
親が子どもにしてあげられること【今日もコレカラ/第615回】
著者の須王フローラさんが「子どもに与えるべきもの」についてインスタのリールで語っていて、これが面白かった。
「あんな経験をさせた」「こんな場所に連れて行った」以上に大事なのは子どもが幸せでいられる環境を考えてあげること。
たとえば、一生懸命勉強をして東大に合格した。それでも「大学がつまらない。思ったのと違った。辞めたい」と言ってきた時に、辞めさせてあげられるか、といった話だった。
これ、自分の子ども時代を振り返って、本当にそうだなあと思う。
親に「辞めたい」と言って、あっさり承知してもらったことに、高3の時の夏期講習2週間分と、14年続けたソフトテニスがある。
前者は、駿台かなにかの札幌でしか受けられない夏季集中講義を受けたいと自分から親に頼んだ分だった。
最初の5日間は良かったのだけれど、2クール目からの講義がつまらなさすぎて、時間の無駄だと感じた。もう一刻も早くこの場を去って自分で勉強したいと思った。
せっかく高いお金を払ってもらったのにごめんなさいと親に電話すると、まあ、そういうことなら帰ってきたら、と言ってくれた。ありがたかった。
後者はもうちょっと面倒な希望だったと思う。
大学に入学してすぐに、その大学のソフトテニス部には初心者しかいないことがわかった。
そこで、一年生の時は、早稲田の体育会の練習に混ぜてもらったり、ナショナルチームの選手が所属する実業団で練習させてもらったりしていた。
その実業団にはインターハイで優勝した先輩がいて、その人のペアが足りないからと、彼女と組んで全日本選手権にも出させてもらった。
ただ、早稲田でもその実業団でも、私は所属組織が違うから団体戦には出られない。
ある日、新歓の時に誘われて仮登録だけしていた硬式テニスサークルの試合を見学に行った。男女合わせて9チームで闘う団体戦の熱のこもった応援合戦を見て、ぞわっとした。私はこっちの世界にいたい、と思った。
体育会とか実業団とか、そんなことよりも、サークルでいいから団体戦がしたい。仲間とテニスがしたい。この時も、親に電話をかけた。
私の父はソフトテニスマガジンに寄稿するようなジュニア指導の第一人者だった。「中学校では一番競技人口が多いソフトテニスの選手たちが、なぜ高校・大学で硬式に転向してしまうのか。ソフトテニスを続けられる環境を作ろう。もっと魅力のあるスポーツにしよう」と、ルール改正にも言及するような立場の人だった。
その娘が、大学でソフトテニスを辞めました、硬式のテニスサークルに鞍替えしました、は、相当体裁が悪かったと思う。18歳なりにそのことはわかっていた。
でも、想像に反して、父親も母親も、わかった。好きにしたらいい、とあっさり了承してくれた。そして何も言わずに、サークルの入会費とこれまで幽霊部員だった間の月会費を払ってくれた。
父親が死んだあと、急にそのことを思い出して母に尋ねたことがある。
「あのとき、お父さん困ってなかった?」
母は、「うーんどうだったかな。でも、お父さんもお母さんも、やりたいことができない環境なら仕方ないよねって思ってたから」と言っていた。
親にはいろんな経験をさせてもらって感謝しているけれど、あのとき辞めさせてくれたことにも、感謝している。
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