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あなたひとりに【さとゆみの今日もコレカラ/第173回】

本にサインをさせてもらうことがある。その場で買っていただいた本にサインすることもあれば、読み終わった本にサインすることもある。
新品の本はみな同じ顔をしているけれど、一度でも開かれ読まれた本は、全部違う顔になる。
付箋いっぱいの本になっている時もあれば、ドッグイヤーされた本もあるし、アンダーラインや書き込みだらけの本もある。全部世界に一冊だけの本だ。

昨日のセミナー終わりのサイン会では、なんと表紙のカバーにアンダーラインを引いてくれている人に出会った。そんなふうに読んでもらえるなんて、キミはどれだけ幸せなことか。この人のもとに嫁げてよかったねと、なでなでする。

私が書いた言葉たちはそのときもう、私の手を離れ、その人の身体の一部になっている。ひょっとしたら脳にひとすじのシワをつくれただろうか。骨の中に取り込まれたら嬉しいな。血液になって指先の毛細血管にまで届いていたら最高だ。その指先が、次は誰かのための言葉を書いていてくれたらと想像する。
ほとんどの言葉はきっと忘れられるだろうけれど、一度は身体に取り込まれたその言葉たちが、もうどろどろになって姿形もない状態になって、その人の身体の中でエネルギーになっていてくれたら、幸せだ。

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大量の付箋もアンダーラインも心底嬉しいけれど、2枚だけ貼られた付箋なんて、もう萌えて仕方ない。その人にとって記憶に残る2カ所は、どの部分だったのだろうか。

昨日アップした、さわっちの連載に、脚本家の生方美久さんの言葉が引用されている。『silent』や『いちばんすきな花』を書かれた脚本家の方だ。

極端なことを言ってしまえば、「共感した」という感想は少なければ少ないほど価値があるはず。今まで誰も触れてくれなかったことや、自分だけだと思って閉じこめていたこと。それらを描くことに意味があると思う(中略)。
100人が観て、99人が「なにそれ(笑)」となったとしても、残りの1人「やっと自分の気持ちを描いてくれた」と思ってくれたらいい。

これを受けて、さわっちが、生方さんの脚本が「多くの共感を得たのではなく、『多くの1人』に届いた」と表現したところが、すとんときました。

いつだって、あなたひとりに届けばいいのです。

※この文章は毎朝7時に更新され24時間で消滅します。今日もコレカラよい一日を。

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【この記事をおすすめ】

生方さんが『いちばんすきな花』で、本当に描きたかった対立のない世界は、「共感を否定すること」だったのではないでしょうか。


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