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漫画で映画をやろうとした人と、映画で漫画をやろうとした人達「劇場アニメ ルックバック展 ―押山清高 線の感情」レポ

麻布台ヒルズギャラリーで開催中の「劇場アニメ ルックバック展 ―押山清高 線の感情」へ行ってきた。まず嬉しかったのは、展示がビジュアル一辺倒になっていないところ。原画パネルの量はもちろん圧倒的なのだけれど、それと同じくらいテキストの比重が高くて、制作陣が何を見て、どこに迷い、どこで決断したのか……思考の足跡まで辿れる構成になっている。

言葉で説明しない物語を、どうアニメにするのか

『ルックバック』(集英社/藤本タツキ先生)はみなさんご存知の通り、モノローグが一切なく、登場人物の感情が言葉で説明されない漫画だ。だからこそ読者は、間や視線、読んだ時に感じた手触りというか、細部から気持ちを拾い上げる。

その繊細さが魅力である一方、映像化においては難しさにも直結するだろう。説明を足せば、その感情の輪郭は見えるかもしれないけれど、足した瞬間に失われるものもあるから。展示はまさに、その細部を制作サイドがどう解釈し、アニメーションとして昇華していったのかを丁寧に追わせてくれる。

圧巻の原画パネルだけでは終わらず、テキストの情報量で何度も立ち止まらされる。結果として、原画と文章の双方から深く掘り下げられる“読み物としての展示”になっていた。

「斧男」は遠い悪ではない

そんな膨大な原画パネルと設定資料が並ぶなか、個人的にとても刺さったのは、多くの社会問題は「殺す」ではなく「死ねばいいのに」という無責任な言葉の暴力にある……という読みを、斧男を通して提示していた点だ。

「殺す」は露骨で殺意がはっきりしているぶん、軽蔑し、排除すべき悪として認識されやすい。けれど「死ねばいいのに」は、正義のつもりで、冗談みたいに、私たちの日常に紛れ込んでいる。斧男の行為そのものは決して許されることではない。それでも、その発端となる種のような感情は決して他人事ではなく、私たちの足元と地続きに存在している……その距離感で、斧男と私たちの間が示されていたことが、とても心に残った。

線を描くことへの、誇りと神聖さ

また、展示をすべて見終えたあとに率直に感じたのは、「線を描く」という行為そのものを、どこか神聖なものとして捉えているかのような、とてつもない誇りを持ったアニメーション制作陣の存在だった。その姿勢と『ルックバック』という物語が深く共鳴した結果、こんなにも奇跡的で、強度のある映画が生まれたのだろうな、と。

ちなみに展示の最後の方には、藤本タツキ先生からのメッセージも掲示されていて、そこには「線を描くことへの意識」については、これまであまり考えたことがなかった……という趣旨の言葉が綴られていたのも印象的だった。

藤本タツキ先生といえば、同じ背景を連続させるコマ送りのような描写や、定点カメラのような視点、そしてキャラクターの微細な表情や仕草を捉えることで、漫画のなかに思わず映画を感じさせるような「間」を立ち上げてきた作家だと思う。

その一方で、展示から伝わってきたのは、先述の通り、アニメーション制作陣が「線を描く」という行為そのものに強い誇りを持ち、映画という表現のなかで、いかに漫画の強度を再現しようとしていたか、ということだった。

そう考えると、藤本先生は漫画で映画をやろうとしていて、映画制作陣は映画で漫画をやろうとしていたのでは……なんてことを思った。そのすれ違いのような一致こそが、『ルックバック』という作品の、この展示の、強度なのかもしれない。

<展示会情報>

展示名:劇場アニメ ルックバック展 ―押山清高 線の感情
場所:麻布台ヒルズ ギャラリー
開催期間:2026年1月16日(金)〜3月29日(日)

文/ちゃんめい

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