
意味はいらない。美しい時間がそこにあった、ただそれだけーー映画『サンキュー、チャック』
高校生の頃、寺子屋のような小さな国語塾に通っていた。古いマンションの一室で、当時おそらく50代か60代のおじいさん先生。ロの字型に並べられたテーブルに5、6人の生徒が座り、ひとつの文章をみんなで読む。読み終わると、ぼそっと先生が問いを出し、生徒が答える。ただ、それを繰り返すだけの静かな時間。不愛想でぶっきらぼうな先生は、何か特別な受験テクニックを教えてくれたわけでも、人生訓を授けてくれたわけでもない。
なぜ30年も前のこの先生のことを思い出したかと言うと、映画『サンキュー、チャック』を観たからだ。ごく平凡な銀行マン、チャックの一生を振り返る物語。三部構成で、第三章から始まり、人生を遡っていくように話が進む。「いつか必ず終わってしまうのに、人生の意味とは何なのか」と自問するチャックだが、映画は、彼が出会った様々な人たちや出来事―――祖父との時間、祖母の価値観、子供の頃に見た景色、学校で出会った人、好きだった音楽、踊った記憶、誰かに言われた言葉、傷ついた経験、愛された感覚……それらひとつひとつが彼の人生を彩っていることを淡々と描いている。
少年チャックが、学校の先生に、ある詩の一節、
「わたしのなかにはたくさんのものがある(I contain multitudes.)」
とはどういう意味なのかを質問するシーンがある。
「あなたは単一の存在ではなく、あなたの中には世界があって、知っている人、まだ出会っていない人……何百万人もの人々がいる。あなたの中には宇宙がある」
そんなようなことを、先生は答える。
「あなたの中に宇宙がある」
この言葉が、映画を見終わる頃には心に沁みてくる。
映画の冒頭では、世界の終末が迫るかのように、空に輝く星々が目の前で、爆発音とともに消滅していくシーンがあった。恐ろしくて、絶望的な気持ちになった。しかし映画を見終わって思い出せば、ひとつの星が生まれて消えてゆく、そのことは自然の現象だと感じられた。そこに恐れや悲しみの感情はなかった。
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私の国語塾の先生も、あえて言えば、「文章の読み方を教えてくれた」「希望の大学に入れてくれた」存在と言えるかもしれない。でも、それは人が勝手に後付けした意味合いでしかない。宇宙の前では、誰が偉大で、誰が功績を残して、誰が平凡で、誰がしがない人かなど関係ない。ただそこにその人が存在した、というだけ。もう少し言えば、「美しい時間がそこにあった」、それだけなのだと思う。
宇宙が誕生してから138億年。この138億年を「1年」に圧縮して考えると、その中で人類史は、最後の数分におさまるほどにちっぽけなものだと、この映画の中で触れられている。最後の数分に何が起きようと、もはや大きな意味や影響はない。ただ、その人が存在した。事実はそれだけ。
実は、今回観た映画館は、あの国語塾から徒歩数分のところにあった。映画館を出たとき、このことを思い出し、ふと立ち寄ってみようと思った。マンションの名前はかろうじて憶えていたのでマップで調べたが、このあたりのはずなのに、記憶に残るあの入口が見つからない。ふと見ると、「建設計画のお知らせ」の案内板。そこに、そのマンションの名前があった。見上げると、あのマンションは取り壊され、次の建物の基盤が作られ始めていた。しばらくその場所を見ていたが、不思議と、ショックだとか悲しいとかの感慨はなかった。無くなったんだな、ただそれだけだった。
マンションが取り壊されても、今先生がどこにいるのか分からなくても、私の人生に先生との出会いがあったという事実が消えるわけではない。先生に感謝しているか? と言われれば、感謝している。でもそれは、何かを教えてくれたから、何かを授けてくれたから、ということではない。ただ、出会ってくれて、私の人生を、私の小宇宙を構成してくれてありがとう、という気持ちだ。
「サンキュー、チャック」
これは、チャックというひとりの人生を全肯定する賛美の言葉なのだと思う。
文/草薙 曜子


