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サイコロを振って生きていく【さとゆみの今日もコレカラ/第577回】

昨日、私がやっていた文章訓練のひとつを紹介した。

昔、毎週書評を書く連載をしていたとき、書き出しから10行くらい進めたところで「そして」と書き、文章を仕上げた。そして同じ場所まで戻って「しかし」と書き、それに続く言葉を捻り出して文章を仕上げた。同じ書籍で2本の原稿を書くようなことを何度かした。

「そして」の国と、「しかし」の国で、全然別の話が展開される。結論も真逆だったりする。

「そして」の国と「しかし」の国【さとゆみの今日もコレカラ/第575回】より

読んでくださった方から、ディベートの訓練に似ていますね、というコメントをもらった。その通りだと思う。

たとえば、「生きることと死ぬことはどちらが大変か」というディベートテーマがあったとする(ディベートテーマ100選から適当に選んだ)。

AチームとBチームに分かれる。

Aチームの人は「生きることのほうが大変だ」の立場で語る。

Bチームの人は「死ぬことのほうが大変だ」の立場で語る。

さんざん語り合ったあとに、「はい、じゃあ、逆の立場にチェンジしてください」と言われる。

舌の根も乾かぬうちに、これまでと180度立場を変えて、もっともらしく発言をする。

どこかのタイミングで、思ってもいなかったことを語るハメになる。

私はこの、「思ってもいなかったことを無理やり思いつかされて話す」のが結構大事だと思っている。私がやってきた「そして」の原稿と「しかし」の原稿を書く訓練は、まさにこれであったなあと思う。

いま、訓練と書いたけれど、正確にいうと文章訓練のためにやっていたわけではない。どっちの接続詞ほうが面白い結論になるか、シミュレーションしただけの話であったなと思う。

文章の面白さのひとつが、起承転結の「転」にあるとしたら、どうすれば「転」じることができるか、その方法はいっぱい持っていたほうがいい。「転」で飛べれば、「結」はあとからついてくる。

自分が思考できることのパターンなんて、高が知れている。

だから、人生ゲームのように、サイコロを振る。出た目に合わせて書くことを決めるくらいで初めて、普段しない思考ができたりする。

そしてやはり、これも、書くことの話だけではない。

人生もサイコロをふって出た目で進むくらいの偶発性に任せていると、思ってもいない道が生まれる。

人生に「転」が起こる。

私が旅が好きなのも、偶発性、つまり「転」の数を増やしたいからなのだろう。

そういえば以前息子が、進路に関わるわりと大事なことを、「ちょっと判断しかねるから、サイコロを振って決めていい?」と言っていたことがあった。

非常にクリエイティブだなあと思った。

★今日もコレからは毎朝7時に更新して24時間で消えるショートエッセイです。今日もコレカラ良い一日を!

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