
何を選び、どう食べるかが社会を変える。『食べることは生きること〜アリス・ウォータースのおいしい革命〜』上映会&映画コラボ食事会
「わ……! なんだろ、この感覚!」
私はこの時、江東区のリトルトーキョーというビル内にあるレストラン「the Blind Donkey」にいた。日本仕事百貨とCORECOLORが共催する映画上映会『食べることは生きること〜アリス・ウォータースのおいしい革命〜』に参加するためだ。
このイベントには食事と映画のコラボプランが用意されていて、映画を見る前の食事会で思わずあふれ出たのが、冒頭の言葉である。
アリス・ウォータースさんは、米国カリフォルニア州にある予約が取れないレストラン「シェ・パニース」の創始者。世界中の料理人や教育者に影響を与え「オーガニックの母」「おいしい革命家」と呼ばれている人だ。
映画は、アリスさんの集大成となる本『スローフード宣言――食べることは生きること』の出版1周年を記念して来日した際の様子を撮影したもの。食事会の会場となったthe Blind Donkeyは、シェ・パニースの元総料理長・ジェローム・ワーグさんが創設したレストランで、現在の料理長・曽根浩貴さんが今回のイベントのために特別メニューを用意してくれたのだという。
使用しているのは、自然に寄り添う農法を実践している農家の食材。最初の料理、トレビスのサラダとリーキのガレットが運ばれてくると、その美しい色合いに「わー! おいしそう」とあちこちで声があがる。

料理を切り分け口に運んだ。1口目で「うん、おいしい!」と感じた。3口目で「おや?」と不思議に思った。5回、6回と味わう回数が増えるうちに「なんだろ、この感覚!」と驚いた。
どことなく、体からほわっと力が抜けていくような感じがしたのだ。食材のよさをいかしたシンプルな味わいに、力んでいた体がやさしく解きほぐされていくかのようだった。これが“心と体が喜ぶ”ということなのかと、初めての感情が沸き立つ。
そもそも私は料理が苦手で「オーガニック? スローフード? 何それオイシイノ?」と思っていたタイプの人間。できれば簡単な料理しかつくりたくないし、なんなら料理をしなくてもいい理由を毎日探している。周りの家庭と比べると、ファミレスやファーストフードを利用する回数もダントツで多いと思う。いわゆる「健康的で体にやさしい生活」とはほど遠い場所にいる人間なのだ(子どもたちよ、ごめん)。
その私がなぜ、この映画上映会に参加しようと思ったのか。シンプルに、食事も映画も楽しめることに魅力を感じたからだ。ところが気軽な気持ちで料理を食べたら、今までにない不思議な感覚を味わった。単純な私は「これがオーガニックの力なのかな。すごい」と感心していたのだけれど、映画を見て「今すぐに穴を掘ってそこに埋まってしまいたい!」と思うようになる。
恥ずかしくなったのだ。フワフワ考えていたさっきまでの自分はなんて浅はかだったのだろう、と。そして「先にレストランで食事をしてよかった」と心から思った。
*
映画のなかには、食と農に真剣に向き合う人たちがいた。
アリスさんは島根県や徳島県、京都府などを訪れ、子どもたちと一緒に学校給食を味わい、スローフードを実践する人々や大地を守る生産者、料理人と交流を重ねていく。そのなかで、アリスさんは「農家さんは私たちの宝」「農家さんが一番大事」と繰り返し語った。
その言葉を聞き、ハッとした。大切な人たちの存在を忘れてしまっている自分に気がついたからだ。今は1年を通して多彩な食材が簡単に手に入る。これもひとえに、手間暇かけて食べものをつくってくれる農家さんのおかげだ。彼らがいなければ、お米も野菜も果物も手に入らない。人は命をつなげないし、食べる楽しみや喜びを感じることもできない。そんな当たり前のことを、私はすっかり忘れていた。
いったいいつ、生きる源を届けてくれる農家さんの存在を思い浮かべただろうか。いったいいつ、食べものに込められた農家さんの想いを感じ取ろうとしただろうか。
映画の前半で、多品種の野菜を育てている夫婦が涙していた。悲しみの涙ではなく、喜びの涙。農業経営の理想と現実について話す彼らを、アリスさんは「あなたたちの仕事は本物だ」という言葉でやさしく、そして力強く包み込んだ。
いくら丹精込めて食べものを育てても、天候次第で収穫量が減ったり、努力や苦労に見合わない価格で販売したりする。そうした理不尽ともいえる状況のなかで、農家さんは必死においしい食べものをつくっている。「このまま農家を続けていいのか」と葛藤する夫婦が、アリスさんのまっすぐな言葉で誇りと自信を取り戻し、感涙する姿に胸を打たれた。
アリスさんは「土地を大切に守る人たちから食べものを買うことは、国の未来を守ることだ」と言う。便利さ、早さ、安さを重視するファーストフード的価値観にすっかり染まっている私には、難しそうな話だと感じたのが正直なところだ。
しかし何か特別な方法でなくても、まずは目の前にある食べものと、それを届けてくれる農家さんに感謝することから始めればいいとわかった。お気に入りの農家さんから取り寄せるのも、農家さんの顔が見えるファーマーズマーケットで買うのもひとつの方法だ。その積み重ねが、いつの間にか離れてしまった私たちと農家さんの距離を縮め、社会を変えるきっかけになるのだと思う。
また、アリスさんは「日本に住んでいるみなさんは幸せですね」と語った。日本は自然の美しさにあふれていて、人々は食卓とその美しさを大切にしている、と。
日本で暮らす私たちは、その幸せを忘れかけているのかもしれない。四季の変化に富み、豊かな自然に恵まれ、「自然を尊ぶ」の精神に基づいた食文化があるということを見すごしている人が多いのではないだろうか。残念ながら、私もそのひとりだ。そこにある幸せがあまりにも近すぎて、よく見えなくなっていた。
古来より日本人は、五感を働かせながら季節の移ろいを楽しんできた。けれども時代の変化とともに、そうした繊細な感性や感覚は失われつつある。それを少しずつ取り戻すことが、日本で食から社会を変える「おいしい革命」への第一歩となるのだろう。
映画を見終わったあと、頭に浮かぶのは出演した人たちの笑顔だった。アリスさんと言葉を交わす人、アリスさんについて話す人、農業や食べものに対する想いを語る人、みんな素敵な表情をしていた。
ふと自分を振り返ってみた。そこにいたのは、安くて、早くて、簡単な食事を選び、満足している自分だった。本当にそれでいいの? 私たちの周りには、生命力にあふれた旬の野菜も、愛情たっぷりに育てられたお米も、自然のリズムに合わせて栽培された果物もたくさんあるのに。
「食べることは生きること」。何を選び、どう食べるのかは、自分の健康に留まらず社会や地球の健康にも影響するという。レストランで食べものが持つ力を感じたからこそ、もう無関心ではいられない。なりたてホヤホヤの新人ではあるが、私も立派な「おいしい革命家」のひとりだ。ちょっとでもいい未来を次世代に引き継ぐために、まずは食卓から変えていこう。
文/山本 ヨウコ
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