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バンドネオン奏者の三浦一馬さん率いる5重奏の衝突しそうな距離

戦うように演奏を繰り広げる演奏者たち。この日はバンドネオンをメインとした5重奏のコンサートだった。バンドネオンとは、「悪魔の楽器」と称されるほど演奏が難しい、ドイツ発祥の楽器だ。生産が既に終わっており、レプリカを除いては1960年代までに作られていたものしか残っていない。楽器全体を伸縮させて音を鳴らす仕組みはアコーディオンと同じだ。しかし音色はどこか影のある部分があると、日本では数えるほどしかいないバンドネオン奏者のうちの一人、三浦一馬さんは以前のインタビューで語ってくださった。アルゼンチンタンゴに欠かせない楽器となったいきさつは諸説あるが、その哀愁を感じさせる音色も理由の一つなのではないだろうか。

三浦さんを主将に据えた5重奏のバンド。この日はバンドネオン、ヴァイオリン、ピアノ、エレキギター、コントラバスという編成。楽器の編成はバンドによって様々だが、5重奏の形は生涯バンドネオンのための曲を作り続け、伝説的な作曲家・演奏家としてこの世を去ったアストル・ピアソラが特に探求し続けた編成でもある。言わばバンドネオンとアルゼンチンタンゴを最も深く堪能するための、究極の形だ。5重奏のことをクインテット(quintetto・イタリア語)と呼ぶこともあるが、三浦さんのバンドはピアソラが使っていた呼び方、キンテート(quinteto・スペイン語)という表現で呼ばれている。

三浦さんはこれ以外に、オーケストラ編成である東京グランド・ソロイスツも率いている。オーケストラ編成では、大勢の演奏家たちが放つ膨大な音の束を、溺れて呼吸ができなくなるのでは? と思うくらいに約2時間、真正面から浴び続ける。それは、マイクを通して電気信号に変換された質量のない音を耳に流し込んでいくような体験ではなく、演奏している方たちのパワーを総結集した波が体全体にぶつかってくる、演奏者と観覧者の肉弾戦のような体験だ。

対してキンテートは、演奏者の5人のコミュニケーションを間近で見ながら、至近距離で楽器の音を聞いているような感覚だった。ヴァイオリニストの弓の動きを視界の隅で確認しながら発音の間合いを取る瞬間。演奏者同士が視線と視線を交錯させ、まだ奏でられていない音のはじまりのリズムを確認し合っている瞬間。まるで自分が演奏側に立っているかのような感覚で、演者同士の意思疎通を見ながら、5人のサークルの中にどっぷりと浸かることができた。

サッカーで言うと、スタジアムの観客席でスケール感を感じながら全体を俯瞰できるのがオーケストラ。キンテートは、自分自身もコートに立ち、選手やぎりぎりのラインでパスが送られたときのボールにぶつからないように、試合を邪魔しないように自分も走る。プレイヤーたちの表情やコミュニケーション上のやり取りも至近距離で観察できる距離感が、キンテートだ。自分がプレイするわけではないが、一緒に芝生の上を走る感覚だ。

楽しい。見ていて、楽しい。音楽とは本来、聞くものだ。しかし、キンテートは、5人がお互いを感じ合いながら演奏しているさまを、見ているのがとにかく楽しかった。そこにあったのは、非言語コミュニケーションの応酬だ。

演奏している曲は、多少の編曲はあったとしても、曲の長さはオーケストラの時とそんなに変わらないはずだ。しかし、キンテートの場合は1曲1曲が50mくらいの短距離走のように感じた。見ているこちらも、曲が終わるごとにはぁはぁと息を切らせてしまう速度で堪能する。堪能という行為そのものが、全速力で行われる。視線、指先、ハーモニー、残響、リズム。一つ一つに過剰なほど集中しながら聞く。体を前に乗り出しながら、眉間にしわも寄っていたかもしれない。5人を凝視して一つ一つの挙動に心酔することで、自分も演奏に参加しているような感覚になってしまう。1曲終わるごとに、演奏している感覚を持つなんてあつかましいじゃないかと、襟を正して何度も座りなおした。

最新のアルバムで、先述のピアソラが作曲したバンドネオンの代表的な曲「リベルタンゴ」を収録しなかった三浦さん。この日もプログラムにリベルタンゴの文字はなかった。代表曲が不在だったからこそなのだろうか。曲の1つ1つが表す感情の奥底に、何が潜んでいるのか、そこを自分がぜひ理解したいという気持ちで、深く深く、聞き入ることができた。代表曲をあえて演奏しない効果とはこれかと、納得しながら聞き入っていた。そして迎えた、アンコール。

三浦さんは会場の真ん中にスタスタと移動してきた後、バンドネオンに向けられていたマイクを、手で少し上向きに傾けた。「立ち弾きだ!」と悟った。バンドネオンの重さは約7キロもある。以前インタビューしたときに「生涯立ち弾きの方もいたけれど、よくあんなことができるなと思う」と仰っていた。その立ち弾きを、見られるのだ!

その立ち弾きで聞かせてくださったのが、なんと、「リベルタンゴ」だった。ピアニストが鍵盤を幅広く使って広いラウンジに皆を招き入れるような演奏をした後、その真ん中で突然殴り合うような激しい演奏をバンドネオンとヴァイオリンが繰り広げた。エレガントさとバイオレンスさが急展開で切り替わる。アルゼンチンタンゴのこういうところが好きだ。ゆったりと数本の木漏れ日が差し込む緑豊かな川のほとりで、切り株の上に腰掛けて眠気を気持ちよく感じながらうとうとと音を聞く。そんな場所にいたかと思ったら、突然全速力で何者かに追いかけられながら疾走するような切羽詰まった世界に連れ出される。描く感情と情景が異常なほどに幅広く、変化が急速なのだ。

演奏の激しさとはうって変わり、カーテンコールでは5人全員が照れくさそうだった。不器用そうに挨拶されている様子を見て、これまでコンサートで何度も拝見してきた三浦さんたちと変わらないその表情に、安堵を覚えた。いい演奏をありがとうございましたという気持ちより、今日も一緒につむがせていただきましたという、やはり自分がキンテートの一員になったようなあつかましい気持ちだった。

クラシックのコンサートなどでは、しんと静まり返った会場で他の客がプログラムをめくる音がやたらとはっきりと聞こえるものだ。しかし、この2時間、周りの音に全く気付かずに5人に吸い込まれていたことに、終演後に気づいた。すさまじき5人の引力だった。5人が去った後にも、ステージ上にぼんやりと5人が立っていた分の気圧が残っているような感じがした。

1992年にこの世を去ったピアソラさんは、この公演を見たら、手を叩いて喜んだに違いない。アルゼンチンの巨匠が実現しようとしたバンドネオンの真髄、その音楽は、いまここ、日本という国で奏でられていますよと、天を見上げて唱えたかった。

文/hanata.jp

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