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「ぶわっ」の正体は何だ。私たちが新しい言葉を手に入れるとき【連載・欲深くてすみません。/第19回】

元編集者、独立して丸8年のライターちえみが、書くたびに生まれる迷いや惑い、日々のライター仕事で直面している課題を取り上げ、しつこく考える連載。今日は自分の語彙力の低さを嘆き、新しい言葉を知りたいと考えているようです。

本当に大事なことは、そう易々と言語化できないものである。“嬉しくて 嬉しくて 言葉にできない la la la……”、小田和正さんもそう歌っていらっしゃる。

しかし、書くことを生業にすると、そうは言っていられなくなる。取材で感激するたびに「la la la…… 言葉にできない」と歌い出していては、次月の光熱費が支払えない。

かといって、自分の心がたしかに動いた瞬間を「……そう言った彼女は、一点の曇りもない笑顔を見せた」のような手垢のついた表現にむりやり押し込み、言語化できた風を装うのも、しのびない。だいたい人の笑顔を見て「わあ、一点の曇りもないなあ」なんて思うか? そういう“思ってもいないけど、そう書いておけばなんか良さそう”な言葉は、書けば書くほど自分がみじめに思えてくるので、メンタルに響く。

言語化する力以前に、自分は言葉を知らなすぎるのではないか。

あるとき、そう思い至った。スカスカな冷蔵庫で日々の献立をやりくりするのも限界がある。まずは知識だ。私に新しい言葉を仕入れましょう、と辞書や類語辞典のたぐいを一式買いに行った。

気が向いたときに、パラパラめくって読んでみる。

笑ってしまうほど言葉が頭に入ってこない。目の細かな砂を手ですくったときのように、さらさらと脳から言葉が滑り落ちていく。

学ぼうと思ったのに身につかない。これもまたメンタルに響く。私、バカなのかなあと、悲しくなる。

頑張って勉強しても、言葉が自分の血にも肉にもならない。私にとって、その象徴がワインであった。

ある界隈の人たちには「必須教養」とまで言われる、ワインの世界。好きでしょっちゅう飲んでいるのだから、知識を身につければもっと楽しいかも、と私も学ぼうとしてみたことがある。

しかし、本を何冊読んでも、これがさっぱり頭に入ってこない。ぶどうの品種、ワインの味の表現、どれも独特で他の星の言葉のように思える。

ふん。もういいや。私は情報を飲みたいわけじゃないんだ。

早々に諦めたものの、言葉の貧しさは現実的な損につながる。たとえばおしゃれなワインバーに入り、素敵なソムリエに「お好みはありますか?」と聞かれても、言葉を持たないと自分の好みすら説明できない。

「えーと……好みはあるんですけど、どう言ったら良いか……軽くて? 華やかな? しっかりとした?」

「軽いのにしっかり、ですか?」

と、一休さんのとんち話に出てくるような無理難題を、ソムリエに押しつけることになる。

ところが、ある日のこと。

知り合いに招かれて宴に参加したところ、ワインにくわしい方がいらして、おすすめのワインを何種類か選んでくださった。片端から飲み干していくと、たしかにどれもおいしい。

そのなかに「わお!」と声が出てしまうほど、自分の好みのワインがあった。いったいあなたは誰? どこから来たの? と瓶を見つめていると、ワイン通の方が声をかけてくださった。

「それ、お好きですか? どんなところが?」

「すごく好きです。ど、どんなところ……? えっと、なんか、香りが、ぶわってしました(la la la……と脳内で小田和正さんが歌い出す)」

するとワイン通の方は、ふむふむと頷き、こう言った。

「その『ぶわっ』は樽香(たるこう)ですね。このワインは木樽で熟成しているので、独特の風味があるんです。この味が好きなら“樽熟成の風味が効いたワインが好き”と言えば、近いものを選んでくれるんじゃないかな」

もう一口、飲んでみる。ぶわっ。香りが広がる。

雑誌の写真かテレビ番組で見たのか、暗い酒蔵に並べて置かれた木樽が頭に浮かぶ。その樽の内側を、たぷりたぷりと透明な液体が満たしているのを、想像する。ああ、この「ぶわっ」は、そういうことなんだ。

そのとき私はたしかに「樽香」という言葉を、手に入れた!

私は震えていた。自分の手に流れ落ちてくる冷たいそれが「ウォーター」なのだと気づいた、あのヘレンケラーも、きっとこんな気持ちだったのではないか。

そうだよ、言葉とはこのように獲得するものなのだ。
「ぶわっ」がある。体験して、感動して、それが知識と、びびびっと結びつく。
私は、言葉を知ったのではなく、手に入れた。その夜は嬉しくて嬉しくてひどく酔った。

耳だけで人の話を聞き、パソコンの画面に向かって言葉をこねていても、原稿は書ける。

いや、書けた気になれる。自分の見たことのある景色のどれかを想像し、自分の言葉の貯蔵庫から近いものを持ってきて、はあ、今日も何とかやりくりできたと、身をかわすようにして次の原稿のことを考えればいい。

だけど、自分の身をもって、未知なる何かを感じてはじめて獲得できる言葉が、この世にはたくさんあるのだ。知った言葉のなかでやりくりしているだけでは、人生あまりにもったいない。

つまり、iPhoneの歩数アプリを開いて「わあ、昨日は1200歩も歩いた」なんて言っていてはいけないということです。もっと外に行きなさい。人と会い、知らないものに触れ、感動し、その正体がいったい何なのか、怠けずに知ろうとしなさい。

——そう自分に叱咤されたので、ひとまず家を出て、近所のワインバーに向かうこととする。知識だけ仕入れるのではなく、何事も自分の身をもって体験しないとね。

文/塚田 智恵美

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