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ホロコーストを生き抜いた少年の証言が、知るべき過去を炙り出す。映画『メンゲレと私』

「写真や文章で記録は残せるが、あの場所の“におい”はその場にいた人でないとわからない」

これは以前、広島・長崎の被曝体験者の話をまとめる仕事に携わった際に聞いた言葉だ。死体を焼くにおい、あらゆるものが焦げたにおい、腐敗臭。原爆の被害に遭った方から「それだけは、言葉を尽くしても伝えられるものではない」と言われたのだ。

被曝の体験は、証言を依頼しても断られることも多い。つらい過去を思い出したくないからだけではなく、被曝したことで差別を受けた人も少なくないからだ。何十年も、お子さんにすら一切話していない方もいた。だから、話し終わった後に「やっぱり載せないでほしい」と言われることもあった。

終戦から78年が経った今、証言できる人は非常に少なくなった。「当事者の話」の希少性は、さらに増している。

こうしたリアルな話はとても貴重だが、聞くとこちらの気持ちも落ち込んでしまう。だからといって、聞かない方が良かったとは思わない。過去に、聞いているだけで息が苦しくなるような出来事があった。そのことに蓋をしてしまっていいはずはないからだ。知らないことで、人は愚かにも同じことを繰り返す可能性だってある。

そんなことを考えたのは、12月3日公開の映画『メンゲレと私』を、試写でひと足先に観たからだった。この映画は、2018年から岩波ホールで上映してきた「ホロコースト証言シリーズ」の完結編だ。『ゲッベルスと私』と『ユダヤ人の私』に続き、第3弾となる。アウシュビッツの生存者や、ナチス宣伝大臣ヨーゼフ・ゲッベルスの秘書だった人などが、当時の様子を赤裸々に語るドキュメンタリーだ。この映画も、第2次世界大戦の経験者が世界的に少なくなる中、同じ過ちを繰り返さないことを目的に作られている。

「ホロコースト証言シリーズ」はどれも、真っ黒な背景の中、証言者が一人で語る様子と当時の資料映像のみで構成されている。BGMも流れない。すでに高齢になっている証言者たちの顔に刻まれた深いシワと、話が進むに従って変化していく表情が印象的だ。

『メンゲレと私』では、わずか12歳でアウシュヴィッツに強制収容されたダニエル・ハノッホ氏(撮影当日88歳)が当時の様子を語る。彼はアウシュヴィッツで、非道な人体実験を多く行ったヨーゼフ・メンゲレ医師の選別をかいくぐり、生き残った人だ。「金髪の美しい少年だったから生き残れたのだ」と彼は振り返る。

殺されずに済んだとはいえ、当時の彼は日本ならまだ小学校6年生の少年だ。そんな子どもがろくに食事も与えられず、日々大量に発生する死体運びに従事し、何百キロも歩いて移動する「死の行進」を経験させられたのだ。生き残れたのが不思議なほどだ。

ハノッホ氏は当時のことを、驚くほどよく覚えている。両親や姉との別れ。収容所に運ばれてきて、ガス室に送り込まれ、煙となって出ていく人々。昨日までの友人から突然向けられる憎悪と暴力。名前を奪われ、番号で管理されたこと。カニバリズム。目を塞ぎたくなるような出来事を、その目で見て、子どもながらに分析し、理解していた。そうしなければ、生きていけない状況を潜り抜けてきたのだ。

資料映像には、一瞬マネキンかと思うほど、ガリガリに痩せた全裸の遺体が大量に運ばれていく様子が映っている。人の命をここまで軽く扱うことができるのかと、目を疑った。アメリカ軍による終戦後の記録に、アウシュビッツのことは次のように綴られている。

「このにおいと何百体もの死体を我々は忘れられないだろう。ここは地獄の最も暗い片隅だ」と。

この映画を観るまで、わたしはホロコーストのことを、なんとなくしか知らなかった。医師のメンゲレのことも、ゲッベルスのこともだ。自分の無知を恥じた。そして、なぜこのようなことが行われなければならなかったのか。なぜそんな残酷なことを、わたしたちと同じ人間にできたのか。ハノッホ氏の話の背景を、知りたいと思うようになった。

調べていくと、思わぬことがわかってきた。「ホロコースト」とは主にドイツのユダヤ人虐殺のことを言うが、「他民族に対する大量虐殺」のことを指す。古くはチンギスハーンの時代から、世界中で何度も繰り返されていることであり、無差別の空襲や原爆の投下も、その一つに当たるという。さらに、ユダヤ人虐殺には、人間を社会にとって有用か否かで評価し、それ以外の人間は排除して良いとする「優生思想」も絡んでいる。

また、ユダヤ人に対するホロコーストは、ナチス政権が扇動したものとされている。しかし、実際はホロコーストはヨーロッパ各地で広く行われており、一般市民による虐殺行為も起きていたようだ。

「そんな酷いことを、なぜ一般市民が?」と思う反面、日本でも戦時中には、隣近所の人が軍人に「非国民がいる」と通報するような出来事もあったことを考えると、「犠牲を差し出すことで、自分は守られたい」「他の人より優位に立ちたい」という気持ちは、誰もが持っている側面なのではないかとも感じる。緊迫した状況下に置かれた場合、「自分は絶対にそんなことはしない」と言い切れるだろうか? 私には自信がない。そうならない自分でありたい、とは思うけれど。

他民族への排他的な考え方は、これまでの日本を振り返っても根深く存在するものだし、昨今も優生思想がベースとなった悲惨な事件も起きている。そして、今世界で起きている戦争や紛争も、こういった歴史的背景や思想が絡み合って起きている。認めたくないことだが人類は、何かきっかけがあれば虐殺行為に走ってしまう素地を常に抱えて生きているのかもしれない。だからこそ、知ることには大きな価値があると改めて感じた。

「ホロコーストは、独裁者ヒトラーによるユダヤ人の大量虐殺である」と単純化するのではなく、その背景は何なのか。どれほど非道なことが行われていたのか。どれだけの数の不幸を生んだのか。そうした過去を知って考えることが、私たちのこれからを戒める一助になればいい。

そう願うばかりだ。

『メンゲレと私』公式ホームページ

12月3日(日)より公開

文/神代 裕子

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