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「あると便利」じゃなくて「ないと寂しい」【さとゆみの今日もコレカラ/第431回】

神社に行って手を合わせるとき、何かお願い事をするのではなく、「私にお役目をお与えください」と祈るのが良いのだと、聞いたことがある。自分に合った役目に出会えれば、人はおのずと活躍できるものだとか、なんかそんな理屈だったような気がする。

以来、お参りをするときは心の中でそう唱えてきたのだけれど、今年の初詣では「私にお役目をお与えください」の言葉に、何か違和感があった。

私は最近、「役に立つ」という言葉を、疑っている。

「役に立つ」は、そんなに大事だろうか。

「役に立た」なければ、存在価値はないだろうか。

のようなことを考えているのです。

毎年書く新年のご挨拶に、今年は猫みたいに過ごしてみたいと書いた。これは直感的に出てきた言葉だったけれど、なんとなく、猫がぽーんと頭に浮かんだのだ。

でも、そうやって書いてから、私、猫に対しての解像度が低いなと思った。これまで犬は3頭飼ったことがあるけれど、猫は飼ったことがない。それで、猫について書いた文章や、猫の動画にいろいろ触れて、イメトレしてみた。CORECOLORで公開したこの文章も読み直してみた。

私が「猫」という言葉にイメージしたのは、気ままであること。犬に比べると、飼い主に喜ばれることよりも、自分の意志を尊重しているように見えることだった。

だけど、もう一歩踏み込んだ自分の深層心理をたぐると、猫は「役に立つ」という存在感で愛されているわけじゃないというところに、惹かれているのではないかと思い当たった。

話は変わるけれど、最近、ビジネス書がとんと読めなくなってきた。

ビジネス書には、役に立つことがたくさん書いてある。

だけど、最近私が欲しているのは、誰かの役に立っても立たなくても、人はそのままで存在していいんじゃないかなということだ。

猫みたいに。

「いると役立つ」とか、「あると便利」とか、そういうんじゃなくて、「ないと寂しい」。

そういう存在価値に、最近惹かれている。

にゃおん。

「今日もコレカラ」は毎朝7時に更新して24時間で消えるショートコラムです。今日もこれから良い一日を。

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猫はなぜ、たまらなく愛おしいのか。私なりの解を出してみると、「ただ、いてくれるだけでいい」と、思い合える関係でいられるから。

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