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フリーランスイラストレーター40歳、壁を超える【絵で食べていきたい/第19回】

30歳でフリーランスのイラストレーターになりました。さまざまなスタイルの絵柄で手早く描く、「コンビニのようなイラストレーター」として順調に仕事を得ました。しかし10年経ったころに「このまま描き続けていて大丈夫か?」と感じたのです。

気付けば40歳、なんだか壁がある?

フリーランス10年目。仕事は順調でしたが、いくつか気になる点がみえてきました。たとえばこういったことです。

・知り合いの編集者さんが減る

気が付くと発注者さんの多くは歳下で、駆け出しのころに仕事をくれた人たちは管理職になっていました。特に10代、20代向けの雑誌の編集者さんはどんどん若い人に入れ替わります。知り合いの編集者さんたちは編集長や副編集長クラスになるか、もっと上の年代向けの雑誌に異動します。若手編集者さんたちにとって、私は年上でベテラン、もしかすると「上司の友達」かもしれないイラストレーターです。彼らからすると、発注するのに敷居が高くなるのではないかと心配になりました。

・若者文化にうとくなる

イラストレーターはその時代の空気や感性を視覚的に表現します。しかし40歳に近付き、中学、高校生向けの雑誌に出てくる固有名詞が少しずつわからなくなってきました。もちろん新しい情報を得る努力はしますが、若い世代のイラストレーターは努力しなくても今どきの10代の感覚がわかります。絵柄の流行も変わってきます。私が描く必然性がない限り、10代をターゲットにした媒体からの仕事は減るだろうと思いました。

もちろん私と同年代向けの雑誌もたくさんあり、仕事もそちらにシフトしているので依頼が減っていたわけではありません。でもこの先を考えると「その世代だから頼まれる仕事」だけでは心もとないと感じました。

・体力が衰えてくる

イラストレーターになって数年目で収入額がぐっと上がり、それまでの最高金額になった年がありました。嬉しい反面「この働き方を10年後も続けるのは辛い」と感じました。なぜならそのときの稼ぎの主力は、単価としてはさほど高くないカットや、取材漫画など、時間や手間のかかる仕事だったからです。収入はキープしたいけれど、これから体力が衰えていくのに同じ働き方は続けられない。ならばもう少し効率よく稼げる方法を考えようと思いはじめました。

こういった悩み、行き詰まり感が40歳を目前にありました。巷でいわれる「40歳の壁」とはこういうことかもしれません。このまま何も手を打たずにこれまでと同じことをしていたら、今はよくても10年後、20年後にはこの仕事を続けていられないかもしれない。手遅れになる前に、やり方を大きく変える必要を感じました。

戦略を変えて壁を乗り越えたい

「専門店よりコンビニ」。これはイラストレーターをはじめたときに私が目指したイメージです。安定したクオリティの多種多様な商品が、比較的リーズナブルにいつでもすぐに手に入る。そんな使い勝手の良いイラストレーターを目指しました。絵のうまい人達がいくらでもいるプロの中で「困ったときは白さん」と頼ってもらえれば、仕事に困らないだろうと思ったのです。

けれど同じような戦略をとる人たちもまた、どんどん出てきます。多くの新人には「若さ」という強みもあります。それに対し、私の重ねた年齢やキャリアは「圧」になりかねません。せっかくコンビニを目指したのに、「敷居の高いコンビニ」では、利用する気になれないでしょう。

そうなると、コンビニからの方針転換が必要です。「この人でないと描けないから」と、指名される人になる必要があります。具体的には、

・自分の得意技を絞り、認知してもらう
・「〇〇ならこの人」と思ってもらえるブランド作りをする

という戦略をとることにしました。

ちょうどそのころ、デビュー当時から自分がアピールしてきた「レトロな少女漫画風イラスト」への依頼が増えていました。女性誌で使われるようになっただけではなく、憧れの駅ビルのキャンペーンビジュアルという大きな仕事もこのタッチで実現したのです。

少女漫画イラストの仕事が増えた背景には、時代の変化もありました。雑誌の読み物ページなどのちょっと尖った企画だけでなく、もっと広い分野でもレトロな少女漫画が使われる機会が増えてきたのです。さらにそのころ、レトロな少女漫画のイラストをパッケージやビジュアルイメージにした化粧品シリーズが大ヒットしました。残念ながらこれを描いたのは私とは別のイラストレーターさんでしたが、この商品が広く認知されたことは幸運でした。「マスを狙った広告などでもレトロな少女漫画は使える」と、広告など大きな案件をあつかう業界の意識が変わったからです。

ちなみに知人からは「あの化粧品のパッケージイラストを描いたのは白さんでしょう? すごいね」と勘違いされて慌てたりもしました。でもそう思われるくらい、この少女漫画風の絵は私もずっと描いてきたものだ、という自負もありました。それだけに「どうしてこの仕事が私に来なかったのだろう」と悔しがる一方で、この流れに乗らないのもまた悔しすぎる! と思いました(何度も書きますが、私は負けず嫌いなのです)。

せっかくなら、この時代の流れも追い風にしよう。描き続けていたレトロな少女漫画のタッチこそが私の作風だと、世の中に打ち出すなら今だと思いました。

「レトロなお姫様」といえば私、と認知してもらうために

何でも揃うコンビニからレトロな少女漫画イラストの専門店へ、自身をブランド化する。そのために今できることは何かと考えて、やったのは主にこの3つでした。

1:ポートフォリオサイトの再構築

それまで色々なスタイルの作品を一覧にまとめて、「なんでもあるお店」というイメージだった自分のポートフォリオサイトを、「レトロな少女漫画」や「お姫様」の作品中心に作り直しました。作風を絞ると、これまでの実績で載せられないものも多くなります。有名なおむつのパッケージ用キャラクターや、名の知れた会社のウェブ広告などは、削るのが惜しいと思いました。でもここで欲を出してあれもこれもと拾い上げては、専門店としての価値が下がります。心を鬼にして作品を選びました。それでもそこそこの実績が並んで見栄えのするプロらしいサイトが成立したのは、少女漫画タッチの仕事実績が増えてきたタイミングだったからです。

2:10周年記念個展を開催

デビューしてからちょうど10年目にあたる2010年、40歳のときにはじめて個展を開き、ブランディングに利用しようと思いました。これまでは自分のイラストで展示をする意味が見つからず、個展やグループ展に興味がありませんでした。私の絵が売れるとは思えなかったし、その時間で仕事をして確実に稼いだほうがいいと思ったのです。けれどこの展示で「レトロな少女漫画、お姫様といえば白ふくろう舎」というイメージをつくる。そういう宣伝や広告としての展示ならするべきだと思いました。

(撮影/野呂 英成)

展示の目的がブランディングなので、絵を見せること以上に、皆が楽しんで話題にしてくれること、伝えたいイメージを徹底することに振り切りました。展示イラストのモチーフは全部姫。会場には、姫の等身大顔ハメ看板を設置する(当時はそういうことをするイラストレーターはあまりいませんでした)。姫の塗り絵コーナーなど無料で遊べるスペースや、お菓子職人さんとコラボした「姫カフェ」も会場につくる。そしてなにより、自分自身が姫の恰好をして、会期中ずっと会場にいる。

ここまでやれば、「頼まれればレトロ少女漫画風の絵も描く人」ではなく、「あの人は本気で姫の世界を追求しているから……」という印象を持ってもらえるはずだと思いました。実際、この展示を境に「姫といえば白さんだよね」と言われることが増えました。面白いのは、個展を開く前から知り合いだった人まで私のことを最初からこのタッチ1本で描いている人と感じていることです。「コンビニからレトロなお姫様専門店へ」、ブランディング戦略としての展示はかなり成功したと思っています。

3:これまでの取引先、同業者との横つながりを強化

10周年記念の展示で、これまで取引のあったクライアントや同業の友人と直接会うことができました。それまではポートフォリオの持ち込みや新規の仕事の打ち合わせなど、理由がないとなかなか編集者さんに会う機会がなかったのです。用事がなくても「今度飲みましょうよ!」と気軽に誘い、本当に飲み会を実現してしまう友達がうらやましかったのですが、10周年記念の初個展となれば、私でも招待状を送る勇気が出ます。

展示をしてわかりましたが、ここぞという祝い事には、取引先も同業の友人も、本当に惜しまず顔を出し、力を貸してくれます。この経験から、自分も他の人の展示や、クライアントのイベントごとにはできるだけ足を運び、行けないときは宣伝に協力することを重要視するようになりました。その結果、これまでよりも取引先や同業者とのつながりが強くなった気がします。そしてこのつながりからさらに「白ふくろう舎さん? ああ、姫の人ですよね」と、より外の世界にまで自分のイメージが伝わりやすくなったと思います。

手は打った。壁は超えたのか?

こうして、ポートフォリオサイトを作り替えて個展をし、それをきっかけにより多くのクライアントや同業者とのつながりを強化しました。そこから大きく収入や知名度が上がったかというと、残念ながら目を見張るような差はありません。しかし実感として、必要な収入をキープしながら、以下のように楽に仕事ができるようになり、仕事の幅も広がりました。私にとっては大きな変化です。

まず、高額の案件を新規で受ける機会が増えました。実は仕事を少女漫画タッチに絞ると、他の仕事を受けるチャンスが減って収入が下がるのではないか、という危惧がありました。でもむしろ、これまでお付き合いのなかった取引先から「少女漫画タッチを描ける人を探しました」と依頼をもらうことが増えました。探してまで依頼してくれる場合、ある程度まとまった金額の仕事が多くなります。また、稿料の交渉もしやすくなりました。

さらに新規の依頼はほとんど「少女漫画タッチ」に絞られるため、制作の手間や時間が減りました。慣れた絵なので早く描けますし、資料も潤沢に揃っています。いちいちタッチについて先方とすり合わせる必要もありません(「シュール」などの言葉で悩むこともありません!)。もし「コンビニスタイル」を続けていたら、予想通り先細っていたかもしれないことを思うと、以前よりも楽に、単価が高めの仕事を続けることができているのは大成功だと思います。

一方、長い付き合いの人からは、これまで通り違う絵柄の仕事も受けます。特に水彩で食べ物を描くのは自分でも好きなので積極的に受けています。ただし水彩イラストのサイトは別に分けて、発注する人が混乱しないようにしました。最近はこのあたりの棲み分けがまざりはじめていますが、一度「姫の人」と思われているのであまり気にしていません。飽きっぽい性格を考えると、私の場合はこれ以上厳密に仕事を絞り込みすぎないほうが楽しく描ける気がします。

そこからまた10年。次の壁はあるのか?

振り返ると、40歳で感じた壁はなんとか乗り切り、方針転換は成功したようです。もちろん認知度はまだまだですが、個展をしてから10年間、私の仕事は「レトロな少女漫画」が主軸でした。展示をきっかけにそれまでとは違う仕事をする機会も増えました(このあたりはまた別で書きます)。

実は、こうして私があれこれと試行錯誤していた当時、「40歳の壁」という言葉はあまり聞きませんでした。私が心配していたのはむしろ「50歳の壁」だったのです。50歳になることばかり気にしていたら、いつの間にか世間では10歳分壁が近付いて「40の壁」ができていたのです。だからといって50の壁がなくなったわけではありません。現在50歳を超えた私は「やっぱりここにも壁があった!」と感じていますし、その壁を超えたかどうかは現在検証中です。この新たな壁についてはまたいつか書きたいと思います。

文/白ふくろう舎

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