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「質問が苦手でダラダラ感想になってしまう」をどうすれば? 空を飛び、時を越えるスゴイ質問の力【連載・欲深くてすみません。/第26回】

元編集者、独立して丸8年のライターちえみが、書くたびに生まれる迷いや惑い、日々のライター仕事で直面している課題を取り上げ、しつこく考える連載。今日は、「質問」するつもりが「感想」になってしまうことについて考えているようです。

講演会やセミナーの質問コーナーでよく遭遇するのが、司会者に当てられてマイクを握った人が、延々と喋り続ける場面だ。
「私はこう思ってて、こう感じて、これに憤りをもってて……(7、8分経過)と思うんですけど……えっと、どう思いますか?」
会場のみなさま、それではご起立のうえ、ご唱和ください。せーの。
「それは質問じゃなくて感想だ!!!」
ふう。どうも、ご協力ありがとうございました。

独りよがりの感想に、とってつけたように添えた「どう思いますか?」。彩り目的のパセリのような疑問符。

こういう人、いますよねー。インタビューライターにも、ときどきおりますのよ。いま音声を聞いていたインタビューもそう。質問する側が、興奮して自分の感想ばっかり喋ってんの。インタビューだっつうのに。誰こいつ?
……私でした。
あれですね、人に指摘できることが、自分ではなかなかできないから、ふしぎですよね。

もちろん、感想を相手に伝えること自体が悪いわけではない。私もインタビュー中に(興奮して、ではなく)あえて、自分の感想や意見を差し込むことがある。「そういえば、このシーンがすごく素敵でした」「ありがとう。あのシーンには実は秘密があってね……」と、俳優さんに映画の感想を伝えたのがきっかけで裏話が聞けたことも。

ただ、ときどき「どう質問していいのかわからなくて、気づいたら感想になってしまう」と語る人がいる。この気持ち、私にはよくわかる。思えば学校や会社では、質問より感想や自分の考えを書かされること(そして、その場の正解っぽいものを忖度して答えること)のほうが多かった。私たちは「問う」より「答える」ほうが得意になっているのかもしれない。

では、日々臨んでいるインタビュー現場で、私はどのように質問を繰り出しているのか。

インタビュー中、頭を整理するために私がたびたび用いるのは、質問を3つの種類に分けることだ。(おおっ、なんかビジネス書っぽい入りである。こういうとき、だいたい3つなのはどうして?)。

1、事実を聞く質問
2、感情を聞く質問
3、考え(理解、意見、価値観)を聞く質問

……シンプルすぎやしないか。
いや、これくらいシンプルなほうがいいのだ。このジャンル分けを頭の隅でうっすら意識しておくと、相手に今、何を問えばいいのかを考えるヒントになる。

たとえば睡眠の専門家に、眠りの質を上げるための方法を聞く場合。専門家が「こうすると眠りの質が上がりますよ」と「考え」を教えてくれた場合、次に聞くべきことは何だろうか。

ここで、1の「事実を聞く質問」をしようと考えると、次々と聞きたいことが出てくる。その「考え」はどのような文献からもたらされたのか。エビデンスはあるのか。その方の推奨する方法を試した人の、体験談はないか。

別の例を挙げると、俳優さんに、新作の映画撮影について聞く場合。「このシーンは1000人のエキストラと撮影した」などと、1の「事実」がしっかり聞けた場合は、2の「感情」を聞いてみる。その撮影のときにはどんな気持ちだったか。1000人のエキストラを前に、プレッシャーはなかったのか。

あるいは3の「考えを聞く質問」を投げかけるとしたら? 映画のテーマや登場人物の行動に関連して聞くのも良いが、別の質問でその人の価値観を知ることはできないか? ……安直な例だが、自分や読者の体験を例に挙げて「あなたが同じ状況だったらどうしますか?」と聞くこともできるだろう。

以前、ある俳優さんに「これは読者から届いた悩みなのですが……」と言って、職場の人間関係について意見を聞いてみたことがある。「そんなの知らんわ」と言われてしまったらおわりだが、その方は撮影現場での自身の経験を語りながら、ものすごくユニークな考えを教えてくれた。伺っている間、私は「この話だけで原稿が書ける!」と大興奮だった。

状況や環境をあえて変えた(ずらした)質問によって、相手の別の顔が見えることもあるのだ。

状況や環境をずらす質問というと、忘れられない経験がある。誰もが知る宇宙飛行士の方にインタビューしたときのことだ。

名声を鼻にかけない、とても素敵な方だった。「あの広い宇宙のどこかに、宇宙人がいるかもしれない」と目を輝かせた少年時代から、スペースシャトルで宇宙に行ったときの話など、いろいろとお話を伺った。終了時間が迫ったとき、今のこの方の目には「宇宙」というものがどう見えているのだろう、と漠然とした関心を抱いた。

そのまま聞いても良かったのだが、それにしても、ひどく漠然としすぎている。それで私は、冒頭に聞いた子ども時代のエピソードを思い出し、とっさにこう聞いた。

「あなたは実際に宇宙に行かれたわけですが、もし今、この瞬間、タイムスリップして『どこかに宇宙人がいるかも』と思っている子どものときのあなたに会えたとしたら、何と声をかけますか?」

時間軸をずらし「昔の自分に語りかける」というシチュエーションにすることで、今、その方の目に宇宙がどう見えているのか、何か聞けるのではと考えたのだ。タイムスリップと言ったのは、前日、タイムスリップものの映画を観たからだったと思う。安直オブ安直。

ところが、質問を聞いたその方は「考えたこともなかった!」と声をあげ、「ちょっと待ってね」と目を瞑った。本当にタイムスリップをして、子どもの頃の自分に会いに行っているようだった。

返ってきた回答は私がとうてい予想できないもので、それを聞いた瞬間に、取材の1時間で私のなかにつくり上げられていたその方の“像”がぐらりと揺らいだ。ああ、この方のなかにはずっと少年がいるのだ。「よくわからないもの」の魅力に取り憑かれた、科学者の姿がそこにあった。この質問をしなければ、私はそうは感じなかっただろう。

質問を3つの種類に分けて考えるのはまあまあ役に立つが、それだけでは、こういう瞬間は訪れない。

漠然とした関心が、ひどく具体的な何か――それはインタビュアーが昨日観た映画かもしれない――に偶然結びついたとき、問いがうねり、相手の心の奥底にしまわれた箱を開け、そこから予想もしない言葉が飛び出す。

過去にも未来にも平気で行けるのだ。たぶん空も飛べるだろう。質問はスゴイ。

文/塚田 智恵美

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