
最近お気に入りの読書法【さとゆみの今日もコレカラ/第 229 回】
今週は、一日のうちのわりと長い時間をベッドの上でうつらうつらしていた。撮影や会食のときは、えいっと気合を入れて現場にいき、戻ってきたらまた横になる。喘息持ちだからなのだけれど、毎年、6月と 11 月はそういう日が多い。
こういうときは、目で文字を追うのもしんどいし、動画を見るのも疲れるので、もっぱらオーディブルで小説を読んでいる。もとい、小説を聴いている。最近までオーディブルは苦手だった。いいなと思った部分に付箋が貼れないのが一番の理由だ。自分の体内に文章が蓄積していく気がしない。1冊聴き終わるのに 10 時間、20 時間という時間がかかるのももったいない気がしていた。
でも、昨年の今頃、出張先のホテルでコロナにかかり、どこにも出かけられない状態が続いたとき、試しにオーディブルを流してみたらとても良かっ
た。目を開けなくてもいいというのが良い。以来、1年間で 40 本ほどのタイトルをオーディブルで聴いた。
1冊全部をオーディブルで聴くのではなく、途中まで音で聴いて、その後書籍に戻ることも多い。
とくに、これまで何度かトライして挫折してきた歴史系の文学や古典文学、翻訳ものは、一度耳から情報を入れると、そのあと書籍に移行してもするりと読めると気づいた。オーディブルで1章分聴く。その後、書籍に戻って読む。格段に読みやすくなっている。
この方法で、過去に何度か挫折していた『ドグラ・マグラ』が読めた。
いい文章は、耳で聴く順番のまま映像展開ができる。
目の前に映像が広がり、ストリートビューのように、その映像の中を歩くことができる。オーディブルを聴くようになってから、情景描写の適切な「順番」を少し理解できるようになってきた。
一人称や三人称の「視点」もぼんやりわかるようになってきた。どこの位置にカメラを置くのか、誰の視点から見た文章なのか、ズームインとズームアウト、カットインやカットアウトなどもほんのり理解できるようになった気がする。
何冊も読んだ中で、もっとも「オーディブル甲斐」があったのは、浅田次郎さんの『大名倒産』だ。何十人といる登場人物の群像劇を、たった一人が完璧に演じわけていて、書き手と読み手のプロの技、ここに極まれりといった具合だった。祇園精舎の鐘の声が口伝で伝わるがごとく。耳で聴く文学として、至極だった。
もう一冊、これはオーディブルで読んで得難い経験をしたと思ったのは『目の見えない白鳥さんとアートを見にいく』だ。
登場人物の白鳥さんは目が見えないので、「音で絵画を体験する」のだが、はからずもこの作品をオーディブルで聴くと、読者も白鳥さんと近い体験をすることになる。耳で絵画を鑑賞する。これは、ちょっと驚きの体験だった。この本は、1章を書籍で読み、残りをオーディブルで聴いたのだけれ
ど、読んだことがある人にもない人にも、ぜひオーディブルをおすすめしたい。書籍の読書体験とはまるで種類の違う体験ができる。一冊聴き終わったときに、本の中に出てきた実際の絵画を「目で」見たら、「耳で」見ていた絵とだいぶ違って or 驚くほど近くて、これが二重に面白かった。
【この記事をおすすめ】
「この本によって私の人生は確実に変えられてしまうだろう」と思った。


