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もうだいぶセパレート【さとゆみの今日もコレカラ/第 228 回】

先日、ある子育てに関するインタビュー取材を受けた。

今の若い女性たちが、どれだけ育児に対してネガティブな印象を持っているかといったデータを見せてもらい、その場にどよーんとした空気が流れる。

私の場合、妊娠中がトラブル続きだったので、生まれたときは心からホッとした。やっとセパレートできた。文字通り、リリースできたという気持ちになった。

妊娠中は私からしか栄養をとれないし、私にしか守れなかった命だけれ  ど、外に出てしまえば世界じゅうのみんなが守ってくれる。手元に抱いた小さな命を、「はい」と、物理的に人の手に渡せることを、どれほどありがたいと思ったことか。

この子に対しての私の責任は、いま、大部分終わった。あとはみんなの手を借りて育てていけば(育っていけば)いい。そう思ったら、それまでの孤独なプレッシャーから解放された。

あのとき、私が無条件に感じていた「社会への信頼」みたいなものは、いったいどこから生まれていたのだろう。そして、いま、その時の私のように「生んでしまえばあとはなんとかなる」と思えない社会であることに対しては、若い人たちに対して申し訳ない気持ちになる。

経済的な事情があったので、私は生んで2週間後には撮影現場に行っていた。1ヶ月後にはゆるゆると復帰した。以来、惜しみなくいろんな人の手 を借りてきた。働かないと家賃が払えない。働くためには誰かに預ける必要がある。ほかに選択肢はなかったし、選択肢がないから全然迷わなかっ

た。もちろん罪悪感なんてゼロだった。

シッターさんに預けたり保育園に入れたりしたときは、「自分以外に、この子のうんちの回数を気にしてくれる人がいる」ことが、とても心強かった。

私にできること、というか、私にしかできないことは「ママは、キミが大好き で、宝物のように思っている」ことを、伝え続けることだけだなと思った。あとはだいたい、私でもいいけど私じゃなくてもいい。

✳︎

ある日、会食から戻ったら、子どもが私のベッドで寝ていた。もう私の体よりもずいぶん大きくて、足がベッドからはみ出ている。

いつものように頭を撫でて「ママは、キミが大好きだよ」と小さい声で伝えたときに、頭が熱いなと思った。あららと思って熱をはかると 38.8 度とある。私も息子もよく熱を出す体質なので、38 度台は慣れたものである。すぐにコロナの検査をして(検査薬が家に大量にある)陰性だとわかったので、そのまま様子を見ることにした。「どおりでだるいと思った」と言う息子は、ごそごそと起きてきて、自分で手際よく氷嚢をつくっている。

頼もしいなあと思う。13 年前にリリースされた命はもう、ある程度自分の命を自分で守るすべを身につけ始めている。

こういうときに、寝付くまで頭をなでていることも、今となっては数少ない「私にしかできないこと」だと思って、ちょっと幸せな気持ちになった。朝方までカイロのように熱かった身体は、汗と一緒に次第に熱を手離していった。寝ているうちに、ほぼ平熱まで戻ったようだ。お腹がすいたというので朝ごはんをつくる。みるみるうちに、白米が彼の胃袋におさまっていく。

もう、だいぶ違う命だ。熱度出すのも別の命。胃袋も別の胃袋。

もうずいぶんセパレートしてはなはだしい。愛おしいを伝えられるのも、セパレートしているからだ。

久しぶりのママ活。幸せだった。

寝ます。

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