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ジンギスカン屋での演技! ハンデだらけの舞台で、トップ俳優の底力を見た。阿佐ヶ谷スパイダース「父の詫び状」

2022年11月、約20年ぶりに「阿佐ヶ谷スパイダース」の公演を観に「ジンギスカンGakuya」に行った。劇場ではなく、ジンギスカン専門店での公演だった。なぜジンギスカン専門店で行うのかといえば、今回の公演は下北沢を盛り上げるイベントのひとつだからのようだ。同イベントでは、他にも駐車場で盆踊りが行われたり、本多スタジオで古本屋が開かれたりした。

調べてみると、「ジンギスカンGakuya」は本多劇場がプロデュースするお店だった。といっても、中は普通の飲食店。テーブルを取っ払った空間に、小劇場特有の“背もたれのない椅子”が隙間なく並んでいた。そこに客がぎゅうぎゅうと詰めて座っている。客席の奥には舞台がある。が、ステージのように1段高くなどなっていない。幕も装置もない。上手袖は厨房につながり、客席から見切れている。役者さんたちも肩の力が抜けていて、開演前なのに舞台の上をうろうろしていた。舞台からはジンギスカンのいい香りが漂い、次第に会場全体に広がっていった。「先に言っておきますが、今日の公演は観ていてお腹が減ると思います」と、役者さんは声を張り上げるわけでもなく、ラフに言った。芝居のタイトルは「愛の向田邦子劇場」。向田邦子さんの短編を軸にした、オムニバスストーリーだ。合間には向田さんの知り合い5人が、亡き彼女を懐かしむシーンが入る。ひとつ目の短編は『父の詫び状』。届いた伊勢海老を、「どのみち長くはない命だから」と、玄関のたたきで遊ばせておいたところから始まる物語だ。途中で赤い服を着た女性の役者を、伊勢海老に見立てるシーンが見事だった。

『鮒』はある日、家の勝手口に鮒が入ったバケツが置かれたところから始まる物語だ。実はこの鮒は、父である塩村のかつての愛人・ツユ子の飼っていたもの。しかし塩村以外は誰も知らない。その後鮒を飼うことになるのだが、ただ鮒がいるだけなのになぜか少しずつ家族はうまくいかなくなっていく。役者さんたちの間の取り方がうまく、私は物語にどんどん惹きつけられた。

どれもとても面白いのだが、この辺りでジンギスカン屋で演技を行うハンデがヒシヒシと感じられてきた。照明や装置が少ないためか、視覚的な刺激がいつもより少ないのだ。役者が5名と少人数であり、衣装を変えられないことも変化が乏しく感じられる理由かもしれない。

もちろんその分、音響を多用するなどでカバーしていた。とくに、タイトルを書いた小道具(うちわ、掛け軸など)を見せることで場面転換をする方法は、見事だった。各役者の演じ分けの引き出しが多く、引き込まれたことも確かだ。

しかし最後まで客は飽きずについて行けるのだろうか? と思うとひやひやした。阿佐スパは最後までこの方法だけで突っ走るのか? と思ったその時。客席後ろの……つまりジンギスカン屋の扉が派手に開いた。おかもちの格好をした6人目が入場した。彼は、中山祐一朗。阿佐スパの看板役者だ。

一気に場の空気が変わった。中山さんの圧倒的な存在感と演技力が、役者5人が作り上げた安定した世界を壊していく。やや暴力的で不協和音ですらあるのに、私は期待が止まらない。彼のわずかな仕草にまで釘付けになってしまう。彼がおかもちのはめ込み式の蓋をスライドすると、そこには「下駄」と書かれていた。『下駄』は会社によくくる出前持ちが、実は主人公の異母弟であったことがわかり、次第にやりとりが増えていく話だ。中山さんは弟の役だ。

大袈裟な眉の動きも昭和初期作品特有の少しレトロな単語や言い回しも、まるで日常で使用している人のようだ。素晴らしいとしか言いようがない。

この話は最後に兄の独白で終わるのだが、その中に弟のことをこう表現するセリフがある。

「おどおどしているかと思うとちゃっかりしているところも、ひたひたと潮が満ちてくるように、尺取り虫のように音もなく声もなく気がついたらそこにいる、といったあの生き方も、離れてみるとなつかしく思えた」

これを聞いた時に「ああそういう感じの人だったよな」と私も思った。そして一気にゾッとした。だってそれってつまり、たった10分で、まるで本当にそういう人がいたかのように演じきったわけでしょ? 長い時間劇を観たわけでも、細部まで書かれた本を読んだわけでもないのに。中山さんの演技は演じるというより、憑依に近いかもしれないと、私は感じた。

舞台が終わり、拍手が鳴った。阿佐スパは、照明や装置を立てこめないハンデを抱えた舞台でも、構成を含めた工夫で見事にカバーしていた。急に自分語りをするが、私が高校の頃所属していた演劇部は、お金がなく、舞台に照明や装置をたくさん設置することができなかった。部員の数も少なかった。大変おこがましいけれど、今回の阿佐スパと、理由は違えど抱えたハンデは似たようなものだと思った。あの頃の私に見せてあげたい。きっともっと表現の幅が広げられるよ。

余談だが、最後に主宰の長塚圭史さんが挨拶に出て来た。いくつもの哲学を、芝居に落とし込んできた阿佐スパの主宰だ。181㎝、痩せ型、背筋が伸びて堂々とした姿からは、オーラが放たれていた。いつも遠い舞台上でしか見られなかった、憧れの彼がすぐ近くにいるというのに、私は空腹でジンギスカンのことしか考えられなくなっていたのだった。

文/八木 ななみ

(初出時に役者さんの人数の間違いがありました。お詫びして訂正させていただきます)

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