
自分語りはつまらない? ひたすら受け身で聞くのではなく、面白がって聞くために【連載・欲深くてすみません。/第29回】
元編集者、独立して丸9年のライターちえみが、書くたびに生まれる迷いや惑い、日々のライター仕事で直面している課題を取り上げ、しつこく考える連載。今日は、大学生から聞かれた質問について、考えているようです。
先日、高校生と大学生に向けて、取材について話す機会があった。これから初めての取材に挑戦するというので、その方たちの聞きたいことをもとに「どのように問いかければ、紋切り型ではない話を聞けるか」を、一緒に考えてみることにした。
すると、参加した学生の一人が、このような質問を私に投げかけてくれた。
「取材相手の話が『自分語り』にならないようにするには、どうすればいいでしょうか?」
少しの間、質問の意味がつかめなくて、私はその場でフリーズした。取材とは「あなたの話を聞きたい」とお願いするものではないのだろうか。むしろ取材相手には、自分の見聞きしたことをどんどん語ってもらわなければいけないのでは?
間をあけて、話の文脈から質問の意味がようやくわかった。限られた時間のなかで、取材相手の個人的な話(特に、身の上話や自慢話)が長々と始まってしまうと、取材テーマに絡む質問に辿り着かなくなる。脱線させない、もしくは、いっとき脱線したとしても、どのように本線のテーマに戻すか、ということだ。
これは私も取材しながらよく悩むことである。脱線があながち悪いとは言えず、脱線に思える話のなかで、その原稿の核になるようなエピソードが聞けたことも少なくない。その場では、私が現場で気をつけていることを簡単に伝えた。
ただ、そのときの私には、質問してくれた方の思いとは違うところで、何か、とても大切なことに気づかされたような感覚があった。
そうだった。若輩の私でも最近取材に慣れた気でいたのか、その感覚を忘れていた。
そもそも、よく知らない人が勝手に始める「自分語り」は、つまらないのだ。
自分にはさほど関係のない人の、細かな過去。関心のないエピソードのディティール。その人にとっては大事なのかもしれないが自分にはさほど響かない感想や教訓。憧れのスターや推しの人、好きな人は例外として、これらを長々と聞かされるのは、ふつう苦痛なのだった。
ところが「はあ、また自分語りを聞かされた。つまらないなあ」とうんざりしている取材者に会ったことがない。相手の話を、単なる自分語りにさせない聞き方をしているからだろう。それは取材時のタイムマネジメントの話だけではないような気がする。
自分語りをただ聞くのではなく、何かしら面白さを見つけられるように聞くには、どうすればいいのか。
*
こんなシチュエーションで考えてみたい。バーでたまたま隣に座った人が、身の上話を始めたとする。
「大して誇るべき仕事をしてこなかった私ですが、娘が二人、無事に成人したことは、私の人生の中でも格別の喜びでした」
いい話だ。すてきな方だ。ただ、見知らぬ人のほっこりする話からは、刺激や驚きの類はない。こういうのも世にいう自分語りのひとつである。
ところが、ここで勝手ながら「店を出たあと、この人について友人にLINEする」と仮に決めてみると、話の“聞こえ方”が変わってくる。この人の話を誰かに伝えること、しかも、できれば関心をもってもらうことを制約にした途端、さきほどのエピソードが“相手を知るためのヒント”のように耳に入ってくるのだ。
相手の語る言葉だけではない。相手が身につけているもの、しぐさ。もう何がヒントになるかわからない。
「二人の娘が成人した」。そうですか、娘さんたちは今おいくつですか? 成人式の日はどこで過ごされました? 子どものときはどんなお子さんで?
「大して誇るべき仕事はしてこなかった」。またまたぁ、ところで、お仕事は具体的に何を?
あら、そのキーホルダーは? もしかしてアニメがお好きなんですか?
肝心なのは、ただ相手を知るのでは足りないということ。見ず知らずの友人に届くようなエピソードに、自分の手で「編集」しなければならない。
さて、ここで興味深いことがおきる。たまたま隣に座った話し手と、聞き手のあなた。この関係に「友人に伝える」ミッションが加わるだけで、話題の面白さを厳しくジャッジする役割が必要になるのだ。この視点がなければ「この話題がいいな、もっとくわしく聞こう」と判断できず、ひいては編集もできない。
ただ聞くだけであれば「そうですかー」「なるほどー」でやりすごすような話でも、ジャッジ役が反応することがある。なんかそれ、面白そうだよ。友人も食いつくかも。ここ掘れワンワン。ワンワン。
*
見知らぬ人の話をなるべく面白く聞こうとするなど失礼極まりないようにも思うが、こういう妄想を現実にやってみると、ときどきとんでもない話が聞けることがある。ありふれた話に見えて、丁寧に状況を捉えていけば凡庸なエピソードなどひとつもないのだと感じ入ることもあるし、「先週、マッチングアプリで知り合った人にプロポーズされたのですが、その人たぶん、どこかの国のスパイなんです」のようなとんでもない話が出てくることもあった(実話)。
面白い話をください、私の心を動かしてください、と待っていても聞けない話が、ジャッジ役の登場によって、聞けることがある。
能動的に聞く。心が動くほうに向かって聞く。話を聞くだけの裏方のポジションにいるようでいて、極めて厚かましく、こちらの欲を満たすように聞く。
「取材相手の話が『自分語り』にならないようにするには、どうすればいいでしょうか?」
面白い質問だった。受け身でいないで図々しくいこう、と思う。
文/塚田 智恵美
【この記事もおすすめ】