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音楽体験としての秘境に出会った。近石涼さん弾き語りレビュー

弾き語りを聴いて、まるでオーケストラを観覧したかのような感動を味わったのは初めてだった。弾き語りという表現で得られる感動は、四畳半の部屋でひっそりとロウソクを灯しながら心が温かくなるような、そんな感動だと思っていた。その概念がたった40分で覆される体験をした。

その日は渋谷にあるGRIT at shibuyaというライブハウスに若手のバンドが4組出演するイベントを観に行った。どのバンドも素晴らしい演奏だった。ただ、立ちっぱなしの観覧で1時間半以上経過し、足も腰も限界にきていたので、最後の4組目は最初だけ聴いて帰ろうと思っていた。

最後はソロアーティストで、ステージ上の編成を見るに、おそらく弾き語りらしかった。この日は4月28日。心境的に弾き語りでしっぽりというよりも、GW突入を祝ってくれるようなバンドの元気な演奏を聴きたい気持ちだったので、聴かずに帰るか、あるいは途中でも帰りやすいように後ろの方に移動するか一瞬考えた。しかし、ちょうど壁に寄りかかって観覧できる場を陣取っていたので、そのまま演奏を待つことにした。

音の調整中に電子ピアノのペダルをスタッフにテープで固定してもらっていた、次の出演者。その歌い手の名は、近石涼(ちかいしりょう)。暗闇だったが華奢で長身であるのは分かった。アコギとピアノというシンプルな編成だったが、自分にとっての楽器やマイクのベストポジションを心得ていて、調整作業は慣れている様子だった。

彼がPAに手をあげ、ゆっくりと照明が差し、演奏が始まった。その瞬間だった。暗いはずのステージの上に、にょきにょきと美しい緑を蓄えた大きな木々が生えてきて、気持ちのいい木漏れ日が差し込み、その中で彼の歌を聴いているような、そんな感覚に包まれた。彼の声とギターの音が、淀みなくするすると自分の中に入ってくるのを感じた。なんだこれは、と思った。

歌詞やメロディーが素晴らしいとか、そういう一つ一つ分けられたチャンネル毎に感じる感動ではなかった。彼の声が響き、彼が弾くギターの音色で満たされるその空間にいることが、心地良かった。それは、ファンという人種が覚える感覚ではないか。初見の彼のステージをそう感じたのは、彼の音楽は信頼できるものだと、弾き語りが始まった瞬間に感じたからだろう。この人は濁った心で音楽を奏でる人ではないと、歌い始めた瞬間に分かったのだ。

さっきまで感じていた腰の痛みも、棒のようになっていた足の辛さも忘れ、ステージの上の彼をじっと見つめていた。出だしだけ聴いて帰るなんて選択肢はその時は完全に消えていた。フロアの右横にあるアーティストが出入りするドアの音が、彼が歌唱している時は開閉する度にカチャカチャと聞こえていた。彼の歌声と奏でる楽器の音に集中したかったので、その音に少し煩わしさを感じた。3番手のバンドの時までは感じない感情だった。

時々はいる裏声が美しく、彼の声が背骨を包み込んで尾骨から首元まで伝っていくようだった。声が美しいとこんな感覚になるものなのか。なぜだろう。ギターと唄、あるいはピアノと唄という2つの音色だけなのに、音で表現する手段の全てを使い尽くしてつくられたエンターテインメントに感じた。音楽の感動の大きさは、音色の数や美術の豪華さに必ずしも比例するわけではないと、はっきりと感じながら演奏を聴いた。

彼は曲間でゆっくりと話をする。ギターをぽろぽろと弾きながら。今日どんなことを感じながら歌っているか、次の曲はどんな気持ちで書いたかを、語る。そのゆっくりとした話のスピードや、何気なく弾くギターのメロディーが丁度よく、優しい気持ちになる。ツナギという言葉があるとすれば、彼はそれの名手であった。歌唱中と曲間、次の歌い出しまでを区切りではなく、グラデーションで繋げた流れとして作ることができるアーティストだった。

そのツナギの上手さから、音楽家とは本当はこういう人のことを言うのではないかと思っていた。歌っている時間と語っている時間。どちらも音楽として表現し、つなぎ目がない。彼そのものが音楽で、ふるまい全てが音楽。はて? こんな人、今までに出会ったことがあっただろうか。記憶になかった。

演奏が終わり、現実に戻った。そうか、ここは渋谷の地下にある仄暗い小さなライブハウスだったのだ。そして腰と足が痛い。周りを見てみると、女性がほとんどだった。彼に魅了されて何度も彼の公演を観に来ている人もいたのだろう。終了後の物販では彼自ら対応していて、数人の列ができていた。私も、彼がステージ上で言っていたワンマン公演のチケットをすぐに買おうと、列に並んでいた。すると、前の女性が熱烈に彼に伝えていた。「今日初めて聴いたのですが、とても感動しました!」。シンプルだが、私が彼に今伝えたい言葉、そのままだった。

彼は間近で見るとかなりの長身で、素直そうな眼差しの人だった。曇りという言葉と無縁の人に思えた。密度が高く、瞬間瞬間がどっしりと重いあの音楽が、どうやってこの若者から出てくるのか、不思議でしょうがなかった。今年で四十路になる私は、この若者の音楽の前に呆然としてしまった。しかし全く嫌な気持ちがしない。むしろ清々しかった。彼が居るあの木漏れ日の下へ、また行きたいという気持ちでライブハウスを出た。

文/hanata.jp

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