
わからないと、どっちでもいい【さとゆみの今日もコレカラ/第512回】
高校時代に恋をした人が(女性だ)、「わからない」とよく言う人だった。
「私、村上春樹を読まない人とは友達になれないから」と言われ、私は受験勉強そっちのけで読書に勤しむことになるのだけれど、本の感想を聞いたり聞かれたりするとき、彼女はよく「うーん、わからない」と答えた。
「どう思う?」の答えに、「わからない」という選択肢があるということを、私が17歳のときに初めて知った。
「AかBか、どっちがいいと思う?」と聞いたときも、彼女はよく「うーん、どっちでもいいな」とか「どっちも嫌だな」と答えた。
その「どっちでもいい」や「どっちも嫌」は、わりと熟考されたのちに発せられる言葉だったので、適当な感じは全然しなかった。
「どっちでもいい」が、正当な答えとして成立することも、私は高校時代に学んだ。
わからない、って言っていいんだ。
どっちでもいいって、言っていいんだ。
この2つの言葉を手に入れたことで、私は、その後、比較的日本語に誠実に向き合えるようになったと思う。
今すぐ答えを出さなきゃと焦ると、本当は思ってもいない言葉でお茶を濁すことがある。
立場を決めなきゃと思うと、吟味できないまま脊髄反射で答えてしまうことがある。
わからない
と、
どっちでもいい。
それを知ってから、私は言葉を大事にできるようになったなあ、と思う。
(鹿児島の天文館図書館にて。トークイベントの最後にもらった参加者の方からの質問が、とても壮大な質問だったので、その間、司会の方にその場を任せて3分ほど集中して考えさせてもらいました。言葉がちゃんと私の掌にのるまでの3分間。慌てて答えなくてよかったなと思ったことを思い出して)
「今日もコレカラ」は、毎朝7時に更新して、24時間で消える文章です。今日もコレカラ、良い一日を。
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