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作るとつくる【さとゆみの今日もコレカラ/第 106 回】

一冊の書籍を出すときには、基本的に表記統一をする。「例えば」と書くか「たとえば」と書くか、一冊の書籍の中では統一をするのがセオリーである。ただし、ひらがなが続くので漢字で書いたほうが視認性が良いとか、理由があるときは、統一しないこともある。

メディアの場合は、基本的に表記統一表があったり、記者ハンドブックに準じるなどのルールがあったりする。が、書籍は基本的に著者の意志が尊重される。

先日、『本を出したい』の再校をチェックするにあたって、編集者のりり子さんと zoom で打ち合わせをした。その時点で気になっている懸念点をすり合わせる。そこでりり子さんが「基本的に表記はさとゆみの好きなようにしてくれていいんだけれど」と前置きをしたあとに、一点だけ、と話を続けた。

「本を作る」と書くときは、できればひらがなで「本をつくる」にしたいねんと、おっしゃる。

本をつくるには、作るの意味だけやなくて、創作の意味の創るもあるし、造本する意味の造るもあるやろ。だから、全部の意味を含める「つくる」にしたいんやけど、どうやろう。

もちろん異論なかったので、そうしましょうと答えた。そして、こういう話をするのが楽しいよなあ、と思う。読者の人は気づかないようなことだろうと思うけれど、作り手として意味を込める漢字やひらがなは多い。そしてそれらを確認しているときは、洗濯物の角をピシッとそろえて畳んでいるときのような気持ちよさがある。

別の担当編集さんとの話だが、どの漢字にルビをふるかで、何十分も議論したことある。基本的にあまりルビを振りたくない派の私。「こんな簡単な漢字にルビを振るなんて読者を馬鹿にしてる感じがする」と言うと、その編集者さんは「読めない漢字があることはなんら恥ずかしいことじゃない、むしろさとゆみさんの方が読者をバカにしている」みたいなことを言いはじめ、「書籍におけるルビのあり方とは?」を侃侃諤諤話し合った。結局どの漢字にルビを振り、どの漢字に振らなかったのかは忘れちゃったけれど、あの議論していた空気はすごく楽しくて幸せだった。

そういえばその編集者さんには、「嬉しい」は常用漢字外だから「うれしい」にしませんか? と言われたこともある。イヤ、と答えた。

漢字の「嬉」を見ると私の脳内には、女の子たちがきゃっきゃと喜んでいる楽しそうな映像が展開する。フォークダンスのポルカのような感じ。「うれしい」だとその映像は見えない。

まあでも、これもジェンダーに配慮してなどと言われたら強く主張できないのかもしれない。

先日公開した『夜明けのすべて』の三宅唱監督のインタビューでは、「彼ら」という表記ではなく、「かれら」と書かれている部分がある。この部分は監督ご本人の加筆だ。インタビュー中も一番フィットする言葉に何回か言い換えるシーンがあった方なので、この「かれら」も、こだわりがあってのことだろうと思う。メディアとしての表記統一はあえてしなかった。たしかに「彼ら」と「かれら」では受ける印象が全然違う。

言葉を大切に使う人たちのそばにいられる時間は、とても豊かで幸せで す。そういう人たちに取り扱われた言葉たちは、幸せそうに整列しているなと思う。

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━━有名な作家さんだとファンも多いですし、原作の内容を変えることに怖さを感じることもあるのでは。

三宅:ええ、怖いです。今回は恋愛するかしないかというところに大きな改変をしないことが最重要だと思っていました。映画化の例で、小説の中では恋愛をしないのに、映画になったとたんに恋愛ものになるケースもあるわけです。それは『夜明けのすべて』ではあり得ない。

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