取材はお片づけにあらず。つまらない原稿を量産しないための心構え【連載・欲深くてすみません。/第15回】
元編集者、独立して丸7年のライターちえみが、書くたびに生まれる迷いや惑い、日々のライター仕事で直面している課題を取り上げ、しつこく考える連載。今日は、ライターになりたての頃に気づいた大事なことを思い返しているようで……。
これから書くことは、プロとして仕事をしている書き手にとってはあまりに初歩的なことかもしれない。しかし私が書くことを仕事にしてから気づいた、大事なことである。一言でいえば「整理ボックスを携えて取材に行ってはいけない」話について。
それは、取材し原稿を書く仕事を始めて2回目か3回目の取材現場だった。ちょっとした不思議現象が起きた。事前に考えてきた質問を上から順に読み上げているだけなのに、みるみる取材相手が叱られた子どものような顔になっていくのだ。「あなたの聞きたい話とは少し違うかもしれないのだけど……」「求められている答えができなくて申し訳ないのですが……」と、相手の回答が謝罪から始まる。取材相手は終始、期待に沿った回答ができないことに恐縮しているように見えた。
困惑した。おそらく取材相手は「このライターにはあらかじめ描いているストーリーがあって、内心では『〇〇の話をしてほしい』と思っているんだろうな」と感じているのだ。
でも実際のところ私は、原稿に書きたいエピソードの想定など、まるでしていなかった。それなのに一体なぜ、取材相手に「求めている話」があると思わせてしまったのか。
それは私が、“整理ボックス”を携えて取材に行ったからである。
――整理ボックス。みなさまご活用されていらっしゃるでしょうか。文具店などに売っている収納用の箱。私は仕事用スペースで愛用しております。だいたいインデックスラベルを貼る箇所があり、「執筆資料」などとその箱の用途を貼っておけば、どこに何をしまえば良いのか一目瞭然。マァ便利!
整理上手な人は、ものを増やしてから片づけを始めるのではなく、「この空間に置くべき整理ボックスの内容」をあらかじめ決めておき、仕分けルールに従って整理整頓をするという。「事前に揃えた整理ボックスの内容に沿うものしかその場に持ち込んではいけない」と決めておけば、ものが溢れることはない。マァ賢い!
ただ、今書いている“整理ボックス”はあの物理的な箱ではなく、文章を書くときに心(もしくは頭)の中に現れる「書くべき要素」を示した容れ物のことである。
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作文やレポートの書き方でよく見る指導法として「書くべき要素をあらかじめ洗い出し、その流れに従って書く」やり方がある。
たとえば読書感想文なら
1 読んだ本のおおまかなあらすじ
2 その本のもっとも心に残ったところ
3 そこからあなたが感じたこと・考えたこと
の3つ。
レポートなら
1 序論(問題提起)
2 本論(主張、根拠、反論への検討)
3 結論(序論で提起した問題に対するまとめ)
の3つ。というように、あらかじめ書く要素と流れを決めておけば、論が破綻することもなく、抜け漏れなく書ける。マァ簡単!
取材原稿でも、やろうと思えば同じようなやり方ができる。
たとえばある会社の新商品開発エピソードを取材する場合、
1 開発の経緯、背景にあった課題
2 新商品の特徴、独自性
3 商品を通じた開発者の願いや、今後の展望
などと事前に入れるべき要素と流れを想定しておく。そして、この順番に取材相手に問いかけ、それぞれの要素にあてはまる話を聞くことができれば、文章は完成する。
まるで1〜3のインデックスラベルを貼った整理ボックスを事前に用意しておき、それに当てはまるお話だけを、箱の中に一つずつしまっていくように。
恥ずかしながら、ライターになる前の私は、こうやって事前に要素を決めて取材すれば原稿は簡単に書けると考えていた。いや、たしかに書けるは書ける。わりと楽に。あらかじめ論展開を決めているから、出来上がった文章は一見すると読みやすく、文章の流れも自然に見える。
しかし、だ。この方法で取材し書いた原稿は、驚くほどつまらないのである。他に同じテーマを取材した記事の、どの記事にも共通して書いてある要素を抽出したような文章が出来あがる。ちっとも心を動かさないし、当然心に残らない。
つまり、予定調和な原稿。
事前に決めた要素にあてはまる内容しか聞く気がない。その怠慢は相手にも伝わる。よいしょと両手で整理ボックスを抱えて行き、取材現場の机にドンと置いて「さあさ、この中にしまえる話を聞かせてくださいな」と言うようなものだ。そんなヤツには、取材相手だってあらかじめ準備した話(それはおそらく、どの取材でも最低限話していること)しか、差し出してくれない。
さらには冒頭の私の体験のように、予定調和に乗れない相手をひたすら恐縮させる可能性がある。場合によっては怒らせることもあると思う。あんた、本当に私の話を聞く気があるのか、というように。
あらかじめ書く要素や流れを決めてしまうと、その箱にピッタリあてはまる素材こそが良い素材だと勘違いしてしまう。箱に合わない答えを無意識に「価値がない」と判定する。すると、どうなるか。たとえば雑談のような脱線が起きなくなる。「実は数年前にこの商品の企画は通っていたのですが、いろんな事情で実現するまでに数年かかったんですよ」なんて裏話が相手から出てきたときに、普通に聞いていたら自然と思うだろう「え、なんで?」の一言が出なくなる。
実際に開発した新商品を取り出したときに取材相手が見せた挙動、たとえば商品の向きを何度も直したとして、それに気づき「ひょっとして、その向きにこだわりがあるんですか?」と問える人は、箱ではなく相手を見ているからだ。
ライターとして取材経験を重ねていくうちに、私は悟った。最初に整理ボックスをつくり、携えて取材に行ってはいけないのだと。取材は予定調和のお片づけではないから。読者が記事を読むときにおもしろいと思うのは、大抵、意外性のある話である。それは前もって予想することができない、確かな意味があるのかもわからない「混沌」の中に身を置いて、はじめて聞き出せる話だ。
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思えば読書感想文だって「あの3つの箱を埋めれば書けるでしょ」と横着すると、大体つるっつるで特徴のない似通った文章になる。第一、3つ目の「あなたが感じたこと・考えたこと」の箱が大きすぎる。この箱に合うものをと探しても「勇気をもらった」とか「主人公の気持ちに共感できた」とか、大きく成長しすぎて中はスカスカの野菜のような言葉しか入らないのだろう。
たとえば本を読んだときに強烈に印象に残った一文があったとしたら、何に引っかかったのか、その文章を読んだときの体の反応、思い浮かんだ言葉、一度全部書き出してみる。
本を読んでいる間に別の話題を連想したのだとしたら、それを書き出して一体どこに共通項があったのだろうと考えてみる。
箱に入るものを探すのではなく、まず見て聞いて、観察し、一度混沌の中に潜る。結果、書き出したものや考えてみたもののすべてを文章に使うわけではないだろうから、効率的な書き方とは言えないけれど。
箱はいつでも取り出せる。その前に「混沌」を楽しめるくらいの余裕がなければおもしろい文章など書けるものかと、締め切りに追われて横着しそうになるときほど自分に言い聞かせている。
文/塚田 智恵美
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