
「もっと狂いたい」。映画『国宝』は、今なお私に誘惑の流し目を送る。
中学二年生の時だったと思う。
学年集会で、学年主任のE先生がこんな話をした。
「俺が君たちくらいの時に、親から『お前は私たちの本当の子供ではないんだよ』と聞かされた。いいか、宿命は変えられないんだ。変えられない。けれども、運命は変えられる。覚えておきなさい」
どんな文脈から出てきた話なのか、どんなオチだったのかもまったく覚えていないけれど、この言葉だけが記憶に残った。
14歳の私には、この言葉を消化できるだけの人生経験がなかった。
でも、大きな体で不愛想なその先生が、なんだかとても大切なことを言っている「らしい」ことだけはくみ取った。
学校から帰ると必ず、「今日どんなことがあった」を母親にしゃべりまくっていた私だが、その日はその話に一切触れなかった。
単純なおしゃべりで扱ってはいけないような気がした。
30年以上経った今、キャリアコンサルタントとして企業研修をしている私が、キャリアの研修で必ずする話がある。
「人生で配られるトランプは、選べない。どんなカードが配られるかわからない。けれども、手にしたカードでどんなゲームをするのか。その自由はいつだって、私たちの手の中にある」
私が自分の人生を通して、そして仕事で関わらせていただいた1万人以上の方々の人生から、そしてそれ以外にも、出会ってきたすべての人たちから学んだことをまとめた言葉だ。
*
おととい、映画を観ている間に、E先生を思い出した。
公開初週の3日間で観客動員数24万5000人と、大ヒット上映中の『国宝』。
任侠の一門に生まれた喜久雄(吉沢亮)が、抗争によって親を失い、歌舞伎役者の家に引き取られて芸の道に身を捧げた半生を描いた作品だ。
カンヌ映画祭ではスタンディングオベーションが6分間、鳴りやまなかったという。
日本の愛知県のとある映画館で鑑賞した私も、席を立つのがもったいないほどの余韻に浸り、いつまでもラストシーンの喜久雄とともにいたかった。
身体中からシューシューと蒸気を出しながら映画館を後にして、最初に絞り出た言葉はこれだった。
「……なんという、人間曼荼羅」
「曼荼羅」というと、大谷翔平選手の目標達成マンダラが有名だけれど、もともとは仏教の教えを広めるための絵だ。
そのうちの一つ「胎蔵界曼荼羅」は、中心には宇宙の根源を表す大日如来が座していて、その周辺に多様な仏さまが配置されている。
センターを務める大日如来から発せられる教えが、周辺のメンバー(仏さま)を通じて放射線状に広がって、生きとし生けるものを救済する。また、それぞれの仏さまたちもお互いに繋がり助けあいながら、それぞれ特有の存在意義を果たしている。
という様が描かれているという。
で、『国宝』に戻る。
主役の喜久雄をセンターに、取り巻く登場人物すべてが繋がり助けあいながら、ときに複雑にもつれあいながら、ひとつの世界を創り上げ続けていた。
世襲制の歌舞伎界において、一門の名を継ぐことになっている一人息子・俊ぼん(横浜流星)と肩を並べて稽古する孤児・喜久雄。この二人、それぞれに背負った宿命がある。
……けどな。
登場人物、みんなそうだ。
なんなら、これを読んでくださっているあなたも、書いている私もそうだ。
E先生も。みんなそうだ。
それぞれに、背負った宿命があり、それと一緒に精一杯生きていく。
多様な生命の活動が、この世界に表れている。
人間だから仏さまと違い、悟ってないから悩み苦しむ。
宿命からは逃れられない。けれど、それぞれのお役目を果たしながら、生きている。
人間界も、曼荼羅だ。
*
『国宝』という人間曼荼羅。
登場人物それぞれの人生に思い当たる節があり、目が離せなかった。
次々に、「重なる私」が呼び起こされる。
高畑充希演じる春江の、好きで大切な人が、もはや自分とは一緒にいられないほどの遠くに行ってしまったことを認めなくてはならない悲しみも。
寺島しのぶ演じる幸子の、優しい自分でいたいけれど、あらゆる利害関係と自身の執着を拭いきれず、社交に徹することでしか自らを保てない苛立ちも。
渡辺謙演じる半二郎の、妻に意地汚いと罵られようとも、親心にかたく蓋をして、正しいと思える審美眼の声を選んだ断腸の念も。
横浜流星演じる俊ぼんの、生まれ持った宿命の重さに押し潰されまいと陽気に振る舞う切なさも。
すべて、私の中に、ある。
スクリーンの人生に共鳴しっぱなしだったが、この物語の中で唯一人、歌舞伎界を外から眺める立場である、三浦貴大演じる竹野(歌舞伎の興行を担う会社のスタッフ)の言葉が、私の背中を引っ張り正気に戻す。
「あんな風には生きられねぇな」
人間国宝となった、喜久雄。
同じく人間国宝、田中泯演じる万菊。
圧倒的な高みにいる二人。
自分に狂える人生は、魅力的だ。
戻ってこられない魔の世界が、その先にある。
その誘惑にのった人だけが見ている景色がきっと、あるのだろう。
最近、何かが足りないと思っていた。
狂いだ。だから、喜久雄に魅せられる。
私の中の狂いが疼き、こっちへ来いと誘われる。
けれども狂うには、狂うために不要なものをすべて脱ぎ捨てなくてはならない。
「あんな風には生きられねぇな」とため息をつく。
一隅を照らす、これすなわち国宝なり ~天台宗開祖・最澄~
人間国宝にはなれないけれど、一隅を照らすべく、自分の持ち場でできることを精一杯やる。
自分のしょぼさにガッカリして、俊ぼんのように姿を消したくなることもあるけれど……って、思い切って消せばいいのか。
でもなあ、消せないわ。あれもこれも、心配だし。
と思ってしまう私はどこまでいっても、国宝にはなれないんだよ。ホントにさ。
自問自答が続くのは、いい映画だった証拠だ。
3時間と長い作品だけれど、家で観るにはもったいない。
少なくともあと一回は、劇場に足を運びたい。
文/渡辺 清乃
映画『国宝』 公式ホームページ
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