検索
SHARE

自分を大きく変えるより、自分の感覚を取り戻す。『幸せへのセンサー』

今年の盆休みに帰省した。実家のリビングで涼んでいると、母からある本を渡された。その本のタイトルは、『幸せへのセンサー』だった。

「読んだあと、この本をあなたにあげたいと思った」と母は言った。

読書好きの母は時折、私に本を渡してくれる。ワンルームの自宅の本棚には、未だ手付かずのまま2年ほど眠っている本もある。しかし、今回渡されたこの本はいつもと同じように眠らせてはいけない。「これは、帰ったら一人でゆっくり読んだ方が良いな」と直感した。

数日後、自宅へ戻った私はシングルベッドの上で母から受け取った本を読み始めた。この本には、作家の吉本ばななさんが60年の人生でたどり着いた「幸せになる方法」が詰まっている。エッセイでありながら哲学書のような本だ。

そして、本書の第一章、2ページ目に差し掛かった時点で私の目には涙が溢れていた。「ああ、この感覚は間違っていなかったんだ。感じて良かったんだ」。私が否定し続けた自分の感覚を肯定してもらえたような気がした。そこに書かれていたのは吉本さんの幼少期の体験談。「やだ」の理由が自分でもわからず、子どものわがままで片付けられるもどかしさ。読んだ瞬間、私の潜在意識にあるセンサーに触れ、長年身を潜めていた何かが刺激された。

私は生きていく上で、「自分の気持ち」は必要ないと思っていた。それでも動いてしまう自分の心を見ないようにして生きていた。

小学3年生の時におよそ3ヶ月間、小学校の教室に入れない時期があった。仲の良い友達もいるし、勉強の理解も特段遅れているわけではない。入れない理由は自分でもわからなかった。ただ、教室にある自席で長時間座る行為がなんとなく嫌だった。座っていると、お腹が痛いような気がして涙が溢れてくる。そんな日が続き、担任の先生は私の母を学校へ呼び出し、私の今後について面談したようだ。やがて、私は保健室に通うようになった。私は「先生、お母さん、困らせてごめんなさい」と、心の中で呟く。子どもながらに、人に迷惑をかけたことを申し訳なく感じた。この時期から、少しずつ自分の感覚を閉じ込める術を身につけ始めた。

「周りに合わせながらも、自分の感覚を決して手放さないこと」と書かれたページで手を止める。いつしか「嫌だ」と思う気持ちは悪であり、感じてはいけない感覚であると決めつけていた。現在、会社員で出社勤務の私は、子どもの頃のように、会社に行くことが嫌だと泣くわけにはいかない。成人した私は、大人社会の中で生き抜くために、自分の心と折り合いをつける必要がある。けれど、自分の中に生まれた負の感情を押し殺す必要はない。そう思えただけで、幼い頃の私が報われたような気がする。それと同時に今の私は、感情という自分の内側の世界と、社会という自分の外側の世界を往来しながら、少し自分に都合よく生きられるようになったと思う。

加えて、自分の感覚を閉ざそうとしていた私は、自分を変えなくてはならないと思っていた。さらに言うと、今の自分であり続ける限り、自分は幸せになれないと思い込んでいた。

ネットや本には、人が社会で生き抜くため、あるいは充実した人生を送るためのノウハウが溢れている。話し上手になる方法、自分に自信を持つ方法、自己肯定感を上げる方法。そのような情報を目にするたび、勝手に「今のお前はダメだ!」と責められた気持ちになっていた。話し上手にならないといけない、自分に自信がないといけない、自己肯定感が高い方が良い。私は、世の中に溢れる正解らしき概念が正しいのだと、信じて疑わなかった。

そんな私へのメッセージであるかのように、本書にはこう書かれていた。

「まず疑ってみる。もっと違う自分だけにとっての幸せがあるんじゃないかって、カスタマイズして考えてみる。自分のセンサーを使って、自分にとって快適な状況っていうのはどんな状況かを日々感じながら、ひとつひとつ積み上げていく。そこからしか、その人個人の幸せは始まらない気がします」

自分の感覚が鈍っていると、幸せを感じるセンサーも鈍感になってしまう。自分を大きく変えようとするより、自分の感覚を取り戻す必要がありそうだ。自分は何が好きで、何が嫌いなのか。自分にしか分からないはずの答えを、ネットや本といった他者から答えを得ようとしていた自分に気付く。私はいつからか自分の外側にある世界の情報を盲信し、自分の心を置いてきぼりにしようとしていた。そんな私に、「ちょっと立ち止まってみてもいいんじゃない?」とこの本が伝えてくれているのではないか。

自分の感覚に蓋をせず、母から本を受け取った時に感じたあの直感を信じてあげたい。今までと同じようにこの本を寝かせていたら、今もなお、自分の心のセンサーを見落としたまま、ゴールのない幸せ探しをしていたのかもしれない。

次の帰省時は、この本との出会いを与えてくれた母に感謝を伝えたい。そして、なぜ私にこの本を渡そうと思ったのか。母が信じた感覚について聞いてみよう。

文/やまもと みり

【この記事もおすすめ】


writer