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おいしい「言葉」のつくりかた【さとゆみの今日もコレカラ/第741回】

たとえば絵を見るとき、そこに添えられたキャプションを読んだり、オーディオ解説を聞いたりしますか?

私たちは「文脈」の中に生きている。
ああこれは、晩年の作品なのかとか、恋をしてルンルンのときの作品なのかとか、病気をして辛い時の表現なのねとか思う。

もちろん絵そのものだけでも鑑賞できるし、それで十分だけれど、そういう文脈を知ると味わい方が増える。

ワインなんかもそうだと思う。

土地の特徴や、ブドウの品種、作り手のこだわりなんかを聞きながら飲むワインは、それを知らない時よりも味が複雑になる。
これはいつも不思議なのだけれど、言語化されることで舌のセンサーが増えるというか、気づかなかったささやかな「ひだひだ」みたいなものに気づけるようになる。気がする。
逆に、言語化されたワインを飲むことで、そのワインをその言葉のようにしか味わえなくなるかもしれないとも、感じる。
言葉があるから味わいが増えるのか? それとも限定されるのか?
これは私の長年のテーマだ。

いっとき、能登のワインをよく飲んでいた。
あの日、あんなに揺れたのに、割れずに残った貴重なボトルを開けるとき、それはやはり他のワインとは違うなにかを受け取ろうとする。
揺れる前のワインと揺れた後のワイン。中身は同じだ。でも、それを知っているかどうかで味は変わる。味は変わる? 「味」が変わるのではなく、「味わい」が変わるのか?

そんなことをずっと考えている。
言語化の功罪、裏と表、みたいなものだ。

そんな私が、「この方の脳内をのぞいてみたい」と常日頃思っている人がいる。ワイン食堂Calmeの佐野さん。
コロナ前は週一通ってたのではないかと思うくらい通い詰めていたワインの美味しいカウンターフレンチ。
一人で通いやすかったのは、グラスで次々と新しいワインを飲ませてもらえるからだ。大袈裟じゃなくて、私はこのお店で200種類くらいのワインをいただいたと思う。いや、もっとかな。
そして、そのワインの数だけ、佐野さんの解説を聞いた。

その表現はいつも独特で、ピアノの調べに喩えられることもあれば、恋の言葉で喩えられることもあった。
佐野さんと出会って、言葉って、食べられるんだなと思った。料理だけじゃなく、ワインだけじゃなく、佐野さんのお店では言葉を食べている。そして言葉にも酔っている。

ワインスクールに通おうかなと思って相談したとき、佐野さんに、「佐藤さんは、通わない方がいいかもしれません」と言われた。もったいないですよ、ワインを自由に楽しく飲めなくなるかも、と言われた。
たぶんもっといろいろ話してもらったような気がするけれど、酔っていたのでそれ以外はうろ覚えだ。

いつか、味を言語化することについてもっと聞きたいなあと思っていたら、佐野さんの書籍が発売になった。その名もワインビジネス。

すでに重版がかかったこの本、ワインをいろんな角度から見ることの楽しさを教えてもらえる。
そして、明日の夜、佐野さんの出版記念トークイベントが青山ブックセンターで開催される。
ご縁あって、私、司会をさせていただきます。

佐野さんの言葉を、みなさんも食べに来ませんか?
私は、佐野さんの言葉の作り方を聞きたい。ワインをどう表現するのか、その時何を考えているのか、その脳内を覗いてみたいと思っています。

明日の夜、お時間あれば、青山ブックセンターさんでお会いしましょう!

【上阪さんとのコラボ講義がアーカイブ動画になっています。購入は11月10日23:59まで! 視聴は12月15日までできます!】

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