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貧困、ヤングケアラー。子どもたちが抱える問題と葛藤を描いた舞台『さなぎになりたい子どもたち』

演劇集団Ring-Bongの第10回公演『さなぎになりたい子どもたち』を観に行った。演劇集団Ring-Bongは、劇作家の山谷典子が脚本を手掛ける演劇ユニットで、歴史や社会問題にスポットを当てた作品が多い。

『さなぎになりたい子どもたち』では、コロナ禍の公立中学校を舞台に、ヤングケアラーや子どもの貧困をテーマに扱っているという。

私は、小学6年生の娘とともに、「座・高円寺」へと足を運んだ。

席に着くと、ステージに幕はなく、保健室を模した舞台装置が並ぶ。すると、校内放送のようなアナウンスが流れ、制服姿の少女が2人ステージに姿を現した。

遅刻や早退を繰り返し、授業をサボることも多い問題児の天音(あまね)。真面目で成績のよい優等生の凛(りん)。2人とも、ボランティア部に所属する中学3年生である。正反対に見えるこの2人には、共通点があった。それは、家庭環境の犠牲者であるということ。

貧困、ヤングケアラー、不登校、自殺未遂、思春期の子どもたちが抱える葛藤、そして、本来ならそれを支えるはずの教師や保護者といった大人たちの葛藤。これらが、ボランティア部の顧問である養護教諭・道子の目線を通して描き出されていく。

重いテーマであるものの、場面のほとんどが保健室で展開されているため、なんだか少しほっとする。保健室というのは、学校にありながら、どこか心の鎧を脱いで自分と向き合える場所なのかもしれない。

それにしても、何か変だ。この舞台、不自然ではないのに、違和感がある。何だろう、この感覚……。

そう思いながら見続けて10分ほどたった頃、ようやく気づいた。出演者が全員、マスクを着用しているのだ。

コロナ禍の学校が舞台なのだから、当然と言えば当然なのだけれど。

マスクを着用しているため、どうしても声がくぐもって聞こえる。時には聞き取れないセリフもあった。そして、役者の表情も読みにくい。しかし、このコミュニケーションの取りづらさそのものが、学校という現場が抱えるリアルな問題の一つなのだ。

それにしても、マスク着用で劇場の後ろまで生の声を届けるなんて、舞台俳優とはどういう喉をしているのだろう。酸欠にはならないのかしら? と、少し心配になった。

この舞台、登場人物それぞれのキャラクターや設定のリアリティが、とにかくすごい。

昭和の価値観をいまだに引きずり、ピントの合わない主張ばかり繰り返す校長。

上司の価値観に迎合することでポジションを確保する女性体育教諭。

自分の子育てと教師の激務との板挟みになっている女性教諭。

そして、母子家庭の貧困や、教育虐待。

中でも、校長の勘違いぶりが、際立っていた。素行の悪さを問題視されていた天音が、精神疾患を抱える母親のケアで苦労をしていることを知ると、「素晴らしい。このことを生徒たちに知らせよう。皆の見方が変わるはずだ」と提案する。

児童が苦労を抱えていることを賞賛する姿勢、そして、そのことに何ら疑問を感じていない様子をみて、なんだか胃のあたりがざわざわした。演技であることは分かっているのに、「この人、嫌いだ」そう思ってしまう。

そんな的外れな校長を、「何言っているんですか! これは、美談にしちゃいけないんです」と道子が一喝。その言葉に、少し救われた気がした。

コロナが流行しはじめた頃、私は公立小学校のPTA会長をしていた。

最初はPTAと学校、地域が連携し、「この未曾有の状況を乗り切るのだ!」と団結していた。しかし、事態が長引いて持久戦の様相を呈してきた頃、さまざまなほころびが見えはじめる。

コロナ対応に追われて疲弊していく教職員。「オンラインなんかで教育ができるか」と吠える町内会の長老。ストレスによる情緒不安から、子どもたちのケアがおざなりになる保護者も現れた。

この3年間、目で見てきたこと、体感してきたことが、舞台で繰り広げられるドラマとリンクし、次々と思い出される。

この物語には、あからさまな悪役が誰1人として存在しないところが、一層生々しい。

忙しすぎただけ、愛し方を間違っただけ、価値観のアップデートができていなかっただけ。全ての人物が、根は善人であるからこそ、何とももどかしい。

現実も、そうであった。

みんな、子どもたちのことを考えていた。誰もが頑張っていた。そして、誰もが疲れ、途方に暮れていた。

物語が進むにつれて、天音と凛はお互いを認めあい、心を開いていく。ラストでは、希望に向けて一歩を踏み出し、さわやかな笑顔とともに、物語が完結した。

劇場は大きな拍手に包まれた。目頭をハンカチで押さえている人も少なくない。

「ハッピーエンドでよかった」。清々しい気持ちで劇場を後にした私たち親子は、寒風の中、高円寺の駅へと向かっていた。通りを渡る信号を待っていたとき、ふと気づく。天音と凛を取り巻く環境は、何も変わっていなかったことに。

彼女たちは、自分の力で一歩を踏み出した。それは、たしかに素晴らしいことである。しかし、大人たちは、彼女らの生活環境を改善させるいかなる手段も提供できていない。

社会問題というものは、自分たちだけではなかなか解決できない。

その中で、個人にとっての何らかの解を見出していくこと、自分1人の状況を少し改善させること、その程度が関の山なのである。

天音と凛は、たしかに明るい方向に向かっていた。しかし、その家庭環境は何ら変わっていないし、子どもの貧困もヤングケアラーの問題も、依然として社会に残りつづける。

「これは、美談にしちゃいけないんです」

道子の声が聞こえた気がした。

文/稲田 和絵

『さなぎになりたい子どもたち』は現在アーカイブ配信のチケット販売中(配信期間:2023/02/25~2023/03/03)

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