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「どちら」でもない幸せの海【会いたいから食べるのだ/第8回】

知らない街を訪れると、ビームスやユナイテッドアローズがあるかどうかで、その街が栄えているかを判断してしまう癖がある。世界中から買い付けたアイテムを並べるセレクトショップとしてかつてブームを巻き起こし、今もファッション業界を引っ張るブランドだ。

私が生まれ育ったのは、都心まで電車で片道1時間半かかる神奈川の郊外だった。中高生の頃はファッション雑誌を立ち読みしまくり、憧れのビームスやユナイテッドアローズがある原宿や渋谷への思いを募らせた。年に2回ほど上京してセレクトショップ巡りをするのがビッグイベントで、おしゃれすぎてどう着こなせばよいのか分からない服の値段を見ては絶句し、少ないお小遣いで買えるアイテムを必死で探した。

山手線沿線の大学に進学し、東京は「遠い聖地」から「いつまでも馴染みきれず、心の距離だけが遠いままの場所」に変わった。おしゃれな店とは無縁の盆地で育った私が毎日東京に通ったからといって、急にセンスが磨かれるわけもない。大学生の頃は芋くささを隠しきれていないのではと怯え、心の真ん中にいつも劣等感が居座っていた。

先日、東京から鹿児島にUターンした友人のMちゃんに会いに、鹿児島を初めて訪れた。3月半ばで、私が今現在住んでいる尼崎は冬の寒さがしぶとく残っていたけれど、飛行機で降り立った鹿児島は初夏の入り口までワープしたような暖かさだった。

Mちゃんと待ち合わせした鹿児島中央駅は驚くほど栄えていた。駅ビルにビームスもトゥモローランドもシップスもあるではないか。2年ぶりに再会したMちゃんに挨拶もそこそこに「鹿児島って何でもあるんだねぇ!」と店の名前を挙げた。

「何でもあるけど、何もないところですよ」

駐車場に向かいながら、年下の友は考え込むことなくサラッと答えた。私は「あるけどない」という矛盾する言葉の真意を確かめたかったけれど、彼女の赤い車に乗り込んだりしているうちにタイミングを逃してしまった。この旅が終わるまでに聞けたら良いなと心に留める。

Mちゃんとは、2人がまだ関東にいた6年前にInstagramを通じて出会った。Mちゃんは地元鹿児島の高校を卒業後、デザインを学ぶためにサンフランシスコの大学に留学したらしい。帰国後は暮らしの道具や器を扱う東京の店でWebデザイナーとして働き、今は鹿児島でフリーランスで活動している。リネンの黒ワンピースが似合いそうなナチュラルで柔らかい雰囲気の隙間から、芯がまっすぐ通った凛々しさが見え隠れする。実は彼女と対面で会うのはまだ5回目だった。

3日の旅の間ずっと、Mちゃんは赤い車で鹿児島を案内してくれた。桜島を望める高台のおしゃれなカフェ、水筒に入れて持ち歩きたいほど出汁が美味しいおでん屋、漁獲後すぐに首を折って鮮度を保つ「首折れ鯖」が絶品の食堂、美しい御神馬が優しい目で迎えてくれる鹿児島神宮。Mちゃんが自信をもっておすすめしてくれる場所を、花瓶に色とりどりの花を1本ずつ挿していくように私たちは巡った。どの場所も本当に素晴らしく、私の心に「人生で初めて」と「人生で一番」がいくつも生まれた。

赤い車をずっと走らせ、鹿児島の美しい景色や、たまにお互いの横顔を見ながらおしゃべりし続ける。私たち2人きりの、この親密な時間があったからこそ、辿り着いた目的地での体験がより輝きを増した気がする。水墨画のような桜島が太陽に照らされて山肌をくっきりさせていく景色や、山道の木の葉の1枚1枚に光の涙がこぼれ落ちる景色。次々と流れゆくそうした景色に、2人の笑い声を重ね合わせる贅沢な時間だった。

会うのはまだ5回目だからお互いによく知らないとはいえ、Mちゃんのおしゃべりは私の予想をことごとく裏切ってくれた。

「雑誌はZipperをめっちゃ読んでいて、中学の頃は左右バラバラの蛍光色の靴下を履いたりしてましたね。高校に入学したときに眉毛を半分剃って麻呂眉にしたら、見事に周りに怖がられました。ラフォーレ原宿もいいけど、渋谷のマルキューにも憧れてたな」

えぇっ、もともとは派手好き!? 今のナチュラルなファッションと真逆! 東京に憧れがあったのは私も同じ!

「鹿児島に帰ることになったのは、親にいつかは戻ってこいと言われていたからです。本当は東京にいたかった」

そうか、Uターンはもともと「仕方なく」という面があったのか。

でも、Mちゃんはどうせ帰るなら嫌々ではなく自分の意思で帰りたいと、鹿児島での暮らしについて真剣に考えるようになったという。そんな中で鹿児島で素敵な人やものに出会えて、移住に前向きになれたそうだ。

カッコつけず素直に話すMちゃん、やっぱり大好きだ。

「七恵さんをぜひ連れて行きたいんです。『いちごのスープ』を一緒に味わいたくて」

2日目の朝、Mちゃんがそう言ってくれたお菓子屋に向かう車中で「鹿児島は何でもあるけれど、何もない」の話を切り出してみた。

「鹿児島が何もないなら、東京はどうなのかな?」

「東京も何でもあるけど、何もないところですね」

「えーっ、まさかの一緒! 何もないって、Mちゃんにとってネガティブなことなの?」

「ネガティブでもあり、ポジティブでもある。東京はあまりに良いお店がありすぎて、選ぶのが難しいですよね」

そっか、どこに行けばいいのか分からなくなって結局どこにも行かなければ、「何もない」と同じかもしれない。

「鹿児島は東京みたいにお店が多くないから、迷わないで良いですよね。一つひとつのお店を深掘りしやすいし。いつも同じところに行くと飽きちゃうこともあるかもしれないけど。東京も鹿児島もバランスよく楽しみたいです」

淡々と話すMちゃんの横で、私は少し恥ずかしくなった。昔からずっと「東京」と「東京以外」でパッキリ分けて、ことあるごとに比較して落ち込んだりしてきたから。すぐに「ポジティブ」と「ネガティブ」のどちらかに当てはめようとする癖もある。二項対立で世界を捉えてきたのだ。でも、曖昧であることを許し、二項対立から自由になれたら、世界はもっと明るく優しい場所になる。そんな予感が胸に灯る。でも、どうやって? 何かと何かを比較しそうになったら「二項対立はあるけど、ない」と唱えたらいい? 私がぼんやりと考えている間にも、赤い車は「いちごのスープ」を目掛けて走る。

「七恵さんも絶対好きになる」と旅の前から言われて楽しみにしていた「spoon」は、Mちゃんが「絵本の世界」と表現していたとおりの素敵な店だった。アンティークの木のテーブルやドライフラワー、柔らかな白のリネンのカーテンなど、店の中の全てのものが、1ミリもずれずに最も美しい位置にある。私たちは一番奥の窓に面した席に、ドライブ中と同じように横並びで座った。この完璧な世界に2人がぴったり収まった気がして嬉しい。

春だけのお楽しみの「いちごのスープ」は、青い花の絵の古い器に盛られてやってきた。たぷたぷと注がれた赤いスープに、白いパンナコッタやメレンゲ、タピオカがやはり完璧な配置で浮かんでいて、もはや一つの芸術作品だと思う。ごくんと喉を鳴らしてから、赤いスープをひとすくいし、そっと飲み込む。生のいちごならではのフレッシュな甘酸っぱさが口中に広がり、懐かしさのある幸福感に泣きそうになる。幼い頃、母の手作りのいちごアイスを母と笑いながら食べたことを思い出したからかもしれない。

横で同じようにスープをじっくり堪能しているMちゃんに、ふと尋ねてみた。

「鹿児島でも東京でもどこでもいいんだけど、次に住みたい場所ってある?」

なぜ聞きたくなったのか自分でも分からない質問に、Mちゃんはすぐに答えてくれた。

「海にすぐに行ける場所ですね。海のそばで育ったから、海がないと息苦しくなる」

そっか、海か。私は海のそばじゃなくても大丈夫だなぁ。人それぞれだねぇ。そんな相槌を打ち、また黙ってスープを飲む。待って、今もしかして二項対立から自由になるヒントを得たかもしれない。Whichに振り回されそうになったら、どちらの選択肢も内包する、もっと大きなWhatで捉え直せばいいのでは。鹿児島? 東京?  いえ、海!

心の中でぶつぶつ言っていると、Mちゃんがしみじみとつぶやいた。

「このスープは幸せの海ですねぇ」

目尻を下げるMちゃんの美しい横顔を思わず見つめてしまった。ないと生きていけないほど大切な海に喩えられた赤いスープ。それを一緒に味わえる喜びを、ゆっくりと飲み込んだ。

文/さなみ 七恵

spoon
鹿児島県鹿児島市城山町1-13 ナポリビル2F

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