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成長・変化・ポジティブ思考……ぜんぶしんどい! うつ病になって考えた『弱さ考』。元NewsPicksパブリッシング編集長/井上慎平さん【編集者の時代 第13回(特別版)】

「他のビジネス書が武器だとしたら、この本は、生身の人間が働くための防具だ」

今春刊行され、早くも5刷となった話題作『弱さ考』の序章にはこう書かれている。
著者は、出版社ディスカヴァー・トゥエンティワン、ダイヤモンド社で書籍編集者として活躍し、NewsPicksパブリッシングの創刊編集長に抜擢された井上慎平さん。スピード命のスタートアップの激流に飛び込んだ井上さんは、創刊から2年後に力を使い果たし休職に至る。診断名は双極性Ⅱ型障害。

休職期間中、井上さんは100冊以上の本を読み、自分の体験と本の内容を重ね合わせて考えた。
「人間は成長しつづけないといけないのか」
「常にポジティブでいないといけないのか」
「結果を出さなければ意味がないのか」
『弱さ考』には、井上さんが本を読みながら考えたこと、徐々に自分の生活を取り戻していく過程が書かれている。

筆者・中村は本書を読み、適応障害の診断を受けて会社を辞めた「過去の自分」と重ね合わせた。そして知りたいと思った。心を病んだ井上さんにとって、読むことや書くことはどのような行為だったのか。弱さについて考えた末、井上さんはこれからどのように働こうと考えているのか。

聞き手/中村 昌弘・佐藤 友美(さとゆみ) 構成/中村 昌弘

「できる編集長のフリ」が自分を追い込んでいった

──今まで読んだ本の中で、付箋を貼った箇所がぶっちぎりNo1でした。

井上:ものすごい数の付箋ですね。

──これには理由がありまして。僕は会社員だった10年前、転職後のストレスから適応障害の診断を受け、逃げるように会社を辞めた過去があります。そのときのことを思い出しながら読んでいたら、共感と発見が多く、気づいたら付箋だらけになっていたんです。これは自分のために書かれた本だと思いました。

井上:この本は僕が病気になって這い上がるまでの過程を書いた本なのですが、「これは自分のための本だ」と言ってくれる人が多く、うれしいです。

──本書の出版はウェブでの連載がもとになって?

井上:2022年からNewsPicksトピックスで書き始めた、書籍と同名の「弱さ考」という連載がきっかけです。もともと僕は、出版社のディスカヴァー・トゥエンティワンやダイヤモンド社で書籍の編集をしていました。その後NewsPicks(現・ユーザベース)に移り、NewsPicksパブリッシングという出版レーベルの創刊編集長に就任しました。

──当時まだ30歳前後でしたよね。編集長のオファーは大抜擢ですね。

井上:だから、なんとか結果を出そうと必死でした。でも、スタートアップのスピード感は、出版社時代とまるで違って。前職では、長ければ数年かけてじっくり本をつくっていましたが、NewsPicksではそうはいかない。「つくった本ってどこに置くんだっけ?」「採用ってどうやってするの?」と本づくり以外の仕事にも追われ、毎日会議の連続。多い日は10本以上の打ち合わせをこなしていました。

今思うと「仕事ができる人」に見えるように精一杯、強がっていたと思います。慣れない仕事に取り組むときも「自分はわかってますよ」というスタンスで臨む。さっき聞きかじったばかりの横文字を使いながら、強がりを悟られないようにしていました。「おれはここでも通用する。本づくり以外もできるんだ!」と自分に言い聞かせながら。結果、その皺寄せがきました。

──休職へとつながっていったのですね。

井上:NewsPicksパブリッシングはヒット作にも恵まれたのですが、僕自身は創刊から2、3年経った頃、身体が動かなくなることが増えていったんです。胸がつかえるような感覚が消えず、上手く息を吸えない。「すみませんうちあわせやっぱ1時間後に」と、句点も読点もないメッセージをかろうじて送り、ベッドに倒れ込んだこともありました。もうこの時点でおかしいのですが、本当にヤバいなと思った決定的な出来事があって。

井上:ある日、子どもの保育園のお迎えのために、走って会社から駅に向かっていたとき、ふとガードレールが目に留まったんです。そのとき、「あ、殴りたい」と反射的に思いました。「このガードレールを金属バッドでボコボコに殴ったら気持ちいいんだろうなぁ」と。そして、電車に飛び乗ったあと、そんなことを思った自分が怖くなったんです。人に対して同じことを思ったらどうしようと。さすがにこのまま仕事をつづけたらまずいと思い、2週間のお休みをもらいました。それからは復職しては休職するというサイクルを、何度も繰り返しました。

──できないことがどんどん増えていったと、書籍には書かれていました。

井上:まず話すのがつらくなり、そのあとは読めなくなった。無理やり読もうとすると、何度も同じ行を目で追ってしまい頭に入らない。「読む」がダメなら「観る」はどうだと思ったのですが、観ることも段々つらくなっていきました。残ったのは聴くだけでしたが、いよいよそれも危うくなってしまい。

読む、観る、聴くがダメになってからは「自然への恋しさ」だけが残りました。何かしないと落ち着かなかったこともあり山登りをしていたのですが、今思うとうつを悪化させる行為でしたね。

──そこから「時間をかけてゆっくり回復していった」過程を書いたのが、NewsPicksで連載した「弱さ考」なのですね。

編集者を逆指名。「ゴールに立っていてほしい」人だった

──連載時から拝読していました。現役編集長がうつを告白して書いた内容として、メディアでも話題になっていました。今日は、担当編集者の今野さんもご同席されていますが、書籍化する際、NewsPicksではなくダイヤモンド社の今野さんに編集をお願いしたのはなぜだったのでしょうか?

井上:そう、ダイヤモンド社で出したい、ではなくてとにかく今野さんに編集担当についていただきたい、それだけだったんですよね。同僚時代から、彼が愚直なまでに本と向き合う姿勢を真横のデスクで見ていたから。でもそれだけじゃないんですよね。あえて言葉にするなら、ゴールに今野さんが立っていてほしかったから……ですかね。

──「ゴールに立っていてほしかった」と指名された今野さんは、どう思ったんですか?

『弱さ考』担当編集者の今野良介さん(ダイヤモンド社)

今野:3年くらい前に、(井上)慎平から突然「NewsPicksに連載している記事をもとに本をつくりたい。編集してくれないか?」とメッセージが来たんです。とりあえず「えwww」と返信しました。いやいや、どういうこと、という感じで。連載元のNewsPicksには書籍レーベルがあるわけで、順当にいけば自社で出すだろうと。私自身も「どんな本になるのかなあ」と思っていましたから(笑)。

──でも結果、承諾したと。

今野:よく考えたら、自分はちょうどいい存在かもしれないなと思ったんです。慎平がダイヤモンド社を辞めたあとも、たまに焼肉を食べに行ったりして、転職後の仕事も知っていたし、彼が体調を崩していく過程も付かず離れず見ていました。いちばん近くで見ていたわけではないけど、過去から現在の変化を知っている。慎平からすると、細かい事情を話す必要がないのでガーッと原稿を書けるかもなと。だから「自分でよければ」と引き受けました。お互い社内調整は大変になりそうだとも思いましたが、理由がシンプルだったので、なんとかなるかもな、と。

──編集するうえで意識したことはありますか?

今野:「何もしないこと」です。

──何もしない?

井上:そうそう。あまりに何も言われないから不安になって「もっといろいろ指摘してください」みたいなことを言った気がする。

今野:耐えました。

──耐えた。

今野:「もっといろいろ指摘してください」っていうのは、「編集者としての仕事をちゃんとやれよ……」って言われてるようなものですからね(笑)。
文章から伝わってくる慎平の人柄と、こうやって実際に会ったときの印象って、似てませんか? 質問に対して答えをバシっと言って終わり、ではなく、じっくり考えて言葉を選ぶ。誰も傷つけないことなんて不可能だけど、可能な限り意図的な傷つけをしないようにと、「ああでもない、こうでもない」と話が長くなる。この本は、そんな彼の思考の行ったりきたりを丸ごと出すことに意味があると思ったので、編集者が「わかりやすく」まとめてはいけないと思ったんです。「余計なことをしちゃいけない」と自分に言い聞かせていました。

読者の感想を読んでいると、本そのものの感想だけではなくて、慎平の思考の過程に自分の経験を重ね合わせる人がとても多いんです。そういう本であってほしいと思ってつくったので、「何もしない」というやり方は間違いではなかった気がします。結果論ですけど。

読むこと、書くことで救われた

──本書に「うつになってから本を読めなくなった」と書かれていましたが、『弱さ考』は100冊を超える参考文献をもとに書かれていますよね。読むことと書くこと、どちらが先にできるようになったのでしょうか?

井上:う〜ん、どっちだろうな……。どちらが先かと聞かれると、連載が始まったのが先だったので「書くこと」かな。

──個人的な話で恐縮ですが、我々ライターの中には心を病む人が少なくありません。『弱さ考』を読んだとき、「読むこと」や「書くこと」がそういった心の病にとって救いになる可能性を感じたので、質問させていただきました。

井上:なるほど、そういうことですね。個人的な悩みをぶつけてくれるのは、すごくうれしいです。本を読んで「自分ごと」にしてくれていると実感できる。

僕も同じ業界にいるのでわかりますが、ライターは孤独な仕事だと感じます。たしかに病みやすいかもしれません。「読むことや書くことがどう人を救うか」という話から少しずれますが、僕の場合は読書によって「自由」になれた感覚がありました。

──自由に?

井上:たとえば『加速する社会』という書籍を読んだことで、現代社会に根づく「いつまでも同じままでいてはいけない。変化しよう、成長しよう」という考えの源泉を知り、それこそが自分を縛る鎖であると気づきました。

昔は数世代に渡って職業が変化しないことも珍しくありませんでしたが、今はひとりの人生だけでも職業がどんどん変わりますよね。そんな加速する社会において「いまの自分のままでいいや」と開き直るのは難しい。だから「成長しなきゃいけない」という鎖に縛られてしまう。

現代社会はこういう鎖がたくさんありますが、厄介なことにそれは目に見えないので、縛られていることにすら気づけない。本を読むことで、縛られていること自体に気づき、何に縛られていたかを知れる。それは自分を自由にする行為だったと思うんです。

──わかる気がします。僕が会社員だったころ、自分より圧倒的に成長意欲が高く、優秀な人に囲まれていました。今思うと「みんなに追いつくために、自分が変わらなきゃいけない」という鎖に縛られていたのかなと。結果、心がつらくなり退職しました。

井上:それはまさに「成長しなければいけない」という鎖に縛られている状態ですね。それに気づけないと、いつの間にか心が病んでくる。

──井上さんは「読む」ことで鎖に気づけたと思うのですが、「書く」ことで変化はありましたか?

井上:う〜ん、書くこと……か。そういえば今野さんには「書くことで慎平自身が救われる本であってほしい」と言われましたよね。

今野:言いましたね。本をつくるうえで、唯一伝えたことかも。先ほどの編集方針の話で「何もしない」と言ったのはちょっとカッコつけてて、「何もできなかった」という面があったんです。今回の本は、「弱くなった自分が弱いままで強い世界をどう生きていくか」を自分で見出していく過程を書いているので、僕の役割はそれを見守って受け止めることだなと。指名されたのは、それを求められているんだと勝手に解釈したんです。誰よりも自分を救う本になってほしかったし、それを応援する態度で受け止めることしかできませんでした。

──「自分自身が救われる本に」と言われたとき井上さんはどう思ったんですか?

井上:最初は「何を言ってるんだろう?」という感じでした。僕は本を編集した経験はありますが、書いたのは初めてなので「書くことで救われるってどういうことだ?」と思って。

ただ、書いていくうちに今野さんが言っていた意味が少しずつわかってきたんです。最初は誰かに伝えるために書いていましたが、段々「これは自分に言い聞かせてるんだな」と気づきました。なんて言うんだろうな……書くことで自分を許している、肯定しているという感覚に近いかな。

──言い方が難しいのですが、強い自分であろうとしていた過去の井上さんより、たくさんの本を読み、思考し、弱さを抱えて生きる覚悟をもった今の井上さんの方が、豊かな生活を送っているように感じました。

井上:言いたいこと、何となくわかります。

──『弱さ考』を読んだとき、弱さを抱えて生きるという井上さんの考えは、現代社会を生きる我々が目指したい生き方のひとつだと感じました。それを体現しているから、今の井上さんが豊かに見えるのだと思ったのです。

井上:もしそう見えているなら、この本を書いたことで僕は自分の言葉をもてたのかもしれません。

──自分の言葉、ですか?

井上:いろいろな本を引用して書いたので、実は『弱さ考』では新しいことはそれほど言ってないんです。でも、矛盾して聞こえるかもしれませんが、『弱さ考』に書かれていることは紛れもなく僕の言葉なんですよね。

僕は、その文章がオリジナルかどうかは、他者の文章との差異で測るものではないと思っています。頭の中のモヤモヤを自分なりに考え、言葉にしたかどうかが重要かなと。

うつになり、どうしたらいいかわからず、困って困って、考えないと生きていけなくて。そうしたら先人たちが本を通じていろいろ教えてくれた。その教えを生き延びるために紡いだ言葉だから、『弱さ考』に書いた文章は疑いようのない自分の言葉です。その言葉をもつことが、今野さんの言う「自分を救う」ことにつながるのかなと思います。

タイパ・コスパ的思考からどう解放されるか

──『弱さ考』に書いてあった「時間は分配されるものではなく生成されるものだ」という部分を何度も読みました。時間は「与えられる」ものではなく「自らつくり出すもの」という考え方が新しく、自分自身にとって大事な気がしていて。でもまだ理解しきれていない気がします。

井上:ここ……難しいんですよね。『弱さ考』のなかでも、いちばん伝えにくい部分でした。

『時間についての十二章』という本に「時間は消費されているのではなく、創造されている」と書かれていたんです。それが衝撃的で。僕はこの書籍に書かれている「消費」を「分配」に、そして「創造」を「生成」と読み替えて理解しました。

「生産性」という言葉が日常的に使われていることからもわかるように、今の世の中は、少ない時間で最大限の成果を上げることが正解とされています。

──タイパ・コスパ思考と通じるものがあります。

井上:まさに。

井上:タイパとかコスパ思考って、「僕らは24時間を全員が等しく分配されている」という考えからの発想なんです。「分配された時間」を生きていると「この時間をいかに効率的に使うか」という競争に巻き込まれます。「より少ない時間で、より多く」という考えですね。だからどんどん身体が前のめりになる。

たとえば、休日に1日中ぼーっとしていたら、なんかもったいないと思ってしまいますよね。本来は「本を読んだ」「美術館に行った」「友だちとお茶をした」など、自分の身になることをやりたいと考える。でもこう考えてしまうのは、実はしんどいことでもあります。「1分あれば何か有益なことをやらなくては」と思ってしまい、常に有意義かどうかを意識している。僕はうつの症状が出ていたときですら、そんな状態でした。ぼーっとすることに罪悪感があって、無理やり山に登ったり湯治に行ったり。でも結果的に、それこそが症状を悪化させるという。

一方、「時間は生成されるもの」と捉えれば、タイパやコスパといった世界の見方から少しだけ距離を取れます。『時間についての十二章』という本を読んで、そういう「時間感」をもっていいんだと気づきました。

──……ちょっとまだ理解が追いついてないかもしれません。

井上:「物や人と関係性を結ぶことで時間が生成される」という考え方なんですが、いきなり言われても難しいですよね。僕もまだ理解しきれていません。

たとえば自分の娘が生まれた瞬間に、30年後にタイムスリップしたとします。そこでは結婚式が開催されており、娘が自分に向けて「父への手紙」を読んでいる。それを聞いた自分はどう思うか? 多分それほど感動しないですよね。なぜなら30年という月日が欠落しているから。つまり娘とのあいだに関係性ができていないので、時間も生成できていない。結婚式に至るまでの時間を娘と過ごし、関係性の糸がだんだんと太くなるからこそ涙が出るわけで。

これ……伝わってますかね?

今野:ちょっと口挟んでもいいでしょうか。たとえば友人と話していたら5時間経っててビックリ、みたいなことがあるじゃないですか。それって初めから5時間話したかったわけじゃないですよね。時間のことを忘れるくらい楽しくて、いつの間にか時計の針が5時間分進んでいたから驚くわけで。

「今から5時間こういうことを話しましょう」と決めて話すのと、「気づいたら5時間経っていたこと」は違う。

そういうような話ではないかな?

井上:そうそう、まさに。時間は分配されるものと思ってしまうと「この5時間でどんな有益な話ができたかな?」と考えてしまう。そうではなく、友人との関係性によって、「(結果的に5時間という)時間が生成された」と考えれば、「この時間をいかに効率的に使うか」という競争から少し距離を取れます。要するに、時間という概念があまりに強固なので、それを捉え直す練習をしよう、という提案ですね。

──そうすればタイパ・コスパ的な考えからも距離が取れると。

井上:はい、少しずつ。ただ同時に言っておきたいのは、こうやって「時間は生成されるものだ」と書いた僕も、いまだに考えがブレるということ。障害を受け入れて弱いまま生きようと思えるときもあれば、「いや、まだまだこんなもんじゃない! 頑張りたい。目立ちたい」と思うときだってあります。

だからこの本を読んだ人の中にも、「なるほど、そういう考えもあるのか」とそのときは思っても、気づけばまた「生産性が大事!」と前のめりになることもあると思うんです。そのときに「自分は結局変われない」と絶望したり、責めたりしないでほしい。人間、そんなすぐには変われません。本を読んで自分に変化が起きることは理想かもしれないけど、まぁすぐ変われないのが人間だよねと。そのくらい軽く考えて、変われない自分を自分で傷つけないでほしい。

「本」と「問い」があるとフラットに学べる。究極の読書体験を求めて

──本の中で「きちんと相性を分析して、自分に合う組織を渡り歩けばいい」と書いてありました。井上さんはご自身をどのように分析したのでしょうか? これからはどのように?

井上:NewsPicksを辞めたあと、編集者・プロデューサーの岩佐文夫さんと一緒に『問い読(といどく)』という事業を共同創業しました。「問いからはじめるアウトプット読書ゼミ」というオンライン読書プログラムです。分厚くて気合いを入れないと読めない、いわゆる「ちょいムズ本」を題材に、正解のない問いについて対話する。ふだん読めない本を、ふだん出会わないような仲間と読み切ることには、格別の達成感があります。

書籍には「組織との相性を分析する」と書いたのですが、「自分が心地よく働ける場所はどこか?」を考えるくらいでいいと思っています。結婚相手と一緒ですよ。たとえば「どんな人がタイプ?」と聞かれて答えたとしても、実際に結婚した人は全然違うタイプということもある。「よくわからないけど、この人がいいんだよ!」みたいな。そこには「一緒にいてなんか心地いい」みたいに、言葉には還元できない何かがあると思うんです。

これは仕事も同じだと思っていて。ただ、最近は「なぜその会社に入社したのか?」「なぜその事業を始めたいのか?」と、言葉にすることを強く求められる傾向がありますよね。僕はこれを「説明過剰社会」と呼んでいるのですが、今は言語化を重視する風潮が強すぎると思っています。だから僕はあえて「無理に言葉にしなくていい」「言葉以外の要素をないがしろにしてないか?」と言いたい。

──たしかに「言語化しよう」とよく言われますし、自分も言う気がします。

井上:新しいことを始めるときは特にそうだと思います。大きな旗を掲げがち。かっこいいビジョンを打ち出して「私たちが目指す姿はこれ。そのためにこういう活動をしています」と宣言することが多い。でも大きな旗を掲げてしまうと下ろせなくなり、自分を追い込んでしまうこともあります。

──『弱さ考』には「起業したとき、あえて旗は掲げなかった」と書かれていました。

井上:そうなんです。だから、「なんでこの事業を始めたんですか?」と聞かれても、バシッとかっこいいことは言えません。「過去に『問い読』を開催したときの参加者が、びっくりするくらいいい顔をしてた」みたいに、言葉にすると小学生が何かを始めるくらいの理由です。でも今の僕は、そのくらい力まない方がいいと思っています。

──「問い読」を通じて参加者にどんな体験を届けたいですか?

井上:一言で言うと究極の読書体験をつくりたいんですよ。僕も岩佐さんも読書会があまり好きではないから、自分たちが行きたくなるような読書会をつくろうと。その結果いきついたのが、フラットな「N対N型」の学びの場づくりでした。

学校での学びって、先生が1人いて大勢の生徒が教わるスタイルですよね。これは社会人になってからも同じで、インフルエンサーやオピニオンリーダーから大勢の人が学んでいます。いわゆる1対Nの形式。一方、「正解のない問い」を真ん中に置いて対話すると、N対Nの関係になる。正解がないからこそ、知識や経験の有無は関係なくなる。だからフラットに学べるんです。

たとえば人類史に関する本を読み、正解のない問いを真ん中に置いて対話したとします。すると、その分野に初めて触れた人から素朴な疑問が出てきて、人類史に詳しい人に「その視点はなかった」と刺激を与えることがある。「問い読」は、誰もが生徒であり先生でもあるという、フラットな関係で対話できます。

──それによって学びが深まる。

このインタビュー中に、僕は何度か「個人的な質問をしてくれるのがうれしい」と言ったじゃないですか。まさにそれなんですよ。中村さんや佐藤さんが僕への質問を考えるときに、『弱さ考』を読み自分に引き寄せながら考えてくれた問いを、僕にぶつけてくれた。今回はインタビューなので著者である僕との対話になりますが、普通は対話する場がありません。フラットな利害関係のない場となるとなおさらです。そこに、いろんなバックグラウンドの人が集い、「ちょいムズ本」に挑むなかで自然と同志感が生まれてくる。「問い読」は、そういう場です。

井上:AIが生活に浸透する時代に、「情報を得るもの」という役割だけの本の影響力は小さくならざるを得ません。だからこそ、その本を通じて得られる「体験」が大事になる。「問い読」は本から得られる体験として、いちばん面白いものをつくれたと思っています。

──それが究極の読書体験。

井上:うつの症状が重いときは、編集者なのに本を読むことができないと絶望したこともありました。でも今は読書に関する事業をつくっているという。なんだかんだ僕は本が好きみたいです。(了)

井上慎平( いのうえ・しんぺい)1988年生まれ。京都大学総合人間学部卒業。2011年ディスカヴァー・トゥエンティワンに入社。書店営業や広報などを経て編集者に。2017年ダイヤモンド社に入社。2019年NewsPicksにて新レーベル「NewsPicksパブリッシング」を立ち上げ、創業編集長に就任。2025年、株式会社問い読を共同創業。担当書籍に、安宅和人著『シン・ニホン』、中室牧子著『「学力」の経済学』、北野唯我著『転職の思考法』などがある。

今野良介(こんの・りょうすけ)1984年東京生まれ。早稲田大学第一文学部卒業。 日本実業出版社を経て現在ダイヤモンド社書籍編集局所属。担当書に『弱さ考』『いい音がする文章』『読みたいことを、書けばいい。』『ていねいな文章大全』『カメラは、撮る人を写しているんだ。』『1秒でつかむ』『会計の地図』『お金のむこうに人がいる』『0メートルの旅』『東大卒、農家の右腕になる。』『子どもが幸せになることば』など。 好きな歌手はaiko。

撮影/深山 徳幸
執筆/中村 昌弘
編集/佐藤 友美

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