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自分を選ぶか子どもを選ぶか。【さとゆみの今日もコレカラ/第821回】

「自分と子どもと、どちらか片方しか命が助からない状況になったら、さとゆみさんはどちらの命を選びますか?」

先日、まだ生まれたての子どもを持つお母さんと話をしていたときに、そんなことを聞かれた。

「ああ、いまだったら、息子ですね」
と即答したら、
「いまだったら?」
と聞かれたので
「そう思うようになったのは、子どもがだいぶしっかり言葉をしゃべるようになってからだったので」
と答えた。すると、その人はちょっと目をうるませて
「ああ、そうなんだー」
と、顔を伏せた。涙ぐんでいた。

こういう会話って、母親の間でよくされるものだろうか。過去にも2、3度、話にあがったことがある。

ママ友の中には
「私、そもそも生に執着ないから、比較対象が子どもじゃなくても自分が死ぬほうを選ぶ」
という人もいたし、
「絶対、自分が、生き残りたい」
と言う人もいた。

私にその質問をした人は、赤ちゃんが生まれたらすぐに母性のようなものが爆誕すると思ったけれど、どうやらそうじゃないらしい。いま、どちらかの命を選べと言われたら「自分の命」と言ってしまうだろうことに、罪悪感を覚えてしまうと悩んでいた。

ネットを見たら、そんなの子ども一択だろうと書かれていて。そう思えない自分は変なのだろうかと苦しんでいたそうだ。

あああ。
こういうのがネットの弊害だよな。
「自分です!キリッ」なんて、大手をふって書けない。そこにあるのは、いい母親、いい母親、いい母親ばっかりだ。

その反対で、子育て楽しすぎる、子ども可愛すぎる、まだまだたくさん産みたいも、ネットにはほとんど書かれていない。「子ども自慢ですか」「産めない人の気持ちを考えたことがありますか」と言われてしまうのを見ているからだ。でも、リアルだったら、そんな声、山ほど聞く。

だから、リアルで話すのって大事なんだよなあ。

【この記事もおすすめ】

最近、せわしない保護者が増えてきたという。

【バックナンバー】

「!」や「!!!」を使わなくたって【さとゆみの今日もコレカラ/第820回】


日本語は、話し言葉と書き言葉にだいぶ距離がある言語だ。
だから、人の話や自分の話を書こうとするとまず、話し言葉を書き言葉に翻訳する必要がある。
そして、たとえばビジネス媒体などで書くときは、「書き言葉ってむずい」ではなく「書き言葉は難しい」と書く必要がある(媒体特性にもよるけれど)。

今日のライティングゼミで面白かったことは、「話し言葉を綺麗な日本語に整えると、熱量が伝わらなくなる気がする」という意見が出たことだ。

「書き言葉ってむずい!!!」
のほうが
「書き言葉は難しい」
よりも、熱量が伝わる気がするというのである。

私はこれは幻想だと思っている。
もちろん、話し言葉や「!!!」を使うことで、文章が盛り上がる側面がゼロではない。けれども、綺麗な日本語を淡々と積み上げた文章でも心が動く時は動くし、泣けるときは泣ける。というか、むしろ、そういう時の方が多い。
私の涙活?作家は浅田次郎さんだけれど、一文一文はまったくエモーショナルじゃないのに、それが重なることで涙腺が崩壊する。

つまり、熱量とか感情は、「!!!」で伝えるものではなくて、文章の構造、描写の仕方で伝わるものなんだろうなー、なんて話をしてました。

ゼミ、楽しい。

旦那さま、ご主人、夫さん、パートナー、配偶者、お連れ合い……?【さとゆみの今日もコレカラ/第819回】

原稿の中で、既婚者の結婚相手を紹介する際、難しいのがその呼称だ。

今のところ、パートナーが一番使いやすい言葉なのだけれど、この間「パートナー(配偶者)のパートナー(仕事の相棒)として働く」という表現が出てきて、こういう場合どうすればいいんだ? とライティングゼミで議論になった。

奥さま(奥様)は本来敬称なので、取材相手の女性の配偶者を「奥さん(奥さま)」と書くのは、ギリギリありな気がする。

でも、男性の配偶者を、「旦那さん(旦那さま)」or「ご主人」と書くのは今どきだいぶダメ側な気がするし、配偶者だと法的ニュアンスが漂うし、パートナーが使えない場合はどうすればいいかなあなどと話をしていたら、ゼミのメンバーの一人が「お連れ合い」という書き方をしている本がありましたと教えてくれた。なるほど。お連れ合い。

会話文では使えそうだけれど、地の文章だとちょっと難しそう。

この言葉、みなさん、どうしてます?

嘘でも本当でも面白いものがいい【さとゆみの今日もコレカラ/第818回】

先日京都文学フリマで作った『舌を抜かれる』の感想をいただいています。読んでくださったみなさま、ありがとうございますっ。

「どれが嘘か全くわからなかった」というご感想がいちばん多いのですが、ここ数日「嘘とか本当とかよりも、結局エッセイとして面白いものがいいよね」という感想を立て続けにいただき、これは本当にそうだなあと思った。

嘘をどう定義するかは別として、嘘か本当かは実は読者の人たちにとってはどっちでも良くて。
白でも黒でもネズミを取ってくるネコがいいネコなのだなあと、しみじみ。

今回は、佐藤智さん、田中裕子さんという信頼する書き手のお二人と一緒だったこともあり、私史上最も気を楽にして書いたのだけれど、商業文章じゃないぶん、自分の色が前面に出たものになったなあと思う。

もっと上手くなりたい。もっともっと上手くなりたい。強欲。
(『舌を抜かれる』はこちらでご購入できます

聞く、が仕事になるのを夢見てる【さとゆみの今日もコレカラ/第817回】

最近、タクシーに乗ってて楽しみなのは「ひみつのPRIME」。
うさぎが、いろんな俳優さんたちの話を聞くやつです。みたことあります?
このウサギさん、めちゃくちゃ聞き上手で、しかもズバッと切り込むのだけれど、誰かというと、MEGUMIさん。ついつい、話したくなっちゃうリアクションだよなあって思っています。
MEGUMIさんにインタビューしてもらえるなら、話したいって人、いっぱいいる気がする。

最近、ファシリテーターのご相談をいただくことが増えたのだけれど
オープンな場でも、クローズな場でも、聞く、をもっとたくさん仕事にできたらなあと妄想していまちゅ。

読書を「アウトプット」する【さとゆみの今日もコレカラ/第816回】

NHKカルチャーセンターの大阪梅田で、「本を読んで感想を書く」講座がスタートしました。

私は2016年くらいから3年間、毎月1冊の本を読む読書会に参加していたのだけれど、そこでの経験があったことで「本を読む」を、もっともっと楽しめるようになった。

さらに、今は、本のレビューを書く仕事もしているのと、ポッドキャストで話すこともしているので、それでさらに本読みが楽しくなった。

読書とはインプットなのだけれど、読書会でアウトプットしたり、文章にしてアウトプットしたりすると、何度も何度も味わえる。

いま、同じ本についてのレビューを何本も書くというオファーをいただき『弱さ考』について、何本も感想を書かせてもらっている。この本は、何度も読みたいと思っていたけれど、こんなふうに強制的にいろんな読み方をさせてもらえるなんて、ほんと、幸せ。

みんなもすっごく楽しかったみたい。
東京メンバーのみなさんも、楽しみにしていねー。

「わかりやすい」と「親切」は違う【さとゆみの今日もコレカラ/第815回】


昨日の続き(バックナンバーは文末に)。古賀さんの話です。

ポッドキャストの中で古賀さんが、わかりやすい文章と、親切な文章は違うと話していらした。
たとえば書籍のブックライティングでいうと、
難しいことをただわかりやすく書こうとすると、抜け落ちるものがある。
そうじゃなくて、難しいことを親切に書く。階段を一段ずつ作るように、この段差なら誰でも上れるというに、親切の階段を作るのが大事だ、といった内容だった。

これは、なるほどと思った。ポッドキャストを聴いているときに思わず声が出たくらい。

『書く仕事がしたい』にも書いたけれど、私は、「わかりやすい文章を書く」ことをとても大事にしている。でも親切な文章という考え方はなかった。

なのだけれど、実際に私が「わかりやすい文章」と言っているものは、親切の結果だとも思った。
古賀さんの場合
「わかりやすい、ではなく、親切が良い」
なのだけれど、私は
「わかりやすい、を実現するための手段が親切」
つまり、
「親切に書くとわかりやすくなる」
と、思っている

親切は手段。
わかりやすいは結果。(と、私は思っている)

さらに言うと、
わかりやすさが、そのまま面白さだとは思っていない。
でも、面白いを実現するためにわかりやすい文章を書けることは必須だと思っている。

そんなことを考えるのも楽しい。
あと、「これが親切だと思う階段の幅」がライターによってまちまちで、その階段の幅がフィットするかどうかが、読者にとって「この人の文章は読みやすい」「読みにくい」の差になるんじゃないかという田中裕子さんの指摘もおもしろかった。こういう話、大好き。

今日は15人+22人の添削を朝から晩まで。
さすがに、ふらふらでふ。
閉店ガラガラまた明日。

「言語化しないほうがいい」と先輩は言った【さとゆみの今日もコレカラ/第814回】

昨日アップした「『下から目線』で斬る」(下部にアーカイブあります)に、たくさんのコメントをいただきありがとうございました。面白いのはDMでのコメントが多かったこと。表立って言えない言葉ほど、熱があるなあと思う。

今日はまた別の話。
『嫌われる勇気』『さみしい夜にはペンを持て』、最新刊は『集団浅慮』の古賀史健さんがゲストとしてお話されたポッドキャストを聞いた。

いくつも面白い話があったのだけれど、そのうちのひとつが「書く動機や、自分が何に興味を持っているのかを言語化 “しない” ほうがいいと思っている」という部分。言語化すると、その情報しか入ってこない。言語化せずに曖昧にしておくことで、未知との出会いを楽しめるといった内容だった。

もうひとつは、「役に立つ本 ”ではなく”面白い 本を書きたいと思った」という話。

ここ数年、「言語化」と「役に立つ」(そして「寄り添う」)という言葉を、だいぶ疑っている私なので、非常に楽しく聴かせていただきました。

「わかりやすい文章と丁寧な文章は違う」という話については、また今度。

「下から目線」で斬る【さとゆみの今日もコレカラ/第813回】

最近、上から目線より、下から目線のほうが、人を斬れるなあと思うことがある。
いや、実際に「斬れ」ているかはわからないけれど、下からご意見申すほうが、共感を得やすい側面が加速している。

「笠に着る」という言葉はもともと、強い立場や伝手を利用して好き勝手にふるまうことを指すけれど、

そのうち

「庶民」の立場に笠を着て
「弱者」の立場を笠を着て

という言葉も生まれるかもしれない。

と、思う今日この頃。

「下から目線」について書きました。
エリートの「弱者アピール」について。
よろしければ、ぜひ。

「言いにくいんですけど、「生きづらくない」のは悪いことなんですか?」(別サイトに飛びます)


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