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超人の技の結集に五感をもっていかれた。音楽朗読劇『Mr.Prisoner』の圧倒

拍手が止み、場内が明るくなる。

「すごかったね」周りに聞こえないような、低い声で言い合う。

たった今すごした2時間半を確かめるように、「すごかったよね」「うん、すごかった」と真顔でくり返す。

ぞろぞろと人の流れに乗って劇場を出る。食事をする店を探す。

「このお店にしよう」「22時まではあいてるね」それだけ言ってエスカレーターを上がる。

レストランの席に着くまでの間も「いやほんとに良かった」「すごかったよ」と小さな声でくり返す。

普段はほとんど途切れないふたりの会話が、全く前に進まない。静かにパニック、とでも言おうか。全身で受けとめた時間と空間に圧倒されて頭も心も飽和状態になると、脳みそはフリーズするものなのだろうか。言いたいことはたくさんあるはずなのに、言葉にならない。

すごい、すごい、しか出てこない、そして、すごい、がいつまでも止まらない舞台を観た。

今回Kちゃんと出かけたのは、音楽朗読劇『Mr.Prisoner(ミスター・プリズナー)』。19世紀のイギリスを舞台に、ロンドン塔の地下の独居房に幽閉されるひとりの囚人と、そのお世話係の少女の交流が描かれる。「絶対に声を聞いてはならない囚人」と呼ばれる彼とうっかり会話してしまった少女が、その囚人を「先生」と仰ぎ、学びを得て変わっていく物語だ。演じるのはたった3人。俳優の上川隆也さん、声優の林原めぐみさん、山寺宏一さんが本を手にマイクの前に立つ。その後ろには楽器の演奏をする4人のミュージシャン。朗読と音楽で作り上げられる作品だった。

レストランで席に着き、料理を待つ間、頭を抱えて反芻する。「すごかった」「良かった」をまだくり返す。

ドリンクが運ばれてきたあたりでようやく脳みそが動き出し、「すごい」の因数分解が始まる。巨大な「すごい」の塊が、少しずつ解きほぐされていく。

「役者さんがすごかったね。みんな超人だったよ」

3人の役者は、声だけで何役も演じ分けたり、ひとりの人物の過去と現在を演じ分けたりしていた。子供になったり大人になったり、太ったり痩せたり、優しくなったり冷徹になったり。山寺宏一さんは、実に9役を演じていた。声だけで観客に登場人物の見た目までを想像させる表現力たるや、凄まじい超人技だった。

「音楽がすごかったね。ピアニストさん、演奏しながら指揮もしてたよね」

衣装もセットも大きく変わらない舞台上で、場面の移り変わりを表現するひとつが音楽だ。音楽で物語に色がつき、動きがうまれるようだった。大人数のオーケストラではなく、たった4人の演奏がその大きな役割を果たしていることが不思議なくらいだった。

「セットがすごかったね。あんなにシンプルなのに、登場人物がどんな場所にいるのか分かったよ」

セットはほぼ変わらない。役者の後ろに小さな幕が下りてきて、舞台の両サイドのランプに明かりが灯るだけで、そこがオペラ座になる。たびたび焚かれるスモークが、登場人物の不気味さを際立たせる。目に映る小さな変化が多くの情報を伝え、そこに観客の想像力が乗って、物語が進んでいた。

「照明がすごかったね。ロンドン塔に幽閉されているあの感じ、怖すぎた」

ほぼずっと照明が落とされ暗い舞台に、ときどき光が差し込む。その力の強さに緊張感が走る。登場人物が見ているもの、感じていること、心の変化が光でも表現されていた。光が担う役割も絶大だった。

「観客の泣き方がすごかったね。観客全員、一度は泣いたんじゃないかな」

2幕目の後半は、観客席から常に鼻をすする音が聞こえていた。演劇ではある特定のシーンのあとに観客が泣くことはよくあるけれど、ここまで長い時間観客が泣きっぱなしという状態は珍しい気がする。かく言う私も、悲しくなって泣いて、辛くなって泣いて、ほっとして泣いていた。

「そもそもストーリーと脚本がすごかったね。使う言葉も、メッセージも、強かった」

独居房に幽閉されている囚人は、かつては大英帝国最高の知能をもつと謳われた男。教鞭をとっていたこともある人物だ。一方の牢獄番の少女は、「これまで生きていて、楽しいことなんか何ひとつなかった」と貧しい人生を嘆く。ふたりは師弟関係となり、少女は囚人から教えを得、学ぶこと、生きることの楽しさを覚えていく。ふたりが話すのは真っ暗な牢獄の中なのに、そこはエネルギーに満ちあふれた授業が行われる、キラキラ輝く教室となった。

自由とは。学問とは。豊かな人生とは。囚人の口から、自分の生き方と照らし合わせて考えさせられるメッセージが次々に語られた。

足枷をつけられて暗い牢獄に入れられても、心が自由である限り、私は囚われ人ではない。

君は塀の外にいるけれど、全然幸せそうじゃないね。まるで君の方が牢獄の囚われ人だ。

そこから逃げ出したいと思うなら、そこが牢獄だ。

本当に必要なものは、この小窓から入れられる程度なのかもしれないね……。

ひとつひとつの言葉に、体がビクリと反応する。忘れたくない、あとでゆっくりかみしめたいのに、書き留められないし見返せないのが生の舞台の残酷なところだ。瞬間的に心にバチンとヒットして、そのまま去っていく言葉を必死に脳内メモリにためていった。

時間をかけて「すごい」の中身を探っていくうちに、自分たちが何を観たのかを理解できてきた。音楽朗読劇『Mr.Prisoner』は、役者の技術も細やかな演出もすべて含めて、超人たちの技のピースが寸分たがわず組み合わさって完成する、でっかいモザイクアートのようだった。総合格闘技、と言える気もする。

先日、誰かが「ライブは五感をジャックする」と言っているのを耳にした。そうか、ジャックされる感覚が好きで私は劇場に行くのだな、と思ったところだった。今回、私の五感は完全にジャックされていた。終演後の、頭も心も飽和状態、脳みそフリーズという状態は、五感がもっていかれた人間の反応ともいえそうだ。

Kちゃんと観劇後に感想を言い合うときには、これまでは、とあるシーンの解釈や、とある役者さんのかっこよさなど、初めから具体的な話をしていた。今回はずっと離れたところから俯瞰してすごいすごいと言い合い、少しずつその中身を探っていった。同じ体験をして、「すごい」を一緒に解きほぐしたからこそ、この作品を粒度高く楽しめたように思う。私ひとりで観ていたら、圧倒されてふらふらと家に帰っただけだったはずだ。

観劇を趣味にしていると、よく聞かれることがある。

「今までで特に印象に残っている作品はなに?」

今回観た『Mr.Prisoner』の「すごい」を、私はこれから何人もの人に力説するだろう。

文/伊藤 ゆり子

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