
ひとり、ひとりに届く物語。映画『ジュンについて』
2025年8月。50歳、伴侶なし、子なし、転職予定なしで無職になった夏。映画『ジュンについて』を、ひと月で4回観た。ひとり暮らし歴30余年、ひとりであることに関してはエキスパートだと思っていた私は、映画を見て改めて自分というひとりの人間について考えている。
『ジュンについて』は、高知県室戸市に生まれ、東京・吉祥寺でひとり出版社「夏葉社」を営むジュンこと、島田潤一郎さんを追ったドキュメンタリー作品だ。2021年9月から2023年5月までの580日間の活動が収められている。夏葉社の書籍との出会いが、この映画ををつくるきっかけになったという監督の田野隆太郎さんも、プロデュースから撮影・編集・配給まで、全てひとりでおこなっている。
映像の中の島田さんは、パソコンや原稿に向かっているときも、営業先の書店やイベントで誰かと話をしているときも、ご家族や他の誰かと過ごしているときも、「ひとり」を引き受ける、静かな覚悟のようなものを湛えている。それは、撮影をしている田野監督も同様だったのではないかと思う。真正面ではなく、横からや斜めからのアングルで多く撮影されているところも、私にはお互いに「ひとり」であることを大切にしているように映った。「ひとり」と「ひとり」、その真摯さがこの作品の礎となっているように感じた。
刷り上がって納品されてくる新刊、売れ残って書店から返送されてくる本。島田さんはどちらも自身の手で受取り、すべてを会社に置いて、自ら出荷や在庫管理をおこなっている。倉庫を借りないのは、最初から最後まで自分で本を見て触っておくことで、「健全に仕事ができるから」と語る。倉庫を借りて人任せにすると、数字しか見なくなる。僕がつくっているのは一冊の本。たくさん刷るけど、それぞれが一冊の本だと思っている。そのような話をされていた。
1年に二冊ないしは三冊のペースで夏葉社から発行される新刊は、島田さんがA4サイズ1枚のチラシを作成し、取引のある書店さんを一店舗ずつ回って注文をうける。初版2,500部を全国でおよそ100店舗のお付き合いのある書店さんで売ってもらう。これが夏葉社の規模感だという。夏葉社のホームページには、「具体的なひとりの読者のために、本を作っていきたい」と書かれている。
ひとりで、一冊の本を、一店舗ずつ、ひとりの読者のために。
島田さん自身が「ひとり」であり、島田さん以外の人や物も、それぞれが「ひとり」や「ひとつ」としてある。それを、こだわりではなく当然のこととして生きているように感じた。
私は、人生の大半をひとりで暮らしてきた。高熱にうなされたときも、ギックリ腰で動けなくなったときも、震災やコロナでピンチになったときも、何かを失って落ち込んだときも、どうにかこうにかやってきた。30代半ばからは小さな組織で働く機会が多かったので、否応なしにひとりでできることが増えていった。その時、その場で何とかする力も鍛えられた。そうして、大概のことはひとりでできる気になっていたし、何なら周りにもちょっとした気遣いができるぐらいに思っていた。
けれど、これまで健やかに生きてこられたのは、平和な日本に生まれ、健康な心身を授かり、健全でいられる環境と人間関係に恵まれてきたからに過ぎない。歳を重ねて自分の心がけと意思だけではどうにもならないことが増え、ようやくこれまでの「自己完結」という傲慢さに気がついた。加えて、書くことを学びはじめて、自分から出てくる言葉や文章に、己の無神経さを思い知らされている。悪意の有無は誠実さの証明にはならないし、見ていないことや聞いていないことは無かったことではない。何を書いても、自分の生きる姿勢が滲む。にもかかわらず、どこかでまだ、私だって頑張ったのに……という思いがくすぶる。せめて可愛いおばあちゃんになりたいので、しばらくは自分の傲慢さの正体を深く見つめ、なりをひそめるつもりだ。
映画の終盤、島田さんが「自分のことを考えると落ち込まざるを得ない。才能も、見た目も、未来も、いいことなんかひとつもない。自分のことはなるべく考えないようにするのが生きるコツ」と話されていた場面が、強く印象に残っている。全くもって同感だが、島田さんと私ではまるで在り方が違う。決定的な違いは、弱さに寛容でいられないところだと感じた。なぜなのか、どこにその原因があるのか。繰り返し映画を観て、繰り返し考えているが、答えはまだ出ていない。きっと答えはひとつではないし、根も深い気がする。
この映画のポスターやリーフレットには、「2025年、夏より“焚き火のように公開”」と記されている。私は、ここ数年で焚き火をしながら夜を明かしたことが、10回や20回ではない。夜を明かさない焚き火は100回ぐらいやっている。それぐらいには、焚き火好きだ。
夜の帳に包まれながら、黙々と薪をくべ、火を育てる。炎を見つめていると、ときどきちっぽけな自分が炙り出される。私にとって焚き火は、そんな存在だ。『ジュンについて』も、静かにぽっと火を灯すように始まり、炎のようにゆらゆらと揺れながら物語が進み、熾火のような熱を残して終わる。暗闇で映像を見ている途中、気がつくとそこに自分を見ていてハッとする瞬間が何度もあった。
田野監督は「映画『ジュンについて』について」と題した冊子のインタビューで、「『ご自分で、一度やってみられたらどうですか』と、島田さんが僕の背中を押してくれているような気がしています」と答えている。
どこにも属さない、よるべない気持ちを抱えて観た『ジュンについて』と、映画をきっかけに読んだ夏葉社の本に、生きるスピードを落とす勇気をもらった人生の夏休み。
50歳、ひとりの人間としてできることは何か。試行錯誤しつつ、ゆっくりと人生の後半戦をスタートしようと思う。
文/下元 祥世
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2025/11/15〜2025/11/21
元町映画館〔兵庫県神戸市〕
2025/11/16〜2025/11/16
姫路文学館〔兵庫県姫路市〕
2025/12/06〜2025/12/06
可児市文化創造センターala〔岐阜県可児市〕
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