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店員さん同士のおしゃべり、もっとください【会いたいから食べるのだ/第6回】

心を癒されたくて、どこかのカフェに入ったとする。もしそこで店員さん同士がずっとおしゃべりをしていたら「もう二度と行かない」とガッカリする人が多いかもしれない。でもカフェ「カヌレ」は、店員さん同士のおしゃべりが不快どころか心地良いから、また何度でも行きたくなる世にも珍しい店だ。

「カヌレ」は京都市役所からほど近い、古い雑居ビルの5階にある。今にも止まりそうな薄暗いエレベーターを降りて店に入ると、鮮やかなマゼンダピンクの壁が目に飛び込む。ダークブラウンを基調としたアンティーク風の家具が、壁の色と調和していて素敵だ。京都の街並みを見渡せる大きな窓のおかげで、店内は自然光が入り、思ったよりも明るい。実際に見たことはないけれど、パリのアパルトマンっぽい店だなと勝手に思う。

この日は、開放感のある窓際の特等席に座れて心が踊った。後ろを振り返り、カウンターに立つ男性の店員さんに手を挙げると、小さく会釈をしながらこちらに来てくれた。目尻や口角といったパーツの端っこまで微笑みが染み込んでいるような、柔和な雰囲気の方だ。この店には数回訪れているけれど、お会いするのは初めてだと思う。

「カヌレ」では、店名どおり焼き菓子のカヌレのほか、メレンゲや生クリームに季節のフルーツを合わせた「パブロバ」というスイーツが看板メニューだ。体の芯まで凍える冬の空気に、春の光がわずかに含まれるようになった年明け、常連さんに毎シーズン愛されている「苺のパブロバ」が始まった。私ももちろん苺のパブロバを注文し、そっと耳を澄ませた。「またおしゃべりを聞けるかな」と期待しながら。

というのも、前回訪れたときもその前も、女性の店員さんたちが笑いながらおしゃべりをしていたのだ。カウンターやキッチンに背を向けて座っていたからどんな表情だったのかは見えなかったけれど、店員さんたちの声はとてもイキイキとしていて、早朝に小鳥たちがさえずるような爽やかな響きがあった。ヒソヒソでもなく、張り上げるでもなく、無理なく自然と発せられる声の大きさも心地良かった。

話の内容までは聞き取れない。「シナモンカヌレも仕込んじゃおうか」「いいねいいね」「寒い日はあれ美味しいよね」などと相談し合っていたのだろうか。もし仕事の話なら、どんなに楽しそうに日々働いているのだろうと感嘆してしまう。たとえプライベートの話だったとしても、明るくやさしい空気を生み出してくれているのだから、嫌な気持ちになりようがない。「もっとおしゃべりしてください」とすら思ったことを、よく覚えている。

実は前回も前々回も気分が落ち込んだ状態で店を訪れたのだけれど、不思議なことに店員さんたちのおしゃべりを聞けば聞くほど、元気を取り戻していったのだ。店を出る頃にはすっかり心が晴れやかになった。

もちろん、店員さんはただ楽しくおしゃべりしているだけではない。「カヌレ」のメニューはどれも丁寧に作られていて美味しい。接客も押し付けがましくなく、自然な笑顔に溢れ、客席をよく見てくれている。だから余計にまた行きたくなる。

今回はキッチンやカウンターから遠い窓際の席だからなのか、店員さん同士のおしゃべりは聞こえてこないようだ。ちょっぴり残念に思いつつ、苺のパブロバをナイフとフォークでいただく。

このパブロバは、大きなメレンゲと生クリーム、苺のスライスが交互にうず高く積まれ、てっぺんには苺一粒とミントが飾られている。真っ白な雪山に春が訪れたように苺のソースがかかっていて、目にも華やかだ。

サクシュワッとした食感でしっかりと甘いメレンゲ、ゆるめに立てた無糖の生クリーム、甘酸っぱくてジューシーな苺……。それぞれは単体でも美味しいけれど、一度に食べるとお互いの良さが掛け算されて、さらに美味しくなる。素材たちが口の中で出会えたことを喜び合い、軽やかに交わり溶けてゆくのだ。私はそれを追いかけるようにして、どんどん食べ進めてしまう。苺のパブロバほど、素材同士が「一緒にある」意味が強くなるスイーツはないと思う。

苺のパブロバを食べながら、なぜ「カヌレ」の店員さんたちのおしゃべりは「内輪」っぽさが出ずに幸せな気持ちにさせてくれるのか、ぐるぐると考えを巡らせた。そのとき、似たような出来事を「店員さん側」として最近経験したかもしれないと思い出した。苺のパブロバが2つの出来事を繋いでくれた。

1か月ほど前、私が勤める会社で、公式サイトに掲載するための写真を撮影することになった。普段は在宅ワークの社員が10名ほどオフィスに集まり、プロの写真家さんに撮ってもらう。集合写真では、ソファに座る社員と、その後ろに立つ社員の2列になり、皆で真正面のレンズを見つめた。すると、数回シャッターを切った写真家さんがこんな指示を出した。

「自然体な写真も撮りたいので、皆さんちょっと会話してみましょうか」

私たちは「え〜」「どうしよう」などと笑いながら、前列の人が斜め後ろの人に話しかけたり、端っこ同士で顔を見合わせたりと、笑顔と声を交差させる。写真家さんは「とても良い感じです」と言いながら再びシャッターを切る。

長時間におよぶ撮影の終盤、写真家さんが「皆さんとても仲が良いですよね。おかげで楽しく撮影できました」と言ってくれた。

「普段は在宅ワークで、ほとんど対面で会わないと仰っていたのに、自然発生的に会話が生まれているのが良いですよね。夏休み明けのクラスメイトとの会話みたいな感じ」

私がナイフでメレンゲを切る音が、正面の窓にコツンと当たる。写真家さんの言葉を思い出しながら、「夏休みを堪能しまくった人たちが再会したクラスの雰囲気、たしかにあるな」と、ひとりで小さく頷いた。

私の会社のメンバーはキャラが濃い。社長はピアノ弾きで作曲もおこない、ある女性社員はボディビルの大会を目指しトレーニングを積んでいる。浄土真宗の研究家もいれば、サバイバルゲームの達人もいる。

少人数で職種もバラバラで、共通点といえば同じ会社で同じ理念を追求しながら働いていることくらいかもしれない。でも、自分の世界をせっせと磨き続けているメンバーだからこそ、久々にクラスメイトに会えたときのような新鮮な感覚で、常にお互いを面白がれる。しかも、苺のパブロバのように、それぞれの面白さや得意が掛け合わさって、単独で仕事をするよりもずっと大きな成果を生み出せる。

自分の「らしさ」も仲間の「らしさ」も両方認める自然体な人たちの集まりに、よその人は好感をもつのかもしれない。私にとっては「カヌレ」も同じだ。店員さんたちが話している内容も、店員さんの役割や立場も分からないけれど、よそ者の私が惹き込まれるくらい、お互いに敬意をもっているのは伝わってくる。相手の話を決して遮らず、やさしいさえずりのような相槌を渡し合い続ける気配や、おしゃべりしながらも手を止めず、お皿を片付けたり水道を流したりする気配。話の内容自体ではなく、その周りを漂う「一緒に働けて幸せ」という喜びの気配をキャッチして、客である私も「ここにいて良いんだ」と安心させてもらっている気がする。

よそ者がつい引き寄せられる「開かれた内輪」について考えているうちに、苺のパブロバをほぼ食べ終えていた。最後のひと口はもちろん、メレンゲと生クリームと苺を一緒に。

お会計に行くと、キッチンから女性の店員さんがにこやかな表情で出てきてくれた。ふと既視感を覚え、カウンターに立つ男性に目を向けると、2人が同じ色のデニムシャツを着ているではないか。襟のデザインは異なり、女性がボタンダウン、男性がスタンドカラーだ。

「シャツ、デザイン違いのお揃いなんですか?」

思わず尋ねると、2人が同時に顔をくしゃっとさせた。

「違うんですよ〜! 朝お店に来たら似たようなシャツを着てるから驚いて! 突っ込まれちゃいましたね」

女性が愉快そうに話して、男性も微笑みながら頷く。私も2人のやりとりの愛らしさに、ついにやけてしまう。

お互いの世界を尊重しつつ、相手の世界と交わり、影響を与え合うことも面白がる。そんな関係、素晴らしすぎるじゃないか。

これからもずっと通いますので、どうかそのままでいてください。店員さん同士のおしゃべり、もっとください。

文/さなみ 七恵

カヌレ
京都市中京区清水町362 JOYビル5階

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