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「ところで、画力って何?」自分はプロでやっていけるだけの画力があるのか、と思ったなら。【絵で食べていきたい/第5回】

絵の仕事で食べていこう、と決めてから、フリーのイラストレーターとしてやってきた方法や考え方について、これまで書いてきました。その中で「画力はそこそこでも、総合力で絵の仕事はできる」と言いました。でも「そこそこの画力」とはどの程度の、どういった力でしょうか。今回は「仕事に必要な画力」について考えます。

プロに求められる「画力」とは?

イラストレーターを仕事にする前、漠然と「絵で食べていくなら、まずはすごく絵がうまくないといけない、画力が高くないといけない」と思っていました。一方で、雑誌などで公募されたコンペやコンテストの入賞作品を見ると、「なぜこの絵が入賞で、こちらが選外なんだろう」と不思議に思うことがありました。また、人気の雑誌の表紙を飾るイラストに、「たしかにかっこいいけど、こういう絵を描く人なら周りにもたくさんいるけどなあ」と思うこともありました。そんな時は、私が思う「画力の高さ」や「うまさ」は、プロの基準とは違うのかもしれない、と不安になりました。

結局、自分の絵がうまいのか、画力は足りているのか、確証はないままこの世界に飛び込み、現在までなんとかやってきました。そして、実際に絵を描く仕事をしてみると、自分なりに少しは、プロとして必要な「画力の基準」が見えてきたような気がします。

今、「絵を仕事にする上で必要な画力とは何か」と考えてみると、こんな風に思います。イラストを頼まれるとき、そこには必ず発注者の「意図」がある。その「意図」をまずは正しく汲むこと。そしてその場(媒体)にふさわしい表現と技術で、「意図」を正しく、より明確に、見る人に伝えられるように制作すること。それができる力が、私たちに求められる「画力」ではないか、と。 

絵で食べていこうとする場合、収入を得る方法は大きく2つあります。1つは、自分でテーマやモチーフを決めて作品として絵を描き、気に入った人に買ってもらうやり方。画家が展覧会で絵を売る場合などがこれです。

もう1つは、絵が必要な人や企業などから注文を受けて絵を描くやり方。多くのイラストレーターはこの方法で収入を得ています。

発注される絵には、はっきりとした目的があります。雑誌のカットや商品のパッケージといった、用途や媒体の違いだけではありません。例えば雑誌のカットならば、「難しい文章が多いので、イラストを交えて分かりやすく説明したい」「面白くインパクトのあるイラストで記事のテーマをダイレクトに伝えたい」など、そのイラストが使われる狙いや意図があります。

ですから、イラストの依頼を受ける側には、「発注者が欲しいと思う絵を描くための画力」、もっとかみ砕くと「相手がこの絵によって伝えたい、狙いや意図を表現するだけの画力」がないといけないのです。

絵の仕事を受け始めて最初に気づいたのは、「そもそも何を描くべきか」「何を求められているか」をきちんと汲み取ることが、実は一番大事だという点です。当たり前のようですが、意外とここでつまずいてしまう場合があるのです。

「この絵の意図は何か?」を確実に知る     

「仕事なんだから、普通に発注されたものを描けばいいんでしょ」と思うかもしれません。もちろん、どこに何をどう描くか、キッチリ決められていて、後はひたすら筆を走らせるだけ、というような仕事もあります。でも、多くの場合、もらった依頼文にはそこまで細かい指定はなくて、いきなり描き始めるには情報が足りない場合があります。

例えば「楽しいイラストで目を引きたい」という発注の意図がきちんと依頼文に書いてあったとしても、「楽しいイラスト」のイメージが、相手と自分とでは違っていた、なんてこともあるのです。そこがずれたまま、「〇〇が××をしているところを、こんな色合いで」などと、詳細な指定をもらってその通りに描いても、「言われたとおりのことが描いてあるけど、なんか楽しくないなあ」と思われるかもしれません。

描き手は、締め切りもありますし、できればすぐにでも絵を描き始めたいものです。でも、そこで焦って、「多分こういうことだろう」と見切り発車してしまうと、相手から「欲しいのはこれじゃなかった」と、大きな修正を入れられる場合もあります。

逆に、描かれたイラストが先方の予想と違ったとしても、意図さえズレていなければ、「なるほど、こういう風に描くと、より伝わりますね!」と喜ばれる時もあります。相手がイラストに何を求めているかをしっかり聞き出し、確認することの大切さ、伝わりますでしょうか。

これは私が駆け出しの頃の失敗談です。そのときの、イラストを依頼してくれた編集者さんの希望は「シュールなタッチで」というものでした。その言葉を聞いた途端、私が時々描いている、「ちょっとホラーっぽいタッチなのに笑える内容が描かれている」作風が浮かびました。それはとても「シュール」だし、企画に合って面白い気がしたので、編集者さんのイメージもこれだな、と思いました。そして気分よく多数のラフを仕上げて送ったところ、編集者さんからの返事はまさかの「いやー、こういう感じじゃなくて……」というものでした。何度かやりとりしたものの、どうもしっくりきません。ふと、「シュールって、例えばどういう感じの絵ですか。私は、自分のこのタッチの絵かなと思ったのですが。漫画で言うなら〇〇先生みたいな感じです」と聞いてみると、「えっ、それを言うなら、私は白さんのこちらのタッチみたいなつもりでした!例えばイラストレーターの××先生のような」と言われたのです。たしかに、どちらも、「シュール」と表現できるけれど、編集者さんが求めていたのは、もっと明るくて軽みのある、全く違うタッチの絵なのでした。 

それ以来「シュール」とか「ポップ」などの言葉に敏感になり、必ず自分のサイトや、ネットの画像などをいくつかあげて、具体的なイメージを確認し合うようになりました。もっとも、これは当時の私が「色々なタッチを描きます」というやり方をしていたために起きたことです。けれど、タッチに限らず、お互いの思うゴールがずれていると、その後どんなにうまく描いても「これじゃない」という結果になりかねません。

もしあの時、「シュールで、“コワかわいい”みたいな感じですか?」と確認していたら。そして「うーん、シュールでも、全体のイメージはお洒落で明るいページにしたいです」といった返事でもあれば、私も「ん? “お洒落なシュール”?」とひっかかって、もう少しヒアリングできたかもしれません。

ただ、ある程度のすり合わせさえできていれば(ここでは「シュールとはどんなイメージか」という部分)、希望と異なる仕上がりだったとしても「なるほど、確かにこれもシュールと言えますよね」と、なぜこうなったかの理解はしてもらえます。少なくとも、「頼んだものと全然違う絵があがってきた!あのイラストレーター、期待外れかも」などと必要以上に悪い評価を下されずにすみます。実はこれも、プロとしてやっていくにはとても大事なポイントです。

狙いや意図を表現するための画力とは

さて、とりあえず今回依頼されたイラストの意図は確認できたとしましょう。実際の制作に入るためには、その他にも色々と必要な情報、あるいは制約があります。

・イラストが描かれる媒体は何か
・できあがったイラストはどういう人たちが見るのか
・イラストが使用されるサイズや位置
・色数
・イラストの点数
・納期と料金

などなどです。

これらの制約のなかで、相手が希望する意図を、見た人に正しく伝わるように視覚的に表現できるか。ここで、これまで培ってきた、描く技術や知識、経験がモノをいいます。

例えば、「キリンを描こう」と思ったら、大体の人が縦長のスペースで描こうとするはずです。多くの人が「キリン」をイメージする時、首の長さがまっさきに思い浮かぶので、これを描くのが一番わかりやすいからです。でも、雑誌のカットなどでは、レイアウト上「どうしてもここに横長の、小さめなカットでキリンを入れたい」などということも起こります。

その場合、「なぜここにキリンを描くのか」「何が伝わればいいのか」を考えて、「横長で表現できるキリン」をどれくらい思いつくか、それを限られた時間や色数で表現できるかがポイントになってきます。

キリンの頭部だけを横向きで描いたら?小さなキリンのシルエットを、横に3つくらい並べたら? 首を下にして、水を飲んでいるキリンならこのスペースで描けるのでは? もしかして、キリンの網目模様をパターンのように描いても、伝わるかな?

「伝わるかどうか」は、自分の表現力だけでなく、見る側がどういう人かによっても変わってきます。幼児雑誌に、お洒落な編み目パターンを描いても、キリンだとはわからないかもしれません。高齢者が見るパンフレットなのに、描いたキリンのシルエットが小さすぎたら、見てすらもらえないかもしれません。

例えばキリンを、写真のように見たままそっくりに描けたら、普通は「うまいね」と言ってもらえると思います。でも、上のような課題をクリアするのに、その力だけでは心もとない。「描くべきことがきちんと描ける」ための画力とは、見たままをそっくり描けるだけの力ではない、という意味は、おわかりいただけるのではないでしょうか。

例はたまたまキリンでしたが、これが人物であれば、「その年代の人らしさ」を色々な方法で表現できる力とか。老人を描くのに顔にシワをつけることしかできないのと、体形やポーズ、目鼻の位置などで表現できるのとでは全く違いますよね。そういう表現方法や描写力を、どれだけ身に付けているかは、とても大事です。

的さえ外さなければ「描かない」という手もある

これはちょっと特殊な例ですが、私がゲーム会社をやめて、別のゲーム会社を受けた時の話をします。採用試験として、いくつかイラストの課題が出されました。家に持ち帰るのではなくその場で、鉛筆のみを使って、指定された内容を描くものです。

いちばん時間とスペースを割くべき課題が、「秋のある日、車の脇に女性が立って、向こうから来る男性を待っている」というものでした。さあ、大ピンチです。なぜなら私は資料なしでは車を描けないのに、この課題では資料は参照できないからです。もちろん、記号としての簡略化した「クルマ」なら、描くことはできます。でもそうすると、得意の人物も、同じように単純化しないと絵として成立しません。それに、この仕事で求められる絵柄は、そもそもそういうものではないはずです。

迷った末、私が考えた構図は、車がうんと手前にあって、画面から見えるのはバックミラーとボンネット、フロントガラスの一部だけ。そこにもたれた女性の斜め後ろ姿を大きめに、その向こうにはこちらに向かってくる男性の全身を描く、というものでした。秋を表現するのは、男性の後ろに銀杏並木、手前のボンネットらしき部分に銀杏の葉でも描いてなんとかしましょう。これなら、比較的見栄えのするタッチでも、資料なしで時間内に描けそうです。

結果として、イラストの課題は「満点です」と言ってもらうことができました。おそらく担当者は、私が車を描くのは苦手なのはすぐわかったと思います。課題文にあった車をほとんど描かなかったのに満点をくれたのは、「持っている力と限られた条件で、課題の求めるレベルをクリアした」と認めてくれたのでしょう。結局その会社とは他の条件があわず、ご縁はなかったのですが、この時の経験は私にとって大事なものとなりました。

試験と違い、実際のイラストの仕事では、資料を見ることができます。でも、探す時間もお金も足りなくて、あるものでなんとかしないといけないとき、今でもこの課題を思い出します。

仕事をはじめる前に、「画力」とか「うまさ」について考えていた私は、どんなイラストも使われる場所から切り離された「1枚の単体の絵」としてしか見ていませんでした。絵が使われている目的や効果といったものは考えていなかったから、なぜその絵がよしとされるのかがわからなかったのだなと思います。

そして今、「仕事に必要な画力」について考えた時、「画力そのものもまた、色々な力の総合なのだ」と感じます。依頼の意図を読み取る力、それを可能にするコミュニケーション力、不足した部分を得意な力で補う工夫も、仕事にする場合は特に、「画力」の中に含まれるのではないでしょうか。

もちろん、毎回大ピンチを乗り切るのは大変です。技術を磨き、画力を高める一方で、「得意なことを発注してもらうための戦略」なども必要です。それはまた、別の機会に。

文/白ふくろう舎

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