
2つの時計。1時間後の世界。【今日もコレカラ/第733回】
京都の事務所(家)にある時計、両面なんですよね。
柱に横付けする仕様で、2個の時計が背中合わせにくっついている。テーブルの手前側に座ると時計のA面が見えて、テーブルの奥のほうの椅子からはB面が見える仕様。
今日は朝からテーブルの奥に座って作業していたのですが、なんと、私のほうから見えていたB面の時計、止まっていたよね。
ああ、もう6時半過ぎたか。そろそろ「今日コレ」を書こうかなと思って、あれ? 外が結構明るいなあ。11月にもなるのに、と思ったわけですよ。
で、書く前にと思ってお手洗いに立って、戻るときにA面の方の時計を見てぎょっとした。もう7時半じゃん!!!!
どおりで明るいと思った。
私ひとり、1時間後の世界を生きていた。いや、逆か。
世界は7時半なのに、私、6時半の世界を生きていた。
8時半から予定があったので、慌てて着替え、息子の朝ごはんを作り、ダッシュで出てきていまやっと出先のデスクについたところ。ふう、間に合った(この今日コレは間に合ってない)。
アナログの時計ってかわいいなあと思いながら使っていたのだけれど、そういえば時計って電池が切れたら止まるんだった、と思い出した。
何もかもデジタルの世界になっているけれど、それにどっぷり慣れきっていると、こういう「文明の利器は落とし穴だらけ」だから「ちゃんと自分で確認する」のが必須だった時代のことを忘れるから怖いよね。こういう感覚がにぶってくるのって本当に危ないなと思う。
「体の感覚のほうを信じたほうがいい」ことって本当は多い。
たとえば、投稿ひとつとっても、「これ、燃えそうだな」という感覚は今のところAIチェックよりも自分の肌感覚のほうが鋭い。
添削をしていても、文章のゆがみがある部分は「ん?」となる。これ、たとえていうなら、綿の布を触っていたのに突然マイクロファイバーの布の手触りになったようなざらつきを感じるのだ。
だけど、25年かけて培ってきたこの感覚だってきっと、気をつけなければどんどん壊死していくんだろう。
こういう感覚的なものって、どうやって失わないようにすればいいんでしょうね。
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これもまたアナログの美しさ。
自分で手を動かす仕事がしたいという気持ちが大きくなったんです


