
「親のおかげ」と「親のせい」【さとゆみの今日もコレカラ/第479回】
昨夜は以前よくお仕事をしていたPR会社の社長さんとご飯をしていた。パワフルでエレガントな素敵な女性で、会うたびいろんな話をする。
そこで彼女に、「私、さとゆみさんの『ママはキミと一緒にオトナになる』が大好きで、お友達に何冊もプレゼントしているんです」と言われた。
その話は、はじめて聞いた。
彼女いわく、あの本は「真面目で一生懸命なお母さん」に渡すと、すごく喜ばれるんですとのこと。
子どものためにもっと頑張らなきゃ。仕事も頑張らなきゃ。
シングルマザーの人だったら、子どもに寂しい思いはさせたくない。ましてや侘しい思いはさせたくない。2人分頑張らなきゃ。
そんなふうに頑張っているママ友たちに、「これ、読んでみて」と渡すと「肩の力が抜けた」とか「こんな考え方があるんだと驚いた」とか言われるんですよね、と彼女は言ってくれる。
そして、「さとゆみさんは、どうしてそんな感じなんですか?」と聞かれた。
「そんな感じ」というのはつまり、あまり子育てに力が入っていない感じ、かなと推測する。
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『ママキミ』を読んでくださった方達から、このような質問をされることがよくある。読書会などでも必ず聞かれる。
そのたびに考えてみるのだけれど、私は多分、「親のおかげ」と「親のせい」をあまり信じていないのかなと思った。
仕事がら、いろんな人を取材させてもらう。取材させてもらうくらいの方だから、いろんな功績を残した人たちだ。そういう方たちに親御さんの話を聞くこともあるのだけれど、これが非常にバラエティにとんでいる(言葉を選びました)。
絵に描いたような良い親、みたいな話ばかりではない。いやもちろん、親に感謝しているという人もいるけれど、親とは違う人生を歩みたいと奮起した結果、今の自分があるという人もだいぶ多い。こちらの方が多いように思うくらいだ。そもそも、幼い頃に親と別れて以来、一度も会ったことがないという人も何人もいた。
そういう人たちは、親以外の尊敬できる人に出会っていたり、憧れの先輩に出会っていたり、本や映画でいろんな人の人生に出会ったりして、自分の人格を形成してきている。
そういう話を聞いた取材の帰り道、いつも思うのは
「親ができることなんて、たかが知れている」
ということと、
「子どもは親だけで育つわけじゃない」
ということだ。
日本を背負って立つような逸材の方々から、「いやあ、うちの親、ほんと困った人でしてね」みたいな「とんでもエピソード」を聞くと、肩の力がストンと抜ける。
そういう人たちの子供時代は、わりとハードモードであったろうと想像する。
それでも彼/彼女は、こんなふうに育ったのである。
子どもが素晴らしく育ったからといって「親のおかげ」だけではないし、子どもがグレたからといって「親のせい」ばかりではない。
もちろん、虐待やネグレクトは論外だけれど、育ちゆく子どもの世界はそんなに狭くないし、親だけで決まるほど子どもの可能性は小さくないんじゃないかなあ、などと思うんですよね。親って、そんなにエラくない。
だから、親は温かいご飯を食べさせているだけ(それは給食でもUberでもいい)、じゅうぶん100点なのではないかなあと思ったりする。みんな、もうじゅうぶん、頑張っているんじゃないかなあ。
先日息子に「親はなくとも、子は育つ」と言われた母です。
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