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雑然の中に救いがある。老いも若きも惹きつけてやまない『大竹伸朗展』を観て

美術館に足を運ぶとき、作家のパワーに負けないよう、観る者が心して赴く。そんな展覧会が少なからずある。例えば『石岡瑛子 血が、汗が、涙がデザインできるか』、『GENKYO 横尾忠則 原郷から幻境へ、そして現況は?』。2020〜21年に東京都現代美術館で開催されたこれらの展覧会は、訪れた者にも生きる力を問うようなものだったと思う。ところが、先日私が観た展覧会は、10〜70代の男女がまるで洋服でも買いに来たような気軽さで訪れていた。それが『大竹伸朗展』。東京国立近代美術館で2月5日(日)まで開催中だ。

大竹伸朗になぜ惹かれてしまうのか。私はずっとわからずにいた。だが、1970年代から製作された約500点もの展示を観て、はっきりとわかったことがある。彼の作品を観ていると、私は自分が赦されている気になるからだ。

私は読めもしないのに、すぐに本を買ってしまう。そして積ん読状態の書籍がどんどん溜まる。いや、書籍だけじゃない。演劇は少しでも興味があれば、すぐに劇場に観に行ってしまう。チケットを取る前にもうちょっと考えたらいいものを、ほぼ条件反射で買っていることが多い。こんな自分の行動を敢えて食事に例えるなら、まるで出てきた料理を手づかみで口に運び、むさぼり食うようなものだと思う。演劇も書籍も映画もアートも、食わず嫌いを起こさぬよう、とにかく脳に放り込んでいる。なんなんだ、この雑然とした人間は。しかし頭で考えるよりも先に、手が勝手に動いて描いているようにしか見えない大竹伸朗の作品を眺めていると、「感覚的でガチャガチャしているあなたでもいいんだよ」と言われているような気がする。

もう1つ、大竹伸朗を好きな理由が見つかった。それは彼が記憶に執着しているところだ。例えば『情景 14』と題された作品は、一見ゴミと思えるようなものをカンバスの上へ無作為に貼り付けている。ギターのピックに見えるプラスチック、カッターで切ったボール紙の切れ端、麻の布を割いたもの、ガーゼ、ビニール、セロファン、タイで買った生活用品の箱、新聞広告の切り抜き、絵の具の固まり、リカちゃん人形の髪の毛。これらをショッキングピンクやビリジアン、イエロー、ブルー、オレンジ、ヘドロのような色で着色しては貼り付ける。カンバスに貼りつけなければ、自分は忘れてしまうのでは。大竹のそういった強迫観念すら感じる。

忘れてしまうのは怖いことだと最初に私が感じたのは、学生演劇をしていた大学生のときだ。これは演劇の面白いところでもあり、切ないところでもあるのだが、芝居は終わりに向かって時が進む。必ず千秋楽がやってきて、懸命に作った舞台のセットも一斉に取り壊すことになる。ビデオで芝居の映像は残るかもしれない。でも舞台とは観客と作り手の共犯関係で成り立っているため、観に来た人が「そんな芝居は上演されなかった」と言えば、なかったことになる可能性もある。書かねばならない。誰かが文章にして書きつけなければならない。そんな衝動に駆られて、私は演劇を書く側に回った。以来、舞台を観ては原稿やSNSに書く生活が続いている。

また、若くして認知症になった母親の介護経験も、記憶にこだわる理由なのかもしれない。私は在宅介護をしていたときに見た母の苦悩の表情が忘れられない。朝、起きた。やるべきことはいっぱいあるはず。でもそれが何なのか分からない。娘の由希路が会社に出かけた。いろんなものを手に取る。それが何に使うものなのか、皆目検討がつかない。とりあえず片付けよう。でも片付け方がわからない。とりあえず大事そうなものはティッシュにくるむ。割り箸でもボールペンでもメモでも爪楊枝でも。だけど本当はもっと大事な片付けがあったのでは。思い出せない。由希路に手紙を書こう。「私は疲れました。片付けようとしたのですが、思い出せないのです。とても疲れたので、もう寝ます。すみません、すみません。本当にすみません」。自宅に帰ってきたときに見たあの雑然とした家の様子が、私の頭の中で大竹の作品と何度も重なる。いいんだよ。片付けられなくたって、お家の中が汚くたって、いいんだよ。

母が施設に入って13年が経った。実家では、認知症と格闘していた母の残骸が未だに見つかる。引き出し奥の箱を開けると、ティッシュにくるまれた割り箸やポイントカード、サインペン。何も片付けてはいない。すべて片付け途中で、物を移動しただけだ。でもこれはまるで、世界中を旅して現地調達した物を持ち帰ってはカンバスに貼り付けた大竹伸朗の作品みたいじゃないか。大事と思ったものを母はティッシュにくるみ、大竹はカンバスに貼ったのだ。

大竹の作品の多くは、既に存在している物を組み合わせて構成される。あらゆるジャンルにおいて、0から1を作り出すことが難しい昨今、大竹の作風は若いアーティストたちにとって、どこか救いになるのではないか。20代の来場者がとても多いことも、何だか頷ける気がした。

『大竹伸朗展』
2023年2月5日(日)まで 東京国立近代美術館
2023年5月3日(水・祝)〜7月2日(日) 愛媛県美術館
2023年8月5日(土)〜9月18日(月・祝)(予定) 富山県美術館

文/横山 由希路

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