
ファンですっていわなかった【さとゆみの今日もコレカラ/第 331 回】
生まれて初めてもらったサインは、中学生のときに遠征中の伊丹空港の食堂でお見かけした瀬戸内寂聴さんのサインだった。私は『女人源氏物語』の大ファンで、でも本は持っていなかったから持っていたノートにサインしてもらった。一緒に写真を撮ってくださいとお願いしたら、「それはいいけれど、このジョッキは映さないでね」と、それまで豪快に飲んでらした生ビールを背中に隠したところが素敵だった。
大学時代に付き合っていた人が俳優だった。ある映画の撮影現場で私が大好きなアーティストさんと一緒だというので「サインをもらってきてほしい」と言ったら、キレられた。あのな、仕事っていうのはそういうものじゃないんだよ。主演にサインがほしいなんて恥ずかしいこと、言えるわけないだろう。素人かよ。
そのときはなぜ怒られたのかよくわからなかったけれど、ライターの仕事をするようになってから、なるほどこういうことかと思った。どんなに憧れの人に取材させてもらったときでも、とうていサインをお願いできるような雰囲気にはならない。相手がどんなに有名人でも、そこでは対等な仕事相手として存在していなければならない。
ちゃんとその人の目の玉の位置に自分の目の玉を合わせなくてはいけないインタビュー現場では、自分もプロとして背筋を伸ばしてめいっぱい背伸びする必要がある。ファンですぅなんて言っている場合じゃないのだ。
仕事でご一緒した方と意気投合して、プライベートでも遊びにいくような関係になることがある。「私、この人のファンだったのに、不思議だなあ」と思うこともある。だけどこれは、「ファンです」といって出会っていないからだろうなと思ったりする。
なんでそんなことを考えたかというと、昨夜、取材の間はずっと雲の上の人だと思っていたベストセラー作家さんとそのパートナーさんとお食事していたからだ。インタビュー中は大先輩への取材で超緊張していたし、こんなふうにその後おしゃべりできるような間柄になるとは思っていなかった。
いっぱい食べていっぱい笑って、文章についての話もいっぱいした。とても楽しい夜だった。
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「どうして『ファンです』と言ってはいけないんですか?」


