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開催中止となった能登町での全国大会。震災に翻弄された「テニスの町」の中学生たち。「でも、今、できることをやる」【能登のいま/第7回】


CORECOLOR編集長のさとゆみです。
小学3年生から10年間、ソフトテニスに人生を捧げた私にとって、石川県といえばソフトテニスの強豪校ひしめく地域のイメージです。
能登で被災した中学生たちが金沢で授業を受けているといった報道を見て、気になっていたのは「今年の全中(ぜんちゅう・全国中学校体育大会)はどうなるんだろう」でした。2024年のソフトテニス全中大会は能登町で開催される予定だったからです。
能登町は「テニスの町」を宣言している、ソフトテニスで有名な町です。地元開催で気合いが入っているだろう能都中学校の選手たち、怪我はないかしら。金沢で練習できているのだろうか。そもそも、大会は能登で開催されるのだろうか。

7月20日土曜日、私は能登町のテニスコートに向かいました。この日、町のテニスコートで中学生が練習をしていると聞いたからです。
取材を申し込む段で、能登町での全中大会は中止になり、金沢で開催されることになったと知りました。

タクシーに乗り「能都健民コートにお願いします」と言うと「仮設のところね?」と聞かれます。「仮設?」と聞き返すと、「今、グラウンドをつぶして仮設住宅になってるの」と運転手さんは言います。駐車場はゴミ集積場になっていることも教えてくれました。

全16面、人工芝が敷かれた美しいテニスコートは、仮設住宅とゴミ集積場に挟まれるようにして残っていました。
執筆/佐藤友美

新たなチャレンジ。その矢先

「テニスコートは潰さず残してくれていたからね。だからひょっとしたら、ここで全中大会を開催できる可能性はゼロじゃないかもと思っていたんです」そう話してくれたのは、能都中学の選手7名、輪島中学の選手1名でなるテニスクラブ、「能登1st(のとファースト)」のコーチ、蓑島真吾(みのしましんご)さん。

震災前は、役場のふるさと復興課で働き、ソフトテニスの大会誘致も担当していた。この10年でソフトテニスのインターハイを1回、インカレ大会を2回、震災がなければ行われるはずだった全中大会などを誘致した実績を持つ。
大きな大会が開かれれば、町じゅうの宿や料理屋が人で埋まる。人口が減少し移住定住がなかなか見込めない能登町において、大会誘致で交流人口を増やすことは町長の特命でもあった。
蓑島さん自身も小学生の時にソフトテニスを始め、インターハイやインカレに出場した経験を持つ。公私ともにテニスに携わってきた人生だ。昨年までは、能登町の小学生のソフトテニス少年団でコーチをしていた。

その蓑島さんが中学生を指導することになったのは、能都中学校に通うソフトテニス部のメンバーが部活をやめ、地域クラブを作ることになったからだ。
中学生のソフトテニスの大会、団体戦は、「ダブルス3ペア=計6人」で闘う。しかし昨年、能都中学校のテニス部は3年生の引退後、部員が4人になってしまった。

折りしも昨年は、全国中学校大会連盟は19の競技で学校を跨いだ地域クラブチームの参加を認めた年でもあった。能都中のように、過疎化で人口が減りチームを維持できない地域を鑑みた結果だ。

少人数で部活のまま活動するか。他校の選手と合同でクラブチームを作るか。新しい選択肢を提示された能都中ソフトテニス部の選手たちは、親とともに悩みに悩んだ。
クラブにすると、石川県の場合クラブチームのみで開催される予選を勝ち上がらないと県大会に出場できない。クラブチーム同士の予選はレベルが高いから、県大会出場のハードルが一気に上がる。

悩んだ末、子どもたちが選んだのは、部活を辞めてクラブチームを作ることだった。小学生の時と同じ「少年団」ではなく、中学生らしい名前が欲しいという子どもたちの希望で、チームは「能登1st(のとファースト)」と名付けられた。

クラブチームには、コーチの登録が必要になる。少年団時代に彼女たちを指導した蓑島さんがコーチを引き受けることになった。
きっとこれで、仲間も増える。団体戦も戦える。新たなチャレンジだ。そう思った矢先だった。

能登が、揺れた。

震災後の部活動。最も影響を受けたのは中学生

「3月まで、ほとんど練習できなかった」と言うのは、金沢に集団避難した3年生の廣田彩希(ひろた さき)さん。

蓑島さんによると、こと部活動において震災の影響を一番大きく受けたのは、中学生だったのではないかという。
高校は義務教育ではないので、自由度が高い。強豪で知られる能登高校のソフトテニス部は発災後の3か月間、県外を転々と長期遠征して練習し続けた。
スポーツ少年団の小学生は、屋内テニスコートを使って1月後半から練習を再開できた。4面ある屋内テニスコートのうち、3面は自衛隊の詰所になっていたが、残りの1面を使って練習した。

しかし、中学生は、学校の判断で3月末まで全競技完全休部となっていた。能登1stは部活ではなく地域クラブなので、学校の決定に従う必要はないのだが、肝心の生徒たちが散り散りになっていた。

能登町の中学生は、1月21日から2月23日まで金沢市のスポーツセンターに集団避難している。集団避難をするかどうかは各家庭の判断にまかされたので、家に残りオンラインで授業を受ける生徒もいた。平日に練習のためにどこかに集まるのは到底無理だった。
この期間は、比較的被害の少なかった宝達志水町、小松市、津幡町などに出向いて、土日だけ他校の生徒たちと合同練習をさせてもらった。

地元開催のはずだった全国大会

蓑島さんのもとに「能登町での全中大会開催を辞退する方向だ」と教育委員会から連絡があったのは、1月半ばのこと。テニスコートは被害を免れた。でも、宿も食事処も再開の目処が立たないのだから、仕方ない。覚悟していたものの、やはりショックだったという。

「でも、ある親御さんに言われたんですよね。『テニスはまだいいよ。コートがあるじゃない。サッカー部はグラウンド潰されちゃったからねえ。サッカーする場所もない子どもがかわいそうだ』って」。その言葉を聞いて、蓑島さんは返す言葉がなかったそうだ。まだテニスをする場所があるだけよかったと考えるようになった。

「4月になれば、また平日毎日練習できる。それまで待っていてな」。選手たちにもそう言い続けていた。

しかし、震災の思わぬ影響が、再び能登1stに追い討ちをかけた。
蓑島さんが、役場の復興推進課に異動になったのだ。震災復興期の役所の業務は、一説には常時の100倍近い分量になるとも言われる。毎晩遅くまで業務が終わらない。土日に出勤しなくてはならない日もある。

「4月まで待ってて。4月になれば、平日も毎日練習を見てあげられるから」
そう選手たちと約束していたのに、それもままならなくなった。中学生にとってコーチ不在の練習は上達につながりにくい。蓑島さんが練習に出られない日は、少年団のコーチにお願いして、一緒に練習してもらっているという。

毎日練習できるのは、当たり前じゃない

地元で開催されたはずの、全国大会。団体戦に必要な人数もそろった。小学時代から指導してくれたコーチとみっちり練習して臨むはずだった2024年の夏。
選手たちは、いま、何を思っているのだろう。

キャプテンの大門 來美(だいもん らみ)さんの家は、ソフトテニス一家だ。姉はインターハイに出場し、母親も北信越大会で優勝した経験を持つ。今度は自分の番と思っていた3年生の夏。地元開催の全国大会がなくなったことは、やはり悔しかったと言う。
でも、すでに気持ちは前に向かっている。「金沢になっちゃったけれど、全国大会に出たい」と話してくれた。テニスの魅力を聞いたら、難しいところ、うまくいかないところだという。「テニスって頭脳戦だと思うんです。難しいから楽しい」と大門さん。

小学2年生でテニスを始めた吉野 若奈(よしの わかな)さんは、4年生のときに県大会の学年別大会で優勝した経験を持つ。
「小学生のときに、『うちらが中2のときに、能登で全国大会がある』って知って、ずっとそれを目標にしてきたから、やっぱり残念……かな」と、話してくれた。

同じく2年生の蓑島 衣千香(みのしま いちか)さんは、職員室の前に貼られた全中大会のポスターに「金沢で開催」と書かれていたのを見て、能登での開催中止を知った。
コーチの蓑島さんは父親である。誘致に奔走していた父の姿も知っているだろう。「でも、今はもう気持ちは立て直せたと思っています。いつも能登の町の人たちに応援してもらっているから、大会の結果で恩返ししたい」と、小さい声で、でもしっかりした口調で話してくれた。彼女も、小学時代に県大会優勝の実績を持つ。

私が取材に行った日は、全国大会の出場権を争う北信越大会の3週間前。5リットル入るウォータージャグが次々と空になるほど暑い日だったが、練習中の雰囲気は明るかった。

これは自分の経験を振り返っての私見だが、全国大会を目指すようなチームにとって、練習を休むということは、それがたった1日でも不安になるものだと思う。私も、風邪をひいて練習できない日があったときは、その間にライバルたちはどれくらい上達したかとやきもきしたものだ。それくらい、継続的な練習が重要なスポーツだ。実際に彼女たちは、2023年の大みそかの日も休まず遠征に出かけて練習をしている。

それでも、彼女たちは今ある環境の中でできることを、頑張っている。
1カ月前の予選のときには手が届かないと思っていた能美市のクラブチームに、先日の県大会決勝戦ではあと一歩と迫り、北信越大会への出場切符をもぎとった。そのことが、みんなの自信になっているようだった。


能美市は金沢市よりもさらに南に位置し、震災の影響をあまり受けていない。吉野さんは「ずっと追いつきたいと思っていたので、差が縮まった気がして嬉しかった」と言う。蓑島さんは、「毎日当たり前に練習できているところに、負けたくない」と思って試合に臨んだそうだ。

北信越大会は、8月7日から新潟県新潟市にて行われる。団体戦2チーム、個人5ペアが、19日に金沢市で行われる 全国大会に進出する。

文/佐藤 友美

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