
雨の日は、もう一度。——2026年6月61冊の中の3冊【連載・月60冊読むkyoの「積んどかない」読書/第7回】
6月は、少しだけ読書の仕方が変わる。雨の日は本を買わないからだ。だって、本が湿気で歪んでしまうなんて、耐えられない。結果、1年でいちばん本を買わない月、ともいえるだろう。
雨の日が増えれば、出不精の私にとって、ただでさえ少ない外出の理由がほぼ皆無になる。車で図書館に行くことすら躊躇われ、返却期間ギリギリになってしまうほどだ。
とはいえ、どんなに忙しくとも、主要取引先の決算で領収書や契約書の山に埋もれようとも、どんな時でも、本が読みたい。休日も家で本棚を眺める時間が増え「次は何を読もう」と背表紙を見つめる。我が家の本棚には、私の趣味が詰まっている。家でも十分に読書を楽しめる。
毎月それなりの冊数を読んでいると、「読んでいる時間」はもちろん最高に楽しい。けれど、「どんな一冊を手元にお迎えするかを考える時間」も、同じくらい面白く、大切に感じる。
復刻版。特装版。装幀に惹かれて買った本。ずっと探していた版。
紙の手触りや活字の雰囲気まで含めて、どうしても手元に置いておきたくなる本がある。
本は電子書籍でも読める時代になった。持ち運びが便利になり、保管場所も問わない。オーディオブックなど楽しみ方も多様化している。便利な時代だ。けれど、それでも私は、大半は紙の本を選ぶ。それは、読むためだけではない、本という存在そのものを楽しんでいるからだと思う。



今月は、読むだけではなく、「本そのもの」を楽しめる3冊を選んでみた。
刊行当時の姿をそのまま残した復刻版。
現代の読者へ向けて再編集された風刺の辞典。
美しい装幀に心を奪われた特装版。
偶然そうなったのではない。我が家の本棚には、お気に入りの本の専用スペースがある。気づけば、そんな場所が当たり前になっていた。物心ついた頃から、私は物語だけでなく、本そのものにも魅せられている。
6月は、本に惹かれた理由に触れつつ、魅力を綴ってみたいと思う。
最初に挙げるのは、ミステリーの巨匠、江戸川乱歩による『心理試験 生誕100年記念 完全復刻版』である。
本書は、江戸川乱歩のデビューから100年を記念して刊行された、創作探偵小説集復刻シリーズ全7巻のうちの一冊だ。乱歩はもちろん、小酒井不木や甲賀三郎ら、日本探偵小説草創期を支えた作家たちの作品を、刊行当時の雰囲気そのままに味わえる贅沢なシリーズとなっている。
「心理試験」と聞けば、代表作の一つとしてご存じの方も多いだろう。私も乱歩作品はこれまで何度も読んできた。けれど本書では、物語そのものよりも、「復刻版」独特の魅力を堪能したい。
文字を右から左へ並べていく、右横書きの文字組み。
活版印刷らしい、独特な印刷のかすれ。
当時の書籍紹介。
現代語に改められていない、当時そのままの文章。
当時の文化に触れるような読書体験は、何ともいえず心地良い。
そして本書のお気に入りポイントは、巻末の奥付だ。
復刻版として刊行された現代のものだけでなく、刊行当時のものも掲載されているのだ。たった1ページ。けれど、その二枚の奥付を眺めているだけで、一冊の本が百年近い時間を旅してきたことを実感する。
旧仮名遣いや当時の組版は、現代の読者には決して読みやすいとは言えないだろう。けれど、その読みにくさこそが面白い。当時の読者も、この活字を追い、この紙面をめくり、この物語に驚いたのだと思うと、本は単なる文章ではなく、時代ごと受け継がれてきた文化なのだと感じる。
本書には、小酒井不木による序文も収められている。乱歩とは互いに刺激を与え合い、日本の探偵小説という新しい文化を切り拓いた同志。その関係を知ってから読む序文は、単なる推薦文ではなく、一つの時代を見つめる証言のようにも思えた。
正直に言えば、(小酒井不木の表現を少しだけ借りるなら)このような素晴らしい作品について私が語るなどというのは、僭越でもあり恥ずかしくもある。しかし同時にまた、このような素晴らしい本を紹介できる場所があることが、嬉しくて仕方ないと感じる。
現在は入手できる機会も限られているかもしれないが、もし手に取る機会があれば、ぜひ物語だけでなく、本そのものに目を向けてほしい。
百年前の読者が眺めた景色を、少しだけ追体験できる一冊である。

2冊目は、アンブローズ・ビアス原案、中村徹さんによる『悪魔の辞典』である。
アンブローズ・ビアスは、19〜20世紀に活躍したアメリカの作家・ジャーナリストだ。鋭い皮肉と辛辣な風刺で知られ、本書のもとになった『悪魔の辞典』も、新聞や雑誌へ長年にわたって発表してきた風刺的な語句の定義をまとめたものである。
辞典という形を借りながら、人間社会や常識を容赦なくひっくり返す。その独特のユーモアは、100年以上経った今も、多くの読者を惹きつけてやまない。
私は昔から、この『悪魔の辞典』が好きだ。そう言うと、「どちらの、どの判型ですか?」という話になりそうなくらい、この本は様々な形で発売されている。岩波書店、創土社、KADOKAWA、講談社……さらにマニアックなこびあん書房まで含めれば、それぞれに魅力があり、愛読者ごとに「推し」が分かれる一冊でもある。
今回あえて選んだのは、遊泳舎版だ。ビアスの辛辣な定義を現代の読者にも親しみやすい形で再構成した一冊である。
『悪魔の辞典』と聞くと、毒舌や皮肉ばかりを想像する方もいるかもしれない。もちろん、それも大きな魅力だ。けれど私が惹かれるのは、言葉を真正面から否定しているわけではなく、「そんな見方もあるのか」と、少しだけ視点をずらしてくれるところである。
辞典なのに、辞典らしくない。
言葉を定義しているようで、その裏側を笑っている。
読んでいると、思わず口元が緩んでしまう。
本書は、原典よりもかなりマイルドな表現になっている。その分、初めて『悪魔の辞典』に触れる人でも手に取りやすく、ビアス独特の辛辣なブラックユーモアを気軽に楽しめる入口になっていると思う。
そして、もしこの一冊がお気に召すなら、またはさらなる刺激がほしい人は、ぜひ原典や他の翻訳版にも手を伸ばしてほしい。訳者が変われば、言葉の印象も変わる。編集が変われば、並ぶ項目も変わる。
同じ『悪魔の辞典』なのに、読後の印象まで違ってくる。そう考えると、辞典そのものが一冊の作品であり、翻訳や編集もまた、新しい創作なのだと感じる。言葉には、ひとつの意味しかないと思い込んでいる時ほど、この本はよく効く。
少しどころではなく意地悪で、だからこそ可笑しい。そんなビアスの世界を、肩の力を抜いて楽しんでほしい一冊である。

3冊目は、ダニエル・キイスによる『アルジャーノンに花束を〔特装版〕』である。
この連載でも何度か触れているが、ヒグチユウコさんは敬愛する画家のひとりである。子ども時代に涙した思い出の名作。その装画をヒグチユウコさんが手がける特装版が発売されると知り、先行発売の文庫版を買う手は自然と止まった。
どうせ迎えるなら、この一冊がいい。
そう思い、価格に怯むことなく予約した。
価格は税込8,800円。正直、高価だと思う。それでも、この装幀を目にした瞬間、「高い」という感情はどこかへ消えてしまった。
布貼りの上製本。
美しい箔押し。
箱から取り出す時間さえ特別に感じる造本。
物語を読む前から、本という存在そのものに心が動かされる。
まさに6月に紹介したかった一冊だ。
もちろん、『アルジャーノンに花束を』という物語そのものは、今さら私が説明するまでもない名作である。子どもの頃に読んだときは、ただ純粋にチャーリイの姿に涙した。けれど、この特装版をきっかけに読み返してみると、胸を締めつける理由は少し変わっていた。
知的障害を持つチャーリイ。「経過報告」という形で、彼自身の言葉によって綴られていく物語。
子どもの頃は、素直に物語に入り込み、チャーリイから見える世界だけを見ていたと思う。けれど大人になった今は、彼を取り巻く人々もまた、それぞれの立場で迷い、苦しみ、必死に生きていたことを痛感する。
知ること。賢くなること。人を理解すること。そのどれもが、幸福とは限らない。だからこそ、チャーリイの変化だけではなく、周囲の人々の変化までもが、以前より静かに、深く心へ届くようになった。
この特装版が発売されなければ、私はきっと、この物語を子どもの頃の思い出のまま本棚に眠らせていたと思う。
美しい装幀に惹かれたことが、もう一度ページを開く理由になった。そして読み返したことで、子どもの頃には受け取れなかった感情と出会うことができた。
同じ本なのに、読む年齢が違うだけで、まるで別の作品のように感じる。それもまた、本という存在の面白さなのだと思う。
一生、手元に置いておきたい。
大切な物語を、今の自分で迎え直したような読書だった。

本は、一度読めば終わりではない。
百年前の読者と同じ景色を眺めることもできる。
言葉を違う角度から眺め直すこともできる。
子どもの頃に読んだ物語と、もう一度出会うこともできる。
読み返すたびに、違うものが見えてくる。変わっているのは、本ではない。読んでいる自分なのだ。
電子書籍にも、オーディオブックにも、それぞれの魅力がある。
けれど私は、紙の本を手に取るたび、その重さや手触り、装幀までも含めて、一冊との出会いを楽しんでいる。
紙の本は場所を取るし、重たいし、引っ越しの日には恨めしくなる。それでも手放せないのは、その一冊ごとに、読んだ記憶だけではなく、その本と出会った時間まで閉じ込められている気がするから、かもしれない。
今日もまた、本棚を眺める。
私の本棚には、まだまだ沢山の本が眠っている。
次は、どの一冊と再会しようか。
雨の日も、それはそれで、悪くない。
文/kyo
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