検索
SHARE

『Dr. Bala(ドクター・バラー)』ポレポレ東中野・初日上映&舞台挨拶レビュー 一人ひとりの熱が世界を動かしていく

エンドロールの音楽が鳴り止む。割れんばかりの拍手が起こる中、ドキュメンタリーの主人公 大村和弘医師、コービー・シマダ監督、プロデューサーの馬詰正さん、そしてCORECOLORのメンバーで医療ライターの安藤梢さん、CORECOLOR編集長 佐藤友美(さとゆみ)さんが登壇し、初日舞台挨拶が行われた。

『Dr. Bala(ドクター・バラー)』は、東南アジアへ赴き医療ボランティアを続ける医師、大村和弘先生の活動を12年もの間、追い続けたドキュメンタリー映画だ。世界各国の映画賞でノミネートや受賞が続いているが、日本では配給がなかなか決まらず苦しい状況が続いていた。

大村先生への取材がきっかけでこの映画に出会った医療ライターの安藤梢さんが、映画に惚れ込み、応援したいとCORECOLORで記事を書いた。映画の素晴らしさに心を動かされた2人は、すぐにマスコミ関係者も招待しての上映会を企画した。2022年12月のことだった。私も、福岡からこの上映会に参加した。ちょうど東京へ行く日程と重なっていて、CORECOLORの記事を読んで面白そうだったから、という軽い気持ちだった。

――すごい映画を見てしまった。

ライターらしからぬ言葉なのだけれど、映画を観終わった時の気持ちは、それだった。私の知らない世界で、今も現在進行形で起こっている東南アジアの医療現場の現実。とてもじゃないけれど、軽い気持ちで観られるものではなかった。

大村先生はミャンマー、ラオス、カンボジア、タイと東南アジアの国々を巡り、自身の医療技術を現地の医師へ教える活動を行なっている。技術を教えるのは難しい、労力も時間もかかる。でも、大村先生は「外科医として自分の国の患者さんたちを治すという誇りを持って欲しい、自分はそのサポートをする」と決めていた。

大村先生が東南アジアに行けるのは、1年のうち、夏休みの7日間だけ。活動を続ける中で、他の日本人医師たちも賛同しボランティアに参加する医師が増えた。さらには、東南アジアの医師が日本の病院に勉強に来られる制度も作った。いろんな人を巻き込み、情熱は伝播する。

たった1人の熱い想いは、ここまで大きくなっていくのかと心が震えた。

もしかすると、私はボランティアに対して大きな勘違いをしていたのかもしれない。ボランティアは、長期的に関わらないといけないとか、特別なスキルがないとできないのではないかとか、そんな風に思っていた。でも、映画の中の大村先生を見ていると、自分のペースでいいからとにかく継続すること、そして何よりも自分が楽しむことが大事なのだと感じた。

7日間の滞在を終えて帰国する車内で大村先生は「あー、今年もご褒美終わっちゃったなー。また1年頑張らないと。」と言った。大村先生にとって、これはもはやボランティアなんて言葉では収まらない。まさに自分のやるべきライフワークで、特別なことではないのだ。

私はなんてちっぽけな世界で生きているのだろう。知らない、できない、いろんなことを決めつけて、思い込んでいるだけだ。気づいていないだけで、私にもできることがあるかもしれない。『Dr. Bala(ドクター・バラー)』を観たことで、自分自身を、そして世界を、見る目は間違いなく変わった。

上映会の終了後、小さな会場に大きな拍手の音が響き渡り、長い間止まなかったあの瞬間を今でも鮮明に覚えている。

コービー監督をはじめ、たくさんの方の地道な活動の末、『Dr. Bala』は今年の2月に沖縄のシアタードーナツ・オキナワで劇場公開された。そして、4月29日からポレポレ東中野で公開が決まったと聞いた時、なぜか私は行かなくちゃいけない、と感じた。理由はわからないけれど、もう一度観ないと後悔する。そう思ったら居ても立ってもいられなくなって、再び福岡から東京まで来た。映画を観るためだけに。

映画館の大きなスクリーンと5.1chサラウンドの中で観る『Dr. Bala(ドクター・バラー)』は、まるで映画の中に自分も入り込んでいるような、リアルさを感じて没入できた。同じ映画を観ているのだけれど、1度目の時とはまるで違う感情を抱いた。まるで別の映画を観ているような、そんな感覚だった。

2度目の『Dr. Bala(ドクター・バラー)』は、スクリーンに映し出される人々の笑顔がとても心に残った。大村先生をはじめ医師、スタッフ、患者、村の人々まで笑顔で溢れている。自分がやったことで、人が笑顔になり豊かになってゆく。それがどんなに幸せなことなのか、答えは、映画の中にあった。

私にできることはなんだろう、むしろできることなら何でもしたいと思った1度目の上映会。でも、実際のところは思ったというだけで、何ひとつ行動には移せていなかった。2度目のエンドロールを眺めながら、私にできることは「書く」ことだ、書くことで誰かの力になりたいと思った。

公開の知らせを受けた時、行かなくちゃいけないと感じたのは、きっとこの気持ちに気づくためだったんだ。書くことでも、誰かの熱量を届けられる、誰かの役に立てる。

私は、誰かの熱い想いを書くことで、その熱量をつなぎ、紡いでいきたい。

私と同じように2度、映画を観た人は私の周りだけでも5、6人はいる。その中の一人が、「『Dr. Bala(ドクター・バラー)』はドキュメンタリーなのだけれど、映画を観ながら自分を見つめ直しているような感覚になる。まるで『内観』のようだ。だからきっと何度も観たくなるのかもしれない」と言った。

上映後、サイン会に並ぶ長蛇の列

お子さんと一緒に参加した友人は、上映終了後のお子さんの様子を見て、「今自分が見ている世界をはるかに超えた現実があると意識することで、生き方が変わるのではないか」と話した。

別の友人も、映画を観た翌日に早速お子さんを連れて2度目の映画に行ったそうだ。

「生きる、ってなんだろう」

「ポジティブに前を向いて行こうと思った」

「今まで、何をやっていたんだ、私」

映画を観た人たちの口々から出てくる言葉にも力が宿る。『Dr. Bala(ドクター・バラー)』という映画が、観た人の心を大きく動かしている。

舞台挨拶で、ある方が、大村先生は国内外の医師たちにどのように技術を教えているのかと質問した。すると、大村先生は「若手の医師に将来どうなりたいのか聞くと、手術が上手くなりたいと答える医師が多いんです」と話をはじめた。もちろん技術も大事なのだけれど、本当に大事なのは「その技術を持って、自分は何がしたいのか明確にあること」だと言う。

手術が上手くなるというのは、あくまで手段であって目的ではない。だからこそ、手術が上手くなったその先のビジョンを後輩たちに見せてイメージしてもらわなければいけない、そう思って後輩の育成に取り組まれているそうだ。

私たちにとって「目的」とは何なのだろう。自分が本当は何がしたいのか、考えさせられる。

――自分にできることをやりたい

劇中で大村先生や現地の医師、いろいろな人が口にした言葉だ。無理して何かをするのではなく、まずは自分にできることから始めてみる。自分ができることで、人のために、みんなのために動くことが、自分の人生も豊かにしていく。

この映画は、大村先生が特別ですごい人だ、ということを伝えたいわけではない。私たち一人ひとりにできることが必ずあって、自分にできることを、自分のできる範囲でやることが重要なのだと気づかせてくれる。人それぞれ、誰かのためにできることのかたちがあって、そのどれもが正しいのだ。

この映画で世界がもっと優しくなれると私は信じている。

大村先生の情熱のバトンは、現地の医師たちに受け継がれ、その影響は東南アジアの医療現場に広がり続けている。一方で、コービー監督が受け取ったバトンは、『Dr. Bala(ドクター・バラー)』という素晴らしい映画として、私たちの元へ届いた。今度は、私たちが受け取ったバトンを次につなげていく番だ。

Dr.Bala(ドクター・バラー)』は、ポレポレ東中野にて4月29日(土)から公開中。
チケットはこちらで購入できます

文/北原 舞

【この記事もおすすめ】

writer