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自分に何ができるのか。『犬と戦争』を見て思ったこと

暗くなった映画館に犬のけたたましい吠え声が響く。スクリーンには広い犬舎が映し出され、犬の名前を一頭一頭泣きながら呼ぶ声が重なった。痛ましい光景に私は目を伏せそうになったが、「ちゃんと見なければ」と心に決めた。改めて映画『犬と戦争 ウクライナで私が見たこと』に臨んだ。

2022年2月24日、ロシアによるウクライナへの軍事侵攻が始まった。連日テレビで爆撃の映像や緊迫したニュースが流れていたことを覚えている。そんな混乱の最中、犬や猫を案じて、ウクライナで取材を始めた人がいる。それが『犬と戦争』を手がけた山田あかね監督である。

山田監督は、犬や猫の命をテーマにドキュメンタリー番組や映画を制作してきた映像作家だ。取材者として動物たちに向き合い、その一方で飼い主のいない犬と猫の医療費を支援する団体「ハナコプロジェクト」を立ち上げ、命を守る活動も行っている。

ウクライナ侵攻の報道を見ていた監督は、「犬たちの現実を伝えなければ」という大きな覚悟のもとに、渡航を決意する。カメラマンに声をかけ、通訳兼コーディネーターを見つけて、4月半ばに隣国のポーランドに降り立った。国境近くの町で取材を開始し、ウクライナに入国した。

それから3年、山田監督は日本とウクライナを行き来しながら、たくさんの犬と人々の取材を重ねてきた。その記録が109分のドキュメンタリー映画『犬と戦争』となり、公開を迎えた。私たちは作品を通して、遠い国で起きた現実を知ることができる。

スクリーンには、さまざまな日常が映し出される。歴史ある美しい町、広場でくつろぐ犬、空襲警報が鳴りシェルターで過ごす夜、青空にモクモクと上がる煙、壊れて車が走りにくい道路、崩壊した建物、銃弾の跡が残る車、さまよう犬、瓦礫や壊れた家から犬を救い出す人たち……。静かなナレーションで見せられる現実に、戦争が生活を侵食していく緊張感と恐怖を感じた。

そのなかで私が何度も思い出すのは、「ドッグフードの袋」が映る場面だ。

ウクライナからの避難民が到着するポーランドのプシェミシル駅。スーツケースや大きなバッグ、リュックを背負った女性や子どもたちが行き交っている。犬を連れた人もいて、ドッグフードを袋ごと抱える家族の姿も見えた。

犬を連れ、ドッグフードを持って移動するのはきっと大変だっただろう。「この量で足りるかな」「何日持つかな」などの不安もあったかもしれない。ドッグフードを抱える人たちから、「犬を守ろう」という気持ちが伝わってくる。

ドッグフードの袋は、犬の救出や保護活動を行う人たちの場面にも登場する。彼らは、犬にフードを差し出し、やさしく撫でながらケージに入れて保護していく。最前線近くの村では、犬を見かけるたびに車を停め、フードをまく。飼い主を失い鎖に繋がれたままの犬を見つけたときは、大きな袋からフードを出して与え、その間に鎖を切って救出した。『犬と戦争』のポスターにも、袋を持つ男性と小さな犬の姿が構成されている。

ドッグフードの袋は、やさしさと希望の象徴のように見えた。温かい気持ちが込み上げくる。

もちろん『犬と戦争』は悲惨な現実も突きつける。冒頭で触れた場面は、ウクライナの首都キーウ郊外の町、ボロディアンカの公営シェルターで撮られた映像だ。あばら骨が浮き出るほどに痩せ細り、力尽きた犬が何体も映っている。この映像を見たことをきっかけに、山田監督は関係者に取材し、何が起こっていたのかをつかんでいく。

『犬と戦争』を通して、私はこの悲劇を知り、犬の命を想った。同時に、戦時下には理不尽で悲惨な死がたくさん存在すること、悼むことができなかった命があることも知った。

ウクライナ侵攻から3年。戦争はまだ終わっていない。それどころか、世界中で戦争に向かう気配が濃くなっているように感じられる。

自分に何ができるのか。ずっと考え続けている。

映画には、イギリス軍の元兵士で動物救助隊「BREAKING THE CHAINS」を立ち上げたトムさんという男性が登場する。彼は、従軍した経験を生かして、爆撃の音が響くなかで動物を守り、瓦礫の中から子犬を巧みに救い出すなど、最前線で活動を続けている。また、犬を通して人を支える取り組みも行っている。トムさんにはかつて犬に救われた大きな出来事があり、現在ウクライナのシェルターでケガをした兵士のためにドッグセラピーを実施しているのだ。犬を助ける人がいて、犬に触れて笑顔になる人もいる。犬は人を支える存在でもあることを、私は改めて認識した。犬を助けることは自分や人を支えることに繋がるし、そもそも戦争がなければ人も犬も犠牲にならない。犬を守るため、平和を求めるために、私にもできることがあるのかもしれない。

この日は、上映後に山田あかね監督と作家の和田裕美さんのトークショーが行われた。話題にあがったのは、『犬と戦争』に対し「見るのが怖い」とためらう人が多いということだった。私も実は同じ気持ちで、犬が好きだからこそ直視するのが怖く、映画館に行くのに決意が必要だった。和田さんは、そんな怖がる人を思いやりながら、「怖いものを見ないと、誰も助けられない」と力強く語った。かわいそうな状況にある犬を見ることができなかった私は勇気が少しわいてきた。

『犬と戦争』を見て以来、犬が好きなひとりの人間として、まず日本の犬の現実を見なければ、という思いが増している。保護犬はどんな状況に置かれているか、災害があったとき犬はどうしているのか。犬の現実を知ること。これが自分にできる最初の一歩なのかもしれない。

『犬と戦争』公式ホームページ

文/鈴木 ゆう子

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