
伝えられなかった「好き」が、今を生きる力になる『秒速5センチメートル』
6歳になる娘は、夜中によくモニョモニョと起きる。いや、正確には起きているようでまだ夢の中。そして半分寝ぼけたままの状態で、「ママ……大好きだよ」と小さな腕で私をぎゅっと抱きしめてくれる。そしてそのまま、また眠りの世界へ戻っていく。
私も半分眠ったままの状態で、「ありがとう。ママも大好きだよ」とつぶやく。まどろみの中で感じる娘のぬくもりが心地よい。
思ったときに、思ったままに「好き」と伝えてくれる我が娘。私も幼いころは、娘のように素直な想いを伝えることができたのかな?
映画『秒速5センチメートル』の中には「この世で一番難しいことは、好きな人に好きって思った瞬間に好きって言うこと」という言葉が出てくる。
「私も、好きな人にリアルタイムで好きを伝えたいな……」と思った。一方で、好きな人に好きな時に「好き」と言うことが、正しいとは限らないとも思う。伝えるタイミングを見極めることもきっと大切。でも、タイミングを逃せば「好き」という気持ちを一生伝えられぬまま、伝えられなかった後悔だけが残ることもあるかもしれない。
桜の花びらが舞い落ちる速度は、秒速5センチメートル。
そんな豆知識を共有しながら惹かれ合っていく主人公の遠野貴樹(たかき)と篠原明里(あかり)。
2人が出会ったのは小学生の頃。親の転勤で引っ越しが多かった2人は、転校生ならではの不安や孤独という共通点を通じて、深い関係になっていく。
原作を知らずに映画を観に行った私は、物語の序盤では、小学生の頃に惹かれ合った2人が、十数年後にあの場所で再会し、再び恋に落ちる。きっとそんなハッピーエンドの物語なんだろうと思っていた。
だって私はハグとキスで終わるような王道のハッピーエンドが大好きだから。子どもたちが寝静まった金曜の夜に「今日はひとり映画でも観ようかな」とNetflixを開くと、99%ラブストーリーを選んでしまうほどに。
けれど、予想は裏切られる。
主人公の貴樹と明里は、互いを想い合いながらも結ばれることはなかった。岩舟駅の桜の木の下で交わしたキスを最後に、2人はすれ違っていく。
『秒速5センチメートル』は私の大好きなハッピーエンドではなかった。けれど、映画を見終わって渋谷の人混みを歩く私の顔はニヤニヤしていたに違いない。家に帰ってから「私の頬をゆるませているこの余韻はいったい何なのだろう」と考える。
たとえ想いを伝え合うことができなくても、付き合ったり、結婚したりしなくても、誰かを想う気持ちがその人の人生の支えになることがある。恋人とか、夫婦とか、名前のつかない愛の形に、心を動かされたのかもしれない。
だってさ、 「3組に1組が離婚する」と言われるこのご時世。好きな人と結ばれることが、必ずしもハッピーエンドとは言えないよね。
大切な人の幸せを願うこと。思い出の場所や、かわした言葉に触れて、ふとした瞬間にその人を思い出すこと。それも大きな愛の形に違いない。
明里が社会人になり、仕事で関わりのある先輩に貴樹との過去を話すシーンがある。明里は当たり前のように言う。
「思い出じゃなくて、日常です」と。
映画を観終わった後すぐに、その言葉をスマホのメモ帳に刻んだ。そして過去を振り返る。私にもきっと日常になった思い出がたくさんあるはずだ。
学生時代に付き合っていた彼と遠距離恋愛になり、「結婚するなら君がいいけど、今じゃない」と振られ、胸がぎゅっと締めつけられた感覚。
会社員時代、上司たちと参加した初めての10キロマラソン。無事に走り終えたあと、上司が言ってくれた「君は見た目に寄らず、根性があるね」というひと言。
大好きな人に浮気されて、悲しくて苦しくて、それでもその人に依存してしまった苦い過去。
初めての出産で不安でいっぱいだった私に、「起こるかわからない未来のことばかり心配したってしょうがないよ。なるようになるから大丈夫だよ」という母からの言葉。
人間関係に悩み、傷つき、でも時に誰かの言葉に支えられながら、いろんな感情を経験し、自分の足で立ち上がってきた。そうした出来事のひとつひとつが、私に強さと優しさ、そして真っ当に生きていれば人生はなるようになるという楽観さをもたらしてくれた。
映画の余韻が少し冷めたころ、ふと子どもたちのことを思った。彼らはこれからどんな人に出会い、どんな経験をしていくのだろう。
きっと、嬉しいことも悲しいことも、たくさん経験していく。ときには、つらい出来事からなかなか立ち直れないこともあるかもしれない。でも、喜びも悲しみも、すべてが彼らの中で溶けあって、血となり肉となっていくのだろうな。
親の私が彼らにしてあげられることは、たまにぎゅっと抱きしめて、「ねぇ」と声をかけてくれた時には話を聞いてあげて、あとは信じて見守ることくらいなのかな。
それぞれの速度で生きていく子どもたちを、これからもあたたかく見届けていきたいなと思った。
文/大浦 沙織
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