
一時停止ボタン【さとゆみの今日もコレカラ/第474回】
仲のいい男友達がいる。もともとは仕事で出会ったのだけれど、同い年で気が合ってその後も連絡を取るようになった。かれこれ10年近くの付き合いになるだろうか。
たまに会ってはお互いに近況報告し、最近読んだ本や観た映画、仕事の話なんかをする。ときどき私の文章に感想をくれたりもする。
なにかとせわしない東京砂漠で、年に何回かの彼とのやりとりは、肩の力がすとんと抜けるオアシスのような時間だった。大切な友人だ。
彼も私も、気が長い。
「自分は自分、人は人」といったタイプなので、他人に干渉もしない。だから意見が違ってもケンカになるようなことはないのだけれど、ある日、私が酩酊して変な絡み方をしたことがあった。
支離滅裂になった私に対して彼は、「ちょっと飲み過ぎちゃったね。今日はもうお開きにしよう」と言い、コートを着て店を出ようとした。
私は酔っ払っているものだから、帰ろうとする彼にイラっとした。「ちょっと待った! 私の話をちゃんと聞いてよ」と、さらに絡んだ。彼は「何をそんなに怒ってるの?」と聞く。ほんとだ、私、怒ってる。話したいことがあると言っているのに、帰ろうとする彼に腹が立っているのだ。
そして、「今から、私が思っていることを話すから、聞いて」と言ったら、彼はなんとまさかの「うーん、嫌だ」と言った。
え? い・や・だ・?
嫌だ? 嫌だって何?
思いもかけない返事に私がびっくりしていると、「酔っているときに、何か話すのはよくないよー。また今度話そうねー」と言って、本当に帰っていった。
残された私は、ぽかーん、である。一人でさらにお酒をあおって、「え、どゆこと? どゆこと?」とぐるぐるする。
そのうち、吐き気がしてきたので、帰って寝た。
目が覚めたらお昼が近かった。そして、私が何に対して彼に絡んだのか、何で怒っていたのか、すっかり思い出せなくなっていた。うわーん、ただの酔っぱらいではないかと自己嫌悪に陥る。
彼に謝らねばと思ってケータイを見ると、メッセージが入っていた。
「昨日はいろいろ話して楽しかったね。ちょっと酔ってたみたいだけれど、具合、大丈夫?」と、書かれている。昨日の私の醜態には触れられていない。なかったことにしてくれているみたいだ。
「昨日は酔っちゃってごめんねー。もう大丈夫。またそのうち!」と返したら「あ、具合大丈夫ならよかった。うん、また!」と返事がくる。
シャワーを浴びて頭がしゃんとするにつれ、彼のあの「嫌だ」は、すごかったなと思う。
あのとき、酔った勢いで絡み続けていたら、どちらにとっても嫌な時間になっていただろう。そして、どんな話になったかはわからないけれど、建設的な話などできなかったに違いない。
私はなんでもかんでも、その場で白黒つけたがる。宵越しのモヤモヤは持ちたくないから、何が何でもすぐに結論を出そうとする。
だけど、「嫌だ」と言われ、強制的に一時停止ボタンを押されたから、それ以上絡むことができなかった。それ以上、絡まないようにしてくれた彼に、今は感謝している。
しばらく経ってまた彼とご飯をしたとき、その話を持ち出すと、「ああ、絡んだの、覚えていたんだ」と、笑われた。
「いやあ、あの時、帰ってくれてよかったよ。もっとひどい醜態さらすところだった」と言ったら「うん、酔って感情的になっているだけだなと思ったから。そういう時は話すより寝た方がいいだろうと思った」とおっしゃる。
すごいマネジメント力だなと思った。
そういえば、彼はずいぶんたくさんの部下をマネジメントしている人だった。
「感情的になっているときは、時間を置いたほうがいい結果になることが多いんだよね」とおっしゃる。
いや、ほんと、それなと思う。その瞬間は「え? どうして今、話を聞いてくれないの?」と一瞬頭に血がのぼるけれど、次の日になったら、乱れた感情の9割は正常値になっている。むしろ、あのまま感情的にぶつかって、次の日の朝もっとひどい自己嫌悪に陥ることを、彼は止めてくれたのだと思う。
「そのマネジメント力、見習おうと思いました」と私が言うと、彼は、「マネジメント力!」と言って、またからからと笑った。「そうかあ、あれはマネジメント力なのか」と、笑っている。
この人、ほんと大らかで好きだなあと思う。
かくて、彼との友情はいまも保たれている。
一時停止ボタンという新しい武器をもらった私は、以前よりも少し、人付き合いが上手くなった。
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私の、あなたの、深く長い怒りの中にはどんな自分、感情が潜んでいるのだろう。


