり合えないと感じてがっかりしたり、不満に思ったりした。ときには相手にその不満をぶつけてしまうこともあった。
そんな、分かり合うことへの執着を持っていた私が出会ったのが、『目の見えない白鳥さんとアートを見にいく』だ。
2022年のYahoo!ニュース|本屋大賞・ノンフィクション本大賞を受賞したこの作品。著者の川内さんと全盲の美術鑑賞者・白鳥さんが、友人たちとともにさまざまな美術館をめぐる様子が書かれている。
目の見えない白鳥さんがアートを「見る」方法、それは同行者から、目の前にあるアートのイメージを言葉で伝えてもらうことだ。著者の川内さんをはじめ、同行者たちはそれぞれに自分の視点で見えたものを白鳥さんに説明する。知識や興味の有無、物事を見る角度によっても、見えているものは異なる。同じアート作品を見ても、出てくる言葉は本当に人それぞれだ。
どんなに説明したとしても、白鳥さんと同行者の頭の中のイメージが全く同じになることは、おそらくない。けれど、それでもいいのだと著者の川内さんは言う。そのことが、「分かり合うこと」に執着していた私にとっては衝撃だった。
そのアートの正しいイメージを白鳥さんと共有することがゴールではないし、お互いの頭の中を分かり合うことが全てではない。白鳥さんと美術鑑賞をするときに大事なのは、わかること・わからないことも含めて、アートを見ながら対話をし、互いにコミュニケーションを取り合うことなのだ。
対話をして、他人の言葉を聞くことで、それまで見えていなかったものが見えてくる。同じものを見ても、自分と全く違う捉え方をする人がいることを知る。対話をしながらアートを見ると、一人で黙って見ていたときとは違った発見があるのだ。
今・ここ・自分にしか見えない世界。それを共有するために、白鳥さんたちは対話を重ねながら、一緒にアートを「見る」ことを続けている。アート鑑賞は、互いの持つ世界や視点を共有することでもあるのだ。
面倒くさがらずに対話をすること。そして、完全に同じものを想像できなくても、見えているものを共有し合って、お互いの見ているものを理解しようと努力すること。
これは、白鳥さんの美術鑑賞に限らず、人間関係の築き方そのものにも通じるのではないだろうか。相手に自分の視点から見えたものや考えたことを伝え、同じように相手の視点を知ろうと対話を重ねることが大事なのではないかと思う。完全に分かり合えなかったとしても、それを不満に思ったり悲しんだりする必要はないのだ。正確にイメージを共有し合うことが、ゴールではないのだから。
本を読んだ後、冒頭の夫との会話を思い出した。同じ認識を共有していないからといって、不満げな態度を取ってしまったことを反省した。夫は夫で、自分の視点からものを見ていただけなのだ。自分の視点から見えたものが全てじゃない。そう痛感した。
分かり合えなくてもいい。そう知っただけで、心が軽くなった。これからは、もっと周りの人たちといろいろなものを見て、たくさん話して、それぞれに見えている世界を共有し合いたい。正しいイメージを共有するためではなく、お互いの世界を広げるために。
文/羽石 友香