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トレイルランナーが北杜山守隊の登山道保全ワークショップに参加してみた

私は山を駆け上がり駆け降りる爽快感が味わえるトレイルランニングというスポーツにどっぷりハマっている。毎週末どこかしらの山へと出かけていく生活を送っているのだが、普段トレイルランニングに出かける山には、ハイカーや登山者が使う登山道が整備されている。足場が悪いところには木道や木段が設置され、傾斜がきつい急登には梯子やロープがかけられている。登山道とは人の手によって整えられており、登山者の安全が守られている道なのだ。しかし、経年劣化や台風などの自然災害によって道は徐々に崩れてきてしまう。そんなような登山道は実はとても多く存在していて、市町村などの行政ではマンパワーも資金もなかなか追いつかないということを聞いていた。

そういう修復ボランティアがあるということを数年前に知り、登山道のヘビーユーザーとして、友人にお願いをして山中湖近くの石割山ハイキングコースの登山道修復活動に1日だけ参加させてもらったことがあった。その時は、細い登山道を、重たい丸太や砂袋をひたすら担ぎ上げて行ったり、落ち葉や木切れを集めるためにオフロード(登山道でない林の中)を行ったり来たり……かなりの重労働。それでも自分たちで道を直している、という充実感があり、機会があればまた参加したいとずっとチャンスを待っていた。

この度、縁あって世界的なアルピニストの花谷泰広さんが代表理事を務めている北杜山守隊の「登山道保全ワークショップ」に参加する機会を得た。CORECOLORのインタビュー記事で紹介されたことで、プライベートなグループで企画が進み、いの一番で手を挙げたのだ。念のため簡単に説明をすると、北杜山守隊とは、山梨県北杜市に拠点がある一般社団法人。雨や風雪などで荒廃してしまった南アルプスの山々の登山道の修復保全をしつつ、もともとある植生の回復を図り、あるべき森の姿を守る登山道保全活動をしている団体だ。

さあ、今度はどんな重労働なのだろうか、と覚悟してその日を迎えたが、どうやら今回の活動は「自然観察会(お勉強)」と「修復のワークショップ(実働)」の2部構成とのこと。以前の活動ではなかったお勉強パートではどんなことをするのだろう? というのも興味津々。そしてそのお勉強パートはあの花谷さんが実地でしてくださるという。労働だけではなくて学びもあるとは! なんとも素敵なプログラム。

実は前日にせっかくならば、とワークショップの舞台となる日向山に登山計画を立てていて、大雨だったにもかかわらず決行した(その経験がワークショップ当日の自然観察会では活きることになった)。日向山への登山道は急な登りはあまりなく比較的歩きやすい斜度が続いているのだが、雨水で登山道はちょろちょろと小川のようになっていた。ところどころに出てくる急斜面や大きな段差がある場所では、小さな滝のような勢いの流れもあるような状態だった。
とはいえ、その時は明日のワークショップでは天気が回復して、この水浸しの路面が少しでも歩きやすくなっているといいなぁと思いながら、しっかり登山を楽しんだ。

登山道の段差で滝のように流れる雨水

ワークショップ当日は、「雨が降った後の登山道はどうなっているのか?」という視点で勉強会が始まった。

雨の日の翌日なので、その答えが分かりやすく表現されているとのことだ。

日向山の山頂は「天空のビーチ」と呼ばれる白砂に覆われたまるで砂浜のような不思議な風景が広がっているのだが、それはこの山が花崗岩(火山のマグマがゆっくり冷えて固まった火成岩)で形成されていて、風化してボロボロと崩れた細かい砂が堆積しているからだそうだ。そう聞いて改めてよく観察すると登山道の表面は砂が覆っている。白っぽい細かい砂が雨水の流れた跡の形を残したままで堆積していた。

この細かい砂のおかげでこの登山道は非常に水はけが良い。前日には小川のようだった道は、1日経つと水たまりもぬかるみも全く存在していなかった。注意深く観察をしたのでなんとなく雨水の流れた跡を認められたが、普通に登っていたら全く気にも留まら無いだろう。雨が降ると地面に落ちた雨水は登山道の上から下へと流れていく。小雨ならば地面に染み込むが、一定以上の雨量があると道は小川のような流れになってしまう。水は表面の砂を流し、段差のあるところは滝壺のように地面を侵食する。近年多くあるゲリラ豪雨のように短時間で大量の雨が降ると登山道は大きな水路となり、大きな水の流れが木の枝や石を押し流して、場合によっては道を塞いだり傷つけたりすることがあるそうだ。そうやって登山道は荒れていってしまうと、花谷さんが解説をしてくれた。

前日の雨の量では変化は小さいながらも、水の流れは確実に地面を削ることになる。さらに雨の中で見た水の流れを思い出しながら水路の跡をしっかりと観察。流れた跡を辿ると、段差のあるところは滝壺のような凹みがあるし、登山道の大きなカーブは水が登山道を外れて崖の方に流れている跡も見られた。木から落ちて雨水に流されたイガグリや落ち葉は、水の流れが大きくカーブするところなど水流の緩やかになるところにたくさん溜まっていた。恐るべし、流れる水の力。

花谷さんの解説を熱心に聞くメンバー


雨は自然現象なので防ぎようがない。しかし登山道の荒廃の原因は雨だけではない。

大雨によって大量の水が登山道を流れるようなことがあると、流されてきた石が道の上に積み重なったり、水によって土がえぐられて凸凹になったりして歩きにくくなる。登山者は歩きにくい登山道は歩かずに、道の脇の植生のあるところを歩くようになる。すると人が踏み入れることで生えていた植物が踏み固められて後退していき、やがて土がむき出しになって降雨によって土が削られて荒れていく、という負のスパイラルに入っていってしまう。
ずばり登山道の荒廃の大きな原因は「水」だけではなく、人が踏み入ることによって起こる「踏圧」のふたつだと花谷さんは言う。植物がある部分の土壌には植物の根がしっかりと生えているので水によって土が流れてしまうことがない。つまり道は崩壊しないというわけだ。

私はこれまで登山道は人が使わなくなると荒れていくもので、人が通う道は健全に保たれると逆に思っていた。しかし、登山道の脇に生えている森の草や木は土をしっかりと保持する役割を持つことによって土砂による災害を防いでいるから、人が通る登山道と植生のバランスが取れていることが大切なのだ、ということを初めて知った。

ふと、自分のこれまでの行動を思い起こすと……

トレイルランニング中に山を駆け降りる時、歩いて降りているハイカーを抜かすときには邪魔にならないように、わざと歩く道を少し外れて植物の生えているところを通っていた。ぬかるんで滑ってしまいそうな箇所は道を外れて脇の草の上を通っていた。スピードを求めてあえて登山道でない斜面(つまりオフロード)を駆け降りてショートカットをするトレイルランナーもたまに見かけていた。

なんと、この行動は知らず知らずに登山道の荒廃を助長していたってことだったのか。これまでの自分のしてきたことを恥じたのと同時に、今後は絶対にするまい、と密かに決意した。

こうして自然観察会で登山道が荒れてしまう理由についてしっかり理解をすることができた。北杜山守隊の登山道保全活動は荒廃してしまった登山道を修復するだけではなく、道が荒れてしまう前に手立てを講じることも含まれる。つまり、登山道の修復とは、単に歩きやすく整えるということではなく、いかに山の豊かな植生を維持させていきながら安全な登山道を整備していくか、ということが大切なんだ、と気づかせてくれた。

「修復のワークショップ」もとても刺激的だった。

自然観察会で学んだことをどう現場作業に落とし込むのか。
いかに植生を守りつつ、登山道を改善したら良いのか?

降水量をコントロールすることはできない。ならば、水の流れをうまく分散させ、流れる水量のコントロールをすることで解決をしよう。北杜山守隊は補修する箇所ごとの山道の長さと傾斜を見て、水の流れをどうコントロールしていくかを判断し、登山道を補修していくとのこと。

私たちが修復する場所は土がえぐれて大きな段差ができてしまった箇所。素人ではどこからどうやって手をつけていいのやら全く見当もつかなかったが、北杜山守隊の技術リーダーの星さんの指導で最終の道の仕上がりをイメージしながら作業に取り掛かった。

どこに階段をつくると良いか検討中

まず補修をする箇所の斜度や距離、カーブを目視で確認する。何段ぐらいのステップを設けたら良いかイメージをする。ステップの高さは登山者に負荷がかからない20cm前後の段差にする。この20cm前後の高さにすると、人が無理なく上り下りができるので道を外れて歩かない。するとわざわざ道の脇の植生には踏み入らないので、登山道と定めた以外のところに植生が戻ってきて雨に強い森ができる一歩となるのである。登山道の補修とはただ人が歩きやすいようにしていくのではなく、降雨や踏圧で失ってしまった植生を回復し豊かな森にしていくことがゴールなのかも、と薄々感じてきた。

その気づきは実際に補修を始めてから確信へと変化していった。そのひとつに道の補修に必要な材料は山の中から集める、ということがある。

木段用の丸太は補修する箇所に近い林から立ち枯れた木を切り倒して必要な長さに切り出していく。えぐれてしまった箇所を埋めるための小枝と落ち葉と土砂もなるべく付近に落ちているものを利用する。材料や資材を他所から集めてこない理由は、もともとその場所にあるものを使うことで生態系を維持していくことにも繋がる。他所のものが入ってくるとそこにある生態系が微妙に崩れてしまい、植生の回復が遅れてしまう恐れもある。
ステップに使う丸太が雨水に流されたり人の踏圧によってぐらついたりしないように、しっかりと登山道に止めなければならないが、できる限り人工的なもの(金属の杭やコンクリート)を持ち込まない。現場にある木の切り株や石をうまく利用して木段を引っ掛けていく。そもそも現場近くの木を切り倒しているので、都合の良い形や長さに製材をしていないのだからピッタリとハマるわけがない。それでも設置する角度などを工夫してどんどん木段を作り上げていく。ここにあるものだけで作り上げる木段は、いわゆる「人工物」という風情はまるでなくて山の自然の中に溶け込んで風景の一部となっていた。

二股に分かれている木切れを自生する木に引っ掛けてステップの基礎を留める

えぐれてしまっていた場所に歩きやすい木段を7段設置して大体の作業は終了したが、最後に修復した登山道脇の植生の回復を促すために、少し大きめの木の枝を無造作に置く作業をした。これは人の心理を利用して踏圧を防ぐ手立てだ。踏圧が起きる大きな理由のひとつは、より歩き易いルートを通りたいとかショートカットをしようという心理が働き、登山道でないところを通ってしまい、やがて踏み固められて道らしきものができてしまう。すると植物は踏み固められて土が剥き出しになり、雨が降って侵食が進んでしまいどんどん植生が後退してしまい、自然災害に対して脆弱になってしまう、という結果になる。登山道を修復するのと同時に植生回復の手立ても打つことにより、山を強くしていくことにもなっているのだ。

作業中! の立て看板。

自然観察会で学んだことを、修復のワークショップで体験することで、これから何十年、何百年も先を見据えた登山道の修復作業をしているんだ!ということをビシビシ感じられた。

下山後の振り返りの時間で参加者みんなから「山の中での作業は楽しかった」という感想が飛び出した。それは自然の中で身体を動かす清々しさなのか、自分たちの作業が確実に何か良いことに貢献できているという充実感なのだろうか。確実に言えることは、自然観察会で現状と問題点をしっかり理解してからのワークショップは「やらされている感」より「関われて嬉しい感」がものすごく優っていたということ。
そして何より自分たちが取り組ませてもらった補修作業は、小手先ではなくて長い目で見据えた保全活動だったのだ、という充実感が大きかった。

特に登山道に日頃からお世話になっている私は、自分たちが安心安全に山中を走れるのは、路面が安定して道標がしっかり整えられている、つまり人の手が入った登山道があってこそだと思っている。私の仲間も同じようなマインドを持つ人が多い。そして歳を重ねてくると自分自身でも何か恩返しというか貢献したいという気持ちに駆られる人も多い。こういう人たちこそこの活動に参加して、自分たちの楽しむフィールドを守って行けたらいいのに! と強く感じた。

自然に溶け込みつつある木段(メンバーが1ヶ月後に再訪したときの様子)

アメリカではトレイルワーク(登山道の整備)の実績がエントリーの条件となっているトレイルランニングの大会がある。山で楽しむためには、山の保全を人任せにせず自分たちも関与するという文化が醸成しているのだろう。富士山の入山料が制定されるなど、日本でも徐々に山を楽しむ人が山を守るという傾向になりつつあるのかもしれない。

文/佐藤 優子

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