チョコレートは「自然の恵み」! メキシコのカカオ農園に行ってきた。
朝8時、グアテマラの国境に隣接したメキシコ・タパチュラ。
私は念願だったカカオ農園に足を踏み入れようとしている。
日本から約15時間飛行機を乗り継ぎ、目的とするラジェン農園の入り口にやっと着いた。タパチュラ市内のホテルから、土むき出しの、でこぼこした道路をシルバーのバンにぐわんぐわんと揺られて約30分。メキシコ製の殺虫剤スプレーを全身に振りかけ、下車する。メキシコシティの喧騒とは打って変わって、鳥のさえずりや虫の羽音が聞こえる静かな場所だ。
わざわざ時間をかけて、農園へ行ったのには理由がある。
私は、都内で会社員として働きながら、趣味で毎日チョコレートを食べる生活を7年以上続けている。これまでに食べたチョコは7,300種類。長年食べ続けていると、チョコレートの製法やそのもの、つまり原料となるカカオに興味がわいてきた。しかし、日本はもとより地球上でも一部にしか大規模なカカオ農園はない。カカオがどう生育されているのか。いつか農園でカカオが育つ様子を見たいと思うようになった。そんな時偶然、メキシコのカカオ農園に行くツアーへの誘いを受けた。なぜメキシコなのか? というと、カカオ産地として世界で指折りの場所だからだ。しかもほぼ国内で消費されてしまうので、日本ではメキシコ産のカカオになかなか出会えない。メキシコは、アステカ帝国時代からカカオをドリンクとして飲んでいた歴史もあるし、現地のチョコレート文化も気になる。コロナも明けた2023年11月、思い切って行ってみることにした。
農園主のエデルさんの案内に従い、見学に来た7名は1列で歩道を進む。
農園内は、まるで森のようだった。カカオの木は平均5メートル以上に育つが、直射日光を避けるためカカオより背が高いバナナの葉っぱが、カカオの木の影になるよう覆っている。カカオの木だけがズラリと並ぶ、りんご畑のような場所かと思っていたが、森の中にカカオの木が混じり合っていて想像と全く違っていた。私たちはカカオを探しながら歩いた。
ラジェン農園の広さは全体で20ヘクタールあり、カカオ以外にもフルーツやココナッツなども植えられている。環境負荷を極力減らす目的と、カカオの花の受粉は小さな蚊が媒介するため、農薬散布は一切していない。土や枯葉が折り重なってふかふかした地面から、日本では見たことがない大きなアリが地面を這っている。ハチもブンブンと飛び回っている。他の虫なども避けながら、数十メートル歩くと、エデルさんが突然指を差した。
「あっ、カカオだ!」
私たちは声をあげ、木を取り囲む。
生い茂った緑の中で異彩を放つ、鮮やかな赤や黄色の果実。熟れたカカオの実だった。見るからに美味しそうな色で南国フルーツのよう。強い匂いはしない。カカオは人間が食べる以前、小鳥たちが食べていたというから、動物から見ても本能に訴えかける美味しそうな色なのだろう。
エデルさんに収穫手順を教えてもらい、一人ひとり1つずつ収穫していく。
左手で実を支えつつ、右手で木の幹と直接つながったヘタの上の部分を、専用ハサミで切る。ヘタの部分はグニグニと柔らかいため、あまり力を入れずにザクッと簡単に切れた。
カカオの実をつかんで感じたのは、想像よりずっしりして重かったこと。カカオ豆がこの中に30〜40粒詰まっているんだと考えると、自然と手が震える。
カカオの実はゴツゴツしているようにも見えるが、表面はとーってもすべすべした触りごこち。なでながら農園を持ち歩いてしまうほど可愛くて仕方がない。農園内にテーブルと椅子を用意してもらい青空の下で、もぎたてのカカオの実を試食した。
まずはカカオ豆を包む白い綿のようなカカオパルプを食べた。驚いたのは、カカオの実を何十回か振って、斧でたたき割っていたこと。この「振る」工程がないと、カカオ豆を包むカカオパルプがトロッとせず、直接食べるにはあまり美味しくないのだそうだ。カカオパルプはジュースとして、最近日本での販売も増えてきたが、こんなに新鮮なカカオパルプは日本で食べられない。噛むとジューっと果汁が溢れ出て、ほど良い酸味がある。ライチのような食感と、マンゴスチンとぶどうの甘みが混ざり合った甘いけれどさっぱりする風味だ。添加物はゼロ。こんなにもはっきりした強い味だとは。脳に一瞬で染み渡るようなみずみずしさ、新鮮さを感じた。
続いて、パルプの奥にあるカカオ豆も試食してみた。奥歯で噛んだものの、硬くて、香りがほぼないナッツとしか感じられない。正直言ってあまり美味しくない。これが本当に味わい深いチョコレートになっていくのだろうか?
食べた後は、収穫後の手順を見学させてもらう。まずは木箱での発酵。これにより、チョコレートの匂いの元が作られる。せっかくなので発酵中のカカオ豆の塊を触らせてもらった。先ほど食べたカカオパルプとカカオ豆を混ぜて、バナナの葉っぱでくるむ。するとあら不思議。微生物の力で自然発熱する。カカオ豆が40℃の温かさになり、まるで生きているように感じる。先ほどあんなに硬かった生の小さなカカオ豆に命が吹き込まれたようで、胸キュンが止まらない。この発酵が長ければ酸味が弱いカカオ豆になるし、発酵が短いと酸味が強いカカオ豆になる。カカオ豆の「性格」が決まっていく大事な工程だ。
発酵を終えると、次はカカオ豆を乾燥させる。この日の気温は33℃ほど。2人の男性が汗だくになって、トンボや手でカカオ豆を広げていた。突然の雨にさらされないよう、テントのような布の屋根がついている。外にいるのにツンと鼻をつく酸っぱい匂いが、辺り一帯に立ち込めている。ねっとりした暑さが続くこのような環境下でチョコレートになるカカオ豆が作られている。労働環境が良いとはお世辞にも言えない。ただこのように昔ながらの人力で作ることで、ショコラティエが求めるカカオ豆の酸味、苦味を細かく調整することができ、カカオ豆の価値は高くなる。
エデルさんは最後にこんな話をしてくれた。
「農家は、単にカカオ豆を作るだけではダメです。ショコラティエがどんなチョコレートを作りたいのかを踏まえてカカオ作りをしなくては売れません。そのために挑戦し続けます」
カカオの生態は、まだ謎が多い。ラジェン農園では、一部のカカオの苗とバニラの苗を数ヵ所、紐でくくりつけて一緒に育てる取り組みをしている。バニラの香りがつく珍しいカカオができるかもしれないからだ。このように付加価値のある育成方法を積極的に試したり、周りの農家の方にも長く農園を営み続けるために、農薬を使わず良質なカカオを生育させるためのノウハウを伝えたりしている。
祖父の代から引き継いだ農園を大切に、技術を積み重ね、新たなカカオ豆の開発をしているエデルさん。旅する前の私は、商品としてのカカオ、加工された味わいにしか目を向けていなかったように思う。エデルさんの話を聞いて、天候に左右されるカカオ農園を維持することの大変さや、自然の恵みをいただいているありがたみを忘れず、環境にも配慮する農家の方のプライドと情熱を知った。
帰国後、私はチョコレートを食べる瞬間に、カカオ農園へ思いを馳せるようになった。
ここにあるチョコレートはカカオ豆何粒分だろうか。カカオ豆一粒一粒に命が吹き込まれたことで、今ここに商品として存在している。今後も感謝して「いただきます」を言おうと思う。
※時期は未定だが、私が参加したメキシコカカオ農園ツアーは今後も開催される予定だ。機会があれば、読んでいる皆さんもぜひ参加してカカオ旅の醍醐味を味わってみてほしい。
文/荒木 千衣
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