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人生の走馬灯が楽しみになった。『花火と残響』が呼び起こす日常

ぼんやりとSNSを眺めていた時、「知り合いかも」と画面に表示された名前を見て、一瞬、呼吸が止まった。記憶の格納庫に閉じ込めて、全力で忘れた元彼の名前だったからだ。それなのに、思わず名前をクリックしてしまったのは、読んでいたササキアイさんのエッセイ集『花火と残響』のせいだろう。

『花火と残響』には、人生におけるハイライトではない日々が綴られている。人混みではぐれ一緒に見られなかった花火大会、カレー店で聞こえてきた「財布と亀を間違えた」話、ホームステイ先の孫娘とふたりで飲んだフリーズドライのわかめスープ。人生は思い通りにはいかないし、ドラマティックな事件はそうそう起きない。そんな毎日をササキさんは「何か意味のあることをしなくちゃと急かされるような感覚に、時々疲れてしまう」と言う。「だから私は『今日も人生の走馬灯の撮れ高を更新した』と思って、漫然とでも一日を生き延びた自分を讃えたい」のだと。

パソコン画面に突如現れた名前を見て、「元彼を人生の走馬灯に登場させてもいいかもしれない」そうふと思った。

「面倒くさいから自然消滅にしたかった」と電話で伝えられたのは、連絡が取れなくなって数年後だった。今の私なら、自分から連絡して白黒ハッキリさせるか、自ら別れを切り出してスッキリしているだろう。けれども、人生で初めて交際した相手と5年間付き合い、結婚の約束までしちゃった23歳の私は、恋愛免疫ほぼゼロの状態。どうしたらいいのかわからないまま、時間をかけて深く傷つき続けていた。

「懐かしくなって、声が聞きたくてさ」とかけてきた電話で、その数年の間に別の女性と出会い、結婚し、離婚したと伝えられた。自分がひどく粗雑に扱われた気がして腹が立った。だから、相手を記憶から消し去ろうと誓ったのだ。この先の人生を強く生き抜くためにも。けれど、もういい。あの頃の私は、細胞レベルで元彼に染まっていた。相手を忘れようと努力した結果、一緒に過ごした年分の日常の記憶も消えてしまっていたのだ。もったいない。走馬灯の撮れ高、減りすぎだ。

SNSに投稿されている元彼の写真は、髪は少し短くなっていたけれど驚くほどあの頃のままだった。けれどもひとつだけ、大きく変わっていたことがある。記憶の大半を失っていたのだ。数年前に脳梗塞で倒れ、今もリハビリ中だと書かれている。相手の記憶に私はもういないのか。ひどい言い方だと思うけれど、なんだかホッとした。私の記憶から相手を消すだけでなく、本当はずっと、相手の記憶にいる私もなくしてしまいたかったのだと気づく。

いい思い出なんかにされたくなかった。思い出ごと壊して去っていったくせに。壊された思い出の残骸は、私にとっては苦しみでしかなかったのに、と。だから、相手の記憶から自分が消えたことで、ようやく本当に前を向けるようになった気がしたのだ。

よせばいいのに、指先で画面を軽くスクロールした。「当時、付き合っていた彼女が撮ってくれた写真」と書かれていてギョッとする。添えられていたのは、あの頃の元彼が映った1枚だ。フィルム写真独自の少しくすんだざらりとした色合いの、境界線がハッキリとしない平べったい世界。見覚えのあるTシャツと帽子、気に入っていつも持っていた鞄。撮られると思っていなかったのか、ちょっと驚いた表情で写っている。コメントには、ご丁寧に写真を撮った時のやりとりまで書いてあった。

なんでだよ。記憶がほとんどないはずなのに、なんで忘れていないんだよ。一方私は、そこに書かれた会話を覚えていない。写真を見ても、うすぼんやりとそんなことがあったなと思うだけだ。自分の記憶にさえ残っていなかった過去に、振り回されていたと気づく。相手の記憶は、私とはもう別のものになっているのだ。自分の人生は、自分の記憶だけを抱えて歩いていくしかない。そうしてたどり着いた先で見る人生の走馬灯は、誰かと同じシーンなんて分かち合えないのだ。

再び、『花火と残響』のページをめくった。呼び起こされた思い出は、公衆電話機の上に何十枚もの10円玉を積み重ね、ウキウキとダイヤルを回した日々だ。「最後の10円入れるよ」と言った後は、いつもドキドキだった。ギリギリまでおしゃべりをしたくて、でも「またね」を言うタイミングを失敗すると会話の途中でガチャって切れてしまう。きっと元彼は覚えていないだろうと思うと、なんだかおかしかった。そしてこんなにも鮮やかに蘇った記憶を、私もきっと明日にはまた忘れているのだろう。

『花火と残響』で、ササキさんはこう書いている。「年齢を重ねて新車のようにはいかないけれど、まだまだこの容れ物で私たちは進む。これはあの時の傷、こっちはあそこで擦った傷。そうやって徐々に古びながら、慣れ親しんだこの体をやがて返すその日まで乗りこなしていくのだ」

私という名の容れ物についた傷と共に過ごす、特別ではない日常たち。どこまでも景色の変わらないまっすぐな道や通りにくいガタボコ道も、傷だらけの容れ物で乗りこなしていく。そうして進んでいくうちに、特別ではない日常の景色は記憶の後ろ側に流れ蓄積され、今の私をつくっている。たとえ普段は思い出さない記憶だとしても、私たちはきっと、そんな愛おしい日々に支えられて生きているのだ。

文/村田 幸音

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