
普段聴かない音楽を聴いたら、まあまあ良い人生だったと思えた話【さとゆみの今日もコレカラ/第895回】
何を思ったか、昨日は一日じゅう、ヒットソング90年代と00年代を聴いていた。
社会人になってからは、日常的に音楽を聴く生活をしていなかった。どれくらい聴いていないかというと、紅白に出る人の3分の2は、知らない。家では朝から晩まで無音生活。音楽がかかっている場所で仕事するときは、ノイズキャンセルをして仕事している。(なので、昨日は仕事が1ミリもできなかった)
音楽を聴いていたはずの90年代の曲ですら、知らない曲が結構ある。00年代になると3分の1くらいしかわからない。
知らない曲はスキップして、知っている曲だけを聴いていて気づいたのだけれど、昔聞いた曲をいま聴くというのは、素敵な体験だった。
これ、多くの人にとっては「はい? いまさら何を?」 となるかもしれないけれど、音楽を聴く習慣のない自分にとっては、音楽を聴いて昔のことを思い出すといった経験がほとんどなくて。
だから非常に新鮮でした。
そうか。みんなこうやって音楽を楽しんでいるのか(違う?)
大抵の曲は、カラオケの記憶と結びついている。
そして大抵の場合、酔っ払っていて、気分がハイで、楽しかった記憶だ。
わたしは過去のことを思い出すがすっごく下手なのだけれど、昨日はいろいろ思い出して非常にエモかった(おもにカラオケでのあれこれを)。
音を聞きながらいろんなことを思い出していたら、なんか、わたしの人生、良いことが多かったなーとしみじみした。
酒の席の、好きな人たちと過ごした思い出ばかりだからかもしれない。
そうか、音楽ってこういうふうに過去を思い出すトリガーなのだなと知る。
ということは、音楽を聴いてこなかった2000年以降のわたしの記憶は、もう取り出せなくなるのだろうか。
わお。マジか。
【この記事をおすすめ】
ロックとか、ロックンロールという言葉が嫌いだった。
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【バックナンバー】
2拠点生活の理想と現実【さとゆみの今日もコレカラ/第894回】
東京と京都、2拠点生活、いいですねーって言われることが時々ある。
自分でも、すごく良いなあと思っているし、楽しい側面が多い。
でも、意外と現実的にあわわわわわ、なこともよくあって、たとえば、ゴミ問題。
これは、マンションじゃなくて町屋を借りるとなったときから、ちょっと不安だった。
たとえば、燃えるゴミって週に2回くらいだったりするわけで。
もちろん、指定の曜日以外は出せない。
となると、生ごみどうするの問題!!!
これは、引っ越し初日に飲みにいったバーのお兄さんに、事業者ゴミにしたらいいですとアドバイスをもらって解決。
京都の家は、事務所として借りているので、それが可能だったので助かった。
(これで、ゴミの日まで東京に戻れないってことがなくなった。が、ゴミを捨てるだけに毎月8000円払っている)
そして、今日は今日とて、ガス料金が!
払込用紙のピックアップが遅いと、コンビニでの支払い期限が過ぎてしまったりするわけなのだ。
大阪ガスさんに連絡をして(なぜ敬称かというと、仕事をさせてもらったことがあるから)、すみませんすみませんすみませんと詫びて、東京のほうに払込用紙を送ってほしいと言ったら「いま、京都に送り直したばかりだからできない」と、言われる。
じゃあ、お振込させてくださいと言ったら、振り込みは受け付けていないとおっしゃる。
で、どうしたかというと。
現金書留でお送りしました。。。
郵便局まで行って、ちょっきりの金額を封筒にじゃらじゃら入れて、510円だか520円だかの手数料払って、3000円くらいの支払いをしてきたですよ。
いやん。
今後はクレジット決済にしようと思っても、ハガキで暗証番号を送りますとのこと。
現実はいろいろ、ある。スマートじゃない。
『プロジェクト・ヘイル・メアリー』(小説)の何が面白かったかって!(ネタバレなし)【さとゆみの今日もコレカラ/第893回】
ネタバレしないです。
小説→映画の順で触れた『プロジェクト・ヘイル・メアリー』。
小説は非常に面白かった。
あの小説の一番の面白さは、「科学的思考」と「エンジニアリング」によって、次々と降りかかる課題を解決することのエクスタシーだったと思う。
小説を読んでいたとき(実際にはオーディブルだったので聴いていたとき)、しみじみ思ったのは、地球を救うのに必要な能力は(つまり生き延びるのに必要な能力は)
A)論理的な思考の末、「発見」ができること
B)物理的な「モノ」を設計できること
なのだなあと思った。
どちらから片方だけではダメなので、それに加えてもうひとつ必要だった能力は
C)自分が持っていない力を持つ相手と協力できること
か。
どんなに叡智を詰め込んだAIがあったとしても、「発見」して「設計」するのは人間なのだ! と思わされたことが、これからの人生の希望のように感じた。
映画はその両方がごっそりないので、別モノとして楽しむのがいいなと思った次第。
小説読んだ人と語りたい。
「思考」と「発想」を捨ててはいけない。
「書く人が覚醒する瞬間。俺たちブラザーズ。」【さとゆみの今日もコレカラ/第892回】
朝8時に、ダダダだダダダっと通知が連着したので、え、なにこれ? 地震? と思ったら、さとゆみゼミのアドバンスの申し込みだった。
寝ぼけていたから、うっかりしていた。
さとゆみゼミのアドバンスコースは、もともと用意していたカリキュラムではなかった。1期を卒業した仲間が「もう少し勉強したい」と言い始めて、じゃあ、6人集まったらやると言ったら、なんと同期20人のうち12人が受講した。さらに、「もうちょっと」と言われてアドバンスプラスを開講し、さすがに「もう卒業してよ。どこに出しても恥ずかしくない原稿書けるようになっているよ」と話して卒業してもらった。
毎年このアドバンスでは、はかったように順番に、誰かが覚醒していく。
人が上手くなるのは、いつでも「突然」なのだ。
少しずつ指数関数的に右肩上がりするわけではない。ある日突然、何かを掴む。それを掴んだら、もう、昔の自分には戻らない。
これは以前、スーパーマリオ1面の法則と名付けたことがあるのだけれど、1面をクリアしたら、次のスタートは2面からなのだ。
(今日もコレカラ 2024年1月5日より)
CORECOLORのインタビュー記事は1万字ある。一般的なwebインタビュー記事の3〜4倍だ。そして、インタビュー現場が初めてのライターさんが書いていることも多い。驚くのは、1回目には、何度も何度も書き直しをしていた人たちが、2度目の記事になるとすらっと書ける ようになっていることだ。これまで
一人の例外もない。2度目の人たちの原稿に、私はほぼ手を入れない。ほんの半年前にものすごく苦労して入稿した人と、本当に同じ人? というくらい精度の高い 原稿が仕上がる。
これを私は、スーパーマリオ1面の法則と呼んでいる。初めてゲームをやる時には、どうしてもクリアできない箇所がある。だ けど、ひとたびその攻略がわかると、さっきまで何につまずいていたのだろうというくらい簡単に前に進む。そして、1-1をクリアしてセーブ すると、二度とそのステージには戻 らなくてよくなる。次にミスっても、戻るのは1-2の画面だ。
これと同じ。そうして、1-1から1-4までクリアした人は、次のインタビューは、絶対に1-1からスタートしない。最低でも2面からのスタートだ。
人によっては、次に仕事をする前に、自分で4面、5面までやりこんで戻ってくる猛者もいる。この、2度目の仕事が、私は本当に大好きだ。 ああ、こんなにも信頼できるバディがまた一人増えた、と思う。ルフィが「海賊王に、オレはなる」と思っているくらいに、私は「スーパーマリオブラザーズに、オレたちはなる」と思っている。
この「ある日突然、何かを掴む」瞬間に立ち会うのが楽しすぎて、ゼミをやっているという側面がある。原稿を読みながら、涙が出てくる。素晴らしいバディを見つけたと思う。この人にたくさん原稿を書いてもらおうと思う。
惜しむらくは、上手くなった人たちは、どんどん仕事で忙しくなっていって、わたしのことなんか構ってくれなくなることだ。寂しいが嬉しい。
さて、アドバンスのみんな。今年も、一緒に、スーパーマリオブラザーズになろうぜ。
書く時に、どこまで「脱ぐ」か【さとゆみの今日もコレカラ/第891回】
先日、幻冬舎plusの連載『50代を迎え討つ!』で、「リッツ・カールトンと入れ歯」と題した原稿をアップしてもらった。
この内容に関して、友人知人からの反響が大きかった。
その中に、「さとゆみの脱ぎっぷり!」とか「ここまで書く覚悟がすごい」とか、「自己開示すさまじい!」というコメントがいくつもあった。
それで、「ああ、そうなのか。これ、脱ぎっぷりよい感じ(自己開示しているように)に見えるのかあ」と思って、新鮮だった。
じつは、『50代を迎え討つ!』は、私にとっては、一番気が楽に書ける内容だ。
なにせ、自分のことしか書いていないから、人に迷惑をかけない。家族や友人を巻き込む心配もない。
disられることがあっても、自分のことだから別に気にならない。一番、脱ぎやすい。脱いだ結果、笑われても、別にいい。というか、笑ってほしい。
書籍レビューなどとも違って、自分の「思考」ではなく自分に起こった「出来事」を書いているだから、それも気楽だ。
自分が考えたことを書くときは、それがわかりやすいか、相手にとっても意義があるかなど考えながら書くので、だいぶ脳を使う。書いたあとも「もっとうまく書けたのでは」とうじうじする。
こちらのほうがよっぽど自己開示している気がしているし、脱いでる感じがする。すごく恥ずかしいし、ダサいこと書いてしまうと落ち込む。
脳内を脱ぐほうがよっぽど恥ずかしいし、命に直結している。
というわけで、家族のことを書くとか、自分の思考を書くとか、そういうのに比べたら、『50代を迎え討つ!』は、書いていて「楽しい」以外の感想はない。
そんな私の楽しい楽しい楽しい(ちょっと悲しい→老化)が、みなさんにも楽しく読んでもらえたら、嬉しいです。
「リッツ・カールトンと入れ歯」は、ここ近年では会心のカキーンとした文章なので(自分で言うな)、ぜひぜひです。
日々を塗り替える【さとゆみの今日もコレカラ/第890回】
カメラを買った。
前々から始めたいと思っていたのだけれど、1gでも軽い荷物で生きる人生をめざしているので、なかなかハードルが高かったのだ。
お勧めしてもらったまま、ヨドバシカメラ新宿本店に行き、いろいろとレクチャーを受けて、コンパクトなミラーレスを買った。それに、単焦点のレンズを1本。
ズームができない世界がいいなと思う。
細かく見たいと思ったら、自分が対象によるしかない。
そして、広角ではないので、近寄りすぎると全貌が見えない。
ぶっちゃけ、めっちゃ面倒だ。
面倒だけれど、これが生活だったはずだ。
iPhoneの写真とは全然違う。
数日持ち歩いて、時々思い出したように、撮る。
家の近くの景色がアップデートされる。
思ったように撮れない。それが、面白い。
その話をしたら、
「近所を塗り替えるみたいに撮りまくるといいよ」
と言われた。
塗り替える、ってまさにそんな感じだったから、しっくりきた。
見知った場所が、見知らぬ顔をする。
きっと、写真だけじゃなくて、こういうことはいろいろあるんだろうな。
見ているようで見られている。
AIに書いてもらっているうちに、書くのが嫌いになる話【さとゆみの今日もコレカラ/第889回】
AIに文章を書いてもらっているうちに、原稿を書くのが嫌になったという話をよく聞く。
書くことに愛情を持っていた人や、指名の多い売れっ子ライターさんから、よく聞く話だ。
・客先から「AIを使って効率化してほしい」と言われ、使い始めたら、たしかに効率がいい。
・企画案だけ、構成案だけ、のつもりだったけれど文章まで書かせたら、すごく楽だ。
そんなことに気づいた人たちが、「じゃあ、自分じゃなくてもいいな」と思うのは、理解できる。
私も、「デジタルtoデジタル」の仕事はもう、あまり興味を持てなくなってきた。
たとえば、テープ起こしから原稿を書くとか、すでにある文章をわかりやすく整理するとか。
それよりは
・自分が聞かなければ出てこなかった言葉を引き出すインタビュー(アナログ to デジタル)
に意識が向かうし
それよりなにより、
・自分が書こうとしなければ、この世の中に存在しなかった文章を書く(ゼロ to ワン)
ことに意識が向かう。
たとえばなのだけれど、いま連載させてもらっている「50代を迎え討つ!」の原稿は、
世の中に必要かといえば、別になくても困らない。
わたしが今関わっている文章の中で、一番「なくても困らない度」が高いとも思う。
だけど、自分が存在しなければ、そもそもこの世の中に存在しない文章だと思っている。
そして、なにより、自分が書いていて楽しい。
今日アップした原稿は、過去1年くらいでも会心の一撃なので、よかったらぜひ読んでください。
そして、今日からスタートしたきよのちゃんの連載「聖の言葉と俗を生きる」も、やはり、アナログから考える言葉の話。こちらも、ぜひ。


