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「見て学べ」からの変革。矢師・長谷川英一さんの技術継承【リレー連載・あの人の話が聞きたい/第14回】

「コツが分かるまでに30年かかった」。

そう話す長谷川英一さん(73歳)は、弓道の竹矢を作る「矢師」だ。30年で「コツが分かる」世界。では、その技術をどうやって次の世代に伝えるのか。

職人の世界では当たり前だった「見て学べ」を、長谷川さんは根本から変えようとしている。自分が何十年もかけて体で覚えたことを、あえて理論に落とし込み、図にして、言葉で教えているのだ。

昭和元年の創業から100年続く「長谷川弓具店」で三代目が挑む、「教えない職人の世界」を変える試みを聞いた。

聞き手/伊藤 ゆり子

「全国で5、6軒」の現実

1階に店舗を構える、都内の一軒家。店の奥に進むと、弓や矢が並び、細かな道具が所せましと置かれた工房があった。ここで伝統の竹矢を作り、その技術を弟子たちに伝えている、長谷川英一さん。

「50歳すぎてから、ようやくコツが分かってきたんだよ。30年かかったね」。笑いながら、曲がった竹を削ったり磨いたりしてまっすぐにする、「矯め(ため)」という作業を見せてくれた。一見簡単そうに見えるこの工程に、数十年の経験が凝縮されている。

伝統の竹矢作りは大きく三つの工程から成る。第一に、山で竹を切ってきて、それを矢の形に整える下ごしらえ。次に、竹をまっすぐに整え、客の要望に対してどの材料でどう作るかを設計し、竹の弾力を調整する工程。そして、羽を付けて仕上げる最終段階だ。一軒でこの全工程を担う家もあれば、どこか一つの工程に特化し、他の工程を担う家と組む場合もある。もともと長谷川家は後者だったが、相次ぐ同業者の廃業を受け、現在では全工程を担えるようにした。

「みんな仕事を分担しながら、3代、4代と続いてきました。でも跡継ぎがいなくて次々に辞めてしまった。今、日本全国で竹の矢を作って販売できるのはたった5、6軒です。そうなると、組める相手がいなくなり、うちも仕事ができなくなってしまいます。そこで、うちだけで全工程を担えるように体制を整えました」。長谷川さんは、一つの工程ごとに専門の担当をつける分業体制をとることにした。一人で全工程を担うよりも作れる矢の数を確保でき、また、技術も継承されやすいのではと考えたからだ。

「10年かかって、人員的にはようやく整ってきました。でも仕事のレベルはまだまだ改善の余地がありますね。もっと早くより上質の仕事ができるようになる必要があります」

「見て学べ」からの転換

昔は「見て学べ」が基本だった職人の世界。教科書も学校もない。長谷川さん自身、親方が竹を削ったその削りくずを見て覚えよ、という教えを受けて育った。

だが今、長谷川さんは「どんどん説明して教えている」という。

矢がまっすぐでなければならない理由。竹がまっすぐになる条件とその加工方法。羽の長さと角度。弓具の細部一つひとつには、長い歴史と多くのデータにより培われた理論による裏付けがある。自身が体で覚えてきたそれらを図に落とし込み、言葉で教えるのが長谷川さんのやり方だ。
なぜ、これまでの教え方を変えたのか。

「効率的ですし、弟子自身が理論を理解して説明できなければ、お客様には正しく伝えられません。さらに、弟子がまた次の世代に教えるとき、伝えやすくするためです」

「見て学べ」で身につけた技術は、確かに自分の体には残った。しかし、それを次の人に、さらにその次の人に渡していくには、形にしておく方が良い。100年続いてきた技術を101年目以降も残すために、自分が学んだやり方とはあえて違う方法をとっている。

ただし、知識をつけ頭で理解するのと、実際に目指す矢を作れるのは全く別の話だ。矢の販売は4本組みが基本。1本良いものができても、同じ質の矢が4本そろわないといけない。言葉での説明では伝わったように見えても、その理解度は作ったものを見ればすぐに分かるという。弟子が作る矢を見て、完璧にできたと思ったことはこの30年で「1回くらいかな」と話す。

「向き不向き」を見て担当を決める

長谷川さんが弟子を受け入れたときにまず見るのは、「座っていられるか」だと言う。「1日座っていられるか、3日座っていられるか。1週間続けて同じ仕事ができるのか。人によって作業に向き不向きはあるから、どの工程を担当させるかも、仕事の様子を見ながら考えます」

矢作りは羽の付け方から教える。「千本でも一万本でも、全部同じ形に成形できるようになる必要があります」。2、3年続けていれば、矢を作ること自体はできるようになる。そこからは矢の性能の向上、作業のスピード、そして安定性が求められる。

矢師の祖父のもとで育った長谷川さんは、大学を卒業してすぐ矢師になった。「意気込んでこの仕事についたわけではないけれど、自然とここに進んだ」そうだ。一方で5人の弟子たちは弓道の経験はもちながら、一度他の仕事に就いてから矢師の道に入ってきたという。「技術的に向いていることだけでなく、これを一生の仕事としてやっていく覚悟が必要ですね。こちらも貴重な材料を使って、時間をかけて教えます。それで辞めてしまったらお互いにもったいないのでね。初めの段階でその見極めは非常に難しいですが」

「一生無理かもしれない」

長谷川さんの初めの弟子、赤塚晴美さんにも話を聞いた。

赤塚さんは高校時代に弓道部に所属。家が近所でなじみのあった長谷川弓具店でアルバイトを始めた。卒業後も、企業に勤めながら週末には店の手伝いをしていたそう。少しずつ矢作りの技術を身につけ、就職から15年後に職人の道を選び会社を辞めた。それから25年以上が経つ。

「丁寧に理論で教えてくださるので、理解しやすいです。頭では『こうすればいいんだ』と分かる。でも手を動かすと、全然違うものができてしまうことがあります」

10年やっても、15年やっても、満足にいかないことは多い。自分の技術は、目の前にある自分が作った矢にすべて出る。ごまかしようがない。「一生無理なんじゃないか」と思うことさえあるという。

「それでも何年も続けていると、『こういうことなんだ』と突然分かることがあるんです。何が変わったのかうまく説明できないんですが、手が覚えた、としか言いようがない。結局、理論で理解してから体に落ちるまで、年単位の時間がかかるんですよね」

頭で分かることと、体でできることの間にある途方もない距離。その距離を埋めるのは、手を動かし続けることだけだ。今では若い弟子たちに指導する立場でもある赤塚さん自身が、その距離をいまだに歩いている。

うまく飛ばないのは、道具のせい?

今、弓道の世界では、カーボンやジュラルミンなど安価な素材を使って道具を大量生産し、学校の部活など団体向けに販売することでようやく商売が成り立つそうだ。だがそれらは「私たちからしたら代用品でしかない」と長谷川さん。大量生産品が広がるほど、竹矢を作る機会そのものが減っていくと危惧している。

職人の数が減るということはつまり、本物を見極める目が減っていくことでもある。ここ20年ほどで、伝統の弓道を理解し、本物の弓具を求める人が減ってきたと長谷川さんは言う。伝統を理解し伝えられる人が減れば、どうしても技術や道具に関する知識が十分でない射手が増える。その人たちが指導者になり、彼らから教わった競技者・愛好者が増えていくことになる。

道具はその使い手の力量との掛け合わせで成り立つ。うまく矢が飛ばないのは道具に原因があると考えた客から、自分が思う矢を作ってほしいと要望を受けることがある。それは長谷川さんから見れば矢の質を落とすことだが、理解されづらい。羽や矢の先の減り方、弽(ゆがけ・弓を引くための手袋)の様子を見れば、射手の力量は一目瞭然だ。「うまくいかないのは射手の技術の問題で、道具の問題ではない場合が多い。それを先生が説明できていないんでしょう」

例えば、本来、弓を引くときの引き込む長さは決まっている。それを最近は余計に多く引いてしまう人が多い。そうなると長い矢が必要になり、矢の適切な弾力も変わってしまう。本来の尺で引く人が使わないと、矢の正しい性能は発揮されないのだ。客からは丁寧に話を聞くが、希望される道具が長い歴史から逸脱していることも多い。矢師としてそれを作るわけにもいかない。

工芸品と比べられることも多いが、弓具はあくまでも道具であり、神具や装飾品とは異なる。使い手がいて、使われて初めて真価を発揮する。昨今、その使い手側が変わってきたわけだ。受け継いできた伝統の矢を守り続けても、それを見極め、真価を理解する人が減ってきている。「そこが難しいところですね、一番ね」

技術の継承にゴールはない

教科書もカリキュラムもない、技術継承の現場。どこまでいけばそれは完了したことになるのだろう。「技術の継承にゴールはないよ。『弟子がこうなったら一人前』もない。私も死ぬまで続けていきますよ。目や手先が弱くなっても、口が動けばできることはあります」

竹矢というモノを残すだけではない。竹矢を使った弓道という文化そのものを、次の世代に渡したい。そのために長谷川さんは、自分が体で覚えたものを言葉に置き換え、図で表し、理論で説明する。

101年目の工房でも、弟子たちは静かに竹と向き合っていることだろう。理論では分かっている。でも手がついてこない。その距離を、手を動かし続けることで埋めていく。30年かけてコツが分かったという師匠の指導を仰ぎながら。

撮影/岡田 美佳子
文/伊藤 ゆり子


長谷川 英一(はせがわ えいいち)
1952年東京都生まれ。矢師、長谷川弓具店(東京都港区)三代目。大学で工学を学んだのち、本格的に矢作りの道に入る。江戸徳川家の矢師の系統を継ぐ祖父の仕事を受け継ぎ、祖母や兄弟子から一連の技術を習得。伝統の竹矢の制作を続けながら、5人の弟子にその技術を伝えている。

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