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涼しい部屋から、遠くまで。——2026年7月51冊の中の3冊【連載・月60冊読むkyoの「積んどかない」読書/第8回】

7月、今年もこの季節が来てしまった。
暑い。半端なく、うんざりするほど暑い。

酷暑と表現される日が多く、赤黒いフォントや刺々しい太陽マークが、えげつないほどの危機感を与えてくる天気予報。不要な外出を避けるよう促す気象予報士の言葉を素直に聞き入れ、ほとんど引きこもり、おうち時間を満喫している。聞かずとも、そのつもりではあるのだが。

日用品の買い物は日が落ちてから出かけ、ネット通販もフル活用。図書館は朝一番と決めている。ほかの外出は、仕事や学校に関わる必要最低限のみ。愛娘である長毛猫様たちと一緒に、涼しい部屋から断固として出ない生活だ。自宅で仕事ができるのは本当にありがたい。リモート時代に感謝である。

……とはいえ、そんな私にも、素敵な場所へ行きたい、外の世界を見たいという欲求は当然ある。美しい景色、魅力的な街並み、そこで暮らす人々の営み。そんな旅心や好奇心を満たしてくれるのは、やはり本だ。時間も空間も越えて、どこへでも連れていってくれる。

物語を読み終えたあと、その舞台や、物語が生まれた場所を歩いてみたくなることがある。

登場人物が暮らした街。
印象深い場面のモデルとなった場所。
著者自身が何度も通った書店やカフェ。

実在する場所であれば写真や地図を探し、すでに知っている街でも、物語を読んだからこその視点で、あらためて眺めたくなる。

場所だけではない。物語が、どのような思考を経て生まれたのかも知りたくなる。

なぜ、この人物はここで立ち止まるのか。
なぜ、この場面がこの順番で置かれているのか。
何気なく読み進めた一行の裏側に、どれほど多くの選択と試行錯誤があったのか。

本が好きな一読者として、書き手の思考の一端に触れられることが、嬉しくて仕方がない。その過程を知るほど、書き手への敬意は増していく。

7月に選んだ3冊は、物語が生まれ、磨かれ、街の記憶として残っていく過程をたどる本だ。

書き手の机の上で磨かれ、読者のもとへ届いた物語は、やがて本の中を飛び出し、街の風景や人々の記憶の中で生き続ける。

7月は、そんな物語の旅路を追いかける読書になった。

最初に挙げるのは、新井一樹さんによる『シナリオ・センター式 物語のみがき方』である。

物語は、書き上げれば完成するわけではない。

前作『シナリオ・センター式 物語のつくり方』では、設定、登場人物、構成、シーンと、物語を一から形にするための基礎が順を追って解説されていた。対して本書が扱うのは、すでに書き上げた物語を、読者や観客の心へ届く作品にするための「みがき方」だ。

物語全体のバランス、主人公の行動、構成、ひとつひとつのシーンを見直し、どこを、どの順番で直せばよいのかを診断していく。

前作が物語をつくるための地図なら、本書は、完成したと思っていた物語を映し、磨き残しを見つけるための鏡なのだと思う。

この連載を書き続ける中でも、文章は、最初に書き上げた時点で完成とはならないのだと何度も実感してきた。

言葉を選び直す。
文章の順番を入れ替える。
伝わっているつもりの一文に、主語を補う。
気に入っていた表現を削り、ときには一度削った言葉を戻す。

書くことも難しいが、書いたものを客観的に眺め、どこを直すべきか判断することは、さらに難しい。初稿には、自分が書きたかったものが詰まっている。だからこそ、愛着が邪魔をして、読者に何が届いているのかを見失うことがある。

本書の土台となっているのは、シナリオ・センター創設者の新井一さんが、初心者の書いた6,323本のシナリオを分析し、評判になった作品の長所に関する統計をもとに体系化した「シナリオ診断学」である。

その考え方を、孫であり、現在シナリオ・センターの代表取締役社長を務める新井一樹さんが、現代の創作者にも実践できる形に解きほぐしている。

長い年月と膨大な作品の分析から生まれた思考に、一冊の本を通して触れられるのだ。

本が好きな一読者として、これほど贅沢なことはない。

なぜ、この主人公から目が離せないのか。
なぜ、あの場面で心が揺さぶられたのか。
なぜ、物語の終わりに言葉を失ったのか。

読者として感覚的に受け取っていたものは、登場人物の性格や行動、場面の役割、構成のバランスなど、書き手による数え切れないほどの選択の末に組み上げられている。

ただ夢中で読んでいた一冊が、急に、途方もない仕事の結晶に見えてくる。

本書は、物語を書く人のための実用書である。けれど、物語を愛する読者にとっても、書き手の思考を少しだけ見せてもらえる本だと思う。

技法を知れば、物語の魔法が解けてしまうのではないか。そんな心配は必要ない。むしろ、その一文や一場面が置かれるまでに、どれほど思考が重ねられてきたのかを知るほど、作品を生み出す方々への敬意は強くなる。

物語は、ひらめきだけでは完成しない。
形になったあとも、書き手が何度も見つめ直し、迷い、選び、磨いて、ようやく読者のもとへ届けられる。

その過程を知った今、次に開く一冊は、これまでとは少し違って見えるかもしれない。

『シナリオ・センター式 物語のみがき方』新井一樹(日本実業出版社)

次に挙げるのは、ドミニク・ブリス著『パリ文学風景 本のある場所、作品の記憶』である。

物語を生み出す人の思考に触れると、今度は、その言葉が生まれた場所まで知りたくなる。

作家が暮らした部屋。
原稿を書いた机。
何度も足を運んだ書店やカフェ。
作品の舞台となり、登場人物が歩いた街角。

作品だけを読んでいるときには想像するほかなかった景色が、実在する場所として姿を現す。その風景を知ることで、すでに読んだ物語にも、これまでとは違う光が差し込んでくる。

本書が案内するのは、歴史ある書店や劇場、パッサージュ、カフェ、作家ゆかりの場所、セーヌ川沿いの古書店など、文学の記憶が残るパリの風景である。豊富な写真とともに街を巡りながら、パリがどのように世界文学の舞台となってきたのかをたどっていく。

パリを紹介する本は数え切れないほどある。美しい建築、石畳の道、芸術作品の並ぶ美術館、カフェテラスから眺める街並み。それだけでも十分に魅力的だが、この本を開くと、目に映る風景の奥に、そこで言葉を紡いだ人々の姿が見えてくる。

ここで、何を考えていたのだろう。
どのような人と出会い、何を語ったのだろう。
この街の光や匂い、人々の声は、作品にどのように入り込んでいったのだろう。

もちろん、場所を知ったからといって、作家の思考をすべて理解できるわけではない。それでも、作品が生まれた時代や街の空気に触れることで、遠い存在だった作家が、同じ街を歩き、悩み、暮らしていた一人の人間として感じられる。作家との距離が、ほんの少しだけ縮まる。

歴史の長いフランス文学には、時代ごとに異なる思想や表現があり、多くの作家や作品が、後の文学や芸術へ影響を与えてきた。

けれど本書から感じられるのは、年表の上に並ぶ文学史だけではない。文学が日常の風景に溶け込み、長い時間をかけて街の記憶となってきたこと。その幾重にも折り重なった厚みこそ、パリという文学都市の個性なのだと思う。

作品を読んでから背景を知ることもあれば、背景を知ったことで、初めて開きたくなる作品もある。読んだことのある作家の足跡を見つければ嬉しくなり、まだ読んでいない作品に出会えば、次の読書へ誘われる。

ページをめくるたび、書店の扉を開き、カフェの椅子に腰を下ろし、セーヌ川のほとりを進んでいく。そこに残されているのは、華やかな観光地としてのパリだけではない。数多くの作家が生き、考え、数え切れないほどの言葉と物語を残してきた街の姿である。

物語が生まれた背景を知ることは、作品の答えを知ることではない。むしろ、ひとつの作品から、さらに多くの問いや興味が広がっていくことなのだと思う。

この風景から、どのような言葉が生まれたのか。
あの作品を読み返したら、今度は何が見えるのか。
そして、まだ知らないどんな物語が、この街に眠っているのか。

『パリ文学風景』は、遠い街を案内するだけではなく、まだ知らない文学へ足を踏み出すための一冊だった。

『パリ文学風景 本のある場所、作品の記憶』ドミニク・ブリス著、小林朋則訳(原書房)

最後に挙げるのは、エヴァン・ジョセフ、エイミー・エヴァンズ著『ニューヨーク文学風景 本のある場所、作品の記憶』である。

『パリ文学風景』に続き、あえて同じシリーズから二冊を選んだ。似たような本を並べたかったわけではない。二つの街を続けて歩くことで、文学が街に残るあり方の違いを見てみたかったのだ。

有名な書店や図書館。
作家ゆかりのホテルやレストラン。
劇場や詩のクラブ。
詩人や作家たちが集ったバーやカフェ。

本書は、豊富な写真とともに、ニューヨークに残る文学の足跡をたどっていく。同じ「文学の街」を扱っていても、パリ編とはページから伝わってくる空気が違う。

『パリ文学風景』を読んでいると、長い時間をかけて積み重なった文学の記憶を、一層ずつたどっているような気持ちになった。書店やカフェ、劇場、通りの向こうに、過去の作家たちの姿が静かに浮かび上がってくる。

一方、ニューヨークの街から感じられるのは、多くの声が絶えず行き交うような熱気である。異なる国や文化から人々が集まり、それぞれの言葉と経験を持ち寄る。古くから読み継がれてきた作品の記憶に、新しい物語が次々と加わっていく。

パリの文学が、長い歴史の中で幾重にも折り重なっているとすれば、ニューヨークの文学は、多様な物語が同じ場所で出会い、ぶつかり合いながら、今も姿を変え続けているように見える。

もちろん、パリにも現在進行形の文学があり、ニューヨークにも長い歴史がある。二つの街を、単純に過去と現在へ分けることはできない。

それでも、共通する構成の二冊を続けて開いたことで、それぞれの街が持つ速度や温度の違いは、むしろ鮮明になった。二つの都市を比べるつもりで読み始めたはずが、ページをめくるほど、そこで生まれた言葉や、街を舞台にした作品をもっと知りたくなる。

作品が街を特別な場所にすることもあれば、街を知ったことで、作品を手に取りたくなることもある。作品と場所は、どちらか一方だけでは完結しない。互いに記憶を与え合いながら、その街の風景をつくっているのだと思う。

『ニューヨーク文学風景』は、文学の記憶をたどるだけでなく、今この瞬間にも、街のどこかで新しい物語が始まっていることを想像させてくれる一冊だった。

『ニューヨーク文学風景 本のある場所、作品の記憶』エヴァン・ジョセフ、エイミー・エヴァンズ著、甲斐理恵子訳(原書房)

物語は、書かれた瞬間に完成するわけでも、本になった瞬間に終わるわけでもない。何度も見つめ直され、選ばれ、磨かれて、ようやく読者のもとへ届く。そして、誰かに読まれ、語られ、ときには書店やカフェ、街角の風景と結びつきながら、新たな記憶を重ねていく。

書き手の思考や、作品が生まれた背景を知ることで、書き手の机の上をのぞき込み、そこから世に出た物語の足跡をたどる。物語が生まれ、現実の街の記憶へと根づいていくまでの長い旅を見たような気がした。

読書は、一冊の中だけで完結しない。

ひとつの作品から著者へ、著者から街へ、街からまた別の物語へ。興味は次々と枝分かれし、気づけば、読みたい本がまた増えている。

窓の外は、今日も容赦なく暑い。猫たちも、涼しい部屋で長々と寝そべっている。それでも本を開けば、作家の机をのぞき、パリの石畳を歩き、ニューヨークの雑踏に紛れ込むことができる。

7月はほとんど外へ出なかった。体調まで崩していたため、読書量もいつもより少ない。けれど、物語をたどる旅としては、ずいぶん遠くまで歩いた気がしている。

8月も、まだまだ暑い日が続く。涼しい部屋で、熱々のコーヒーを淹れて。本の世界は、よりどりみどりだ。

さあ、次はどこへ行こうか。

文/kyo

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