「何も見なくても描けるのがプロ」? プロこそ大切にしている、資料について【絵で食べていきたい/第12回】
イラストを描く時、何も見なくてもサラサラ描ける……それでこそプロ! と思うかもしれません。でも実際にイラストレーターとして依頼を受けると、描く前の資料集めに思いのほか時間がかかりますし、その大切さを痛感します。今回は仕事として絵を描く上で大事な、資料について書きたいと思います。
資料が7割? と思うほど資料が大事である理由
絵の仕事を依頼された時、描くのに十分な資料をもらえるとほっとします。資料がもらえなくても、自力で入手できそうだと感じた時も安心して受けられます。つまり私は、良い資料があればとりあえずスムーズに製作ができるだろうと判断しているのです。まずは仕事として絵を描く上で、なぜ資料がそんなに大切か、考えてみます。
・明らかな間違いを描かないために
資料がなくても「ウサギの頭部」なら、概ね正しく描ける人は多いでしょう。しかしこれが「イヌの後ろ足」となったら、迷わず描ける人の数はぐっと減るのではないでしょうか。普段見慣れているものでも、想像だけで描こうとすると途端に困ってしまうモチーフは意外と多いものです。たとえば私は資料を見ないと、いまだに折り畳みのパイプ椅子はうまく描けません。もちろん「リアルさにこだわらない」「雰囲気で伝わればいい」絵もありますが、それでも構造などの正確な情報を知ってから簡略化するのと、全く知らずに描くのでは仕上がりは変わってきます。
・誰が見てもそれだとわかるように描くために
仕事で絵を描く場合、基本的には多くの人に意図を正しく伝えることを求められます。たとえ自分自身が「困った時にはとりあえず寝る人」だとしても、「困っている人」を表現するために「寝ている状態」を描く人はいないと思います。多くの人がイメージする「困っている人」は、眉をハの字にして頭を抱える、腕組みをして悩んでいるといったポーズでしょう。現実にはそういうポーズをしている人があまりいなくても、意図を伝えるためには「らしさ」が表現されないといけません。色々な資料を見ることで、自分の表現が独りよがりでないか確認することができます。また、自分が思い浮かべるイメージがいつのまにか古くなっている場合もあります。あえてレトロさを狙うなら良いのですが、それも含めて自分のイメージが「現在、世間一般の人がイメージするものからはずれていないか」を確認することも大事です。
・作画時間を短縮するために
締め切りのある仕事ではこれは特に大事な点です。資料を探して描くというと、その時間がもったいなく感じるかもしれません。しかし実際は、知らないものを描こうとすると時間がかかるものです。悩んだ時間の割には良いものが描けず、結局資料を探すこともあります。あらかじめ描きたいものと大まかなイメージが固まったら、それを描くために必要な資料の目星をつけてから探して描くほうが 結果として効率良く、早く仕上がります。先に描くイメージを固めるのは、資料に引っぱられすぎないためです。詳しくは後述します。
・自分の引き出しにはない表現方法を得るために
たくさん描いているうちに、自分の描き方が決まってくるのは良いことです。一方で、どうしても毎回「決まった引き出し」からアイデアや表現を使うことになりがちです。資料を参照することで、さらにその引き出しのバリエーションを増やすことができます。毎回ワンパターンになってしまうと悩むより、その時間に色々なものを見たほうが早かったということはよくあります。
資料の種類と入手方法
・資料集(紙・電子・図鑑など)
絵を描くための資料集、ポーズ集などは、紙や電子でたくさんあり、書店で入手できます。これらはもともと参照用に作られているので使いやすく、著作権の問題などもクリアしているので安心して使えます(使用規約などはそれぞれの書籍に明示してあります)。また、図鑑なども便利です。写真はもちろん、絵の図解なども、細かい部分までわかるように描いてあってとても助かります。図鑑の良いところは、たとえばイワシならイワシの「普遍的な情報、特徴」が載っていることです。これが任意のイワシの写真だと「たまたまその個体の特徴」かもしれないものが写っている場合があります。
・作画用の立体資料(ポーズ人形や模型など)
描く機会が多いけれど形がとりにくいものは、資料として使える立体の模型があると便利です。私もポーズ人形などはいくつか持っていますし、同業の友人は自転車などの模型も手元に置いているそうです。これはそのままスケッチするのはもちろん 、欲しい角度で撮った写真を参考にすると作画が本当に早くなります。アプリ上で使える3Ⅾのポーズ人形なども便利ですが、指先ですぐ形を変えられる人形のほうが手早くて使いやすいこともあります。デッサン人形、ポーズ人形などの名称で探すと色々あります。
・ネット検索した画像(写真・イラスト・グーグルアース など)
インターネットを使って写真やイラストを探す方法です。もちろん、他者の創作物をそのまま真似して描くことはしません。たとえばあるモチーフを描いた他の作家のイラストを検索すると「リアルな物体や事象のどの部分を抽出して描かれているか」が確認できます。するとモチーフをそれらしく見せている要素が何なのかわかるのです。また、最近はグーグルアース(Google Earth)などで建物や風景を見ることもできます。これも著作権フリーではありませんが「この地域の植物はどんなものか」「この町の雰囲気はどんな感じか」などを現地の写真で見ることができるので、大変役立ちます。
・自分で写真を撮る・スケッチする
もっとも大切な資料となるのはこれだと思います。ルポなどの仕事では参考資料として写真をたくさん撮っておきます。印象的な部分はスケッチや似顔絵で残します。ルポ以外のカットでも、時間と予算に余裕があるなら、現物を探してよく観察するのが一番です(なかなかそうはいかないので、資料集や過去の写真に頼ることになります)。仕事と関係ない旅行先や散歩中、食事する時なども、常に「これを資料に使うかも」と思って写真に撮る癖がついています。あくまで資料のための写真なので、物を撮るならトリミングせず、少し周囲の風景が入るくらい までとか、後で利用しやすい工夫をします。カメラのアングルも、絵にすることを前提に設定し、人物が写り込まないように、いやむしろ適当に人物が入るように、などと考えて撮ります。 探すのが面倒で結局使わないことも多いのですが、たまに「撮っておいてよかった!」と思うことがあるのでやめられません。
一方スケッチは、資料として以上に「自分の記憶に残す」ためにもとても有効です。写真に撮るより、一度描いてみるほうが、覚えられる情報量が段違いに多くなるのです。以前写真が撮れない状況でインタビューに同行したのですが、後で似顔絵が描けるようにと話者の姿をよく見ていたら、いつもよりも「似顔絵がそっくり!」と評価されたことがあります。写真に頼らず、どれだけ自分の五感で対象の姿や印象をよく掴むかが、伝わる絵を描くためには大切なのだと痛感しました。
・趣味の多い友人を頼る
資料扱いしてはいけませんが、友人知人に資料や知恵を借りることも実は結構あります。以前、とある古い映画のポスターのパロディ風に描いてほしいというイラストの依頼があったのですが、そのポスターの画像はネット検索では出てきませんでした。わざわざ専門の図書館などに行く時間もありません。ふと思いついて、古い映画に詳しい同業の先輩に“ダメ元”で聞いてみたら、「多分あるはず」と雑誌の切り抜きコピーをメールで送ってくれました。今ならばこういった難題はまず依頼してきた編集者さんに「資料を下さい」というところですが、駆け出しの当時は自分でなんとかしないといけないと思っていたのです。こうした横のつながりに、ここ一番で助けてもらうことはいまだにあります。
・文字情報の資料(歴史資料、小説、新聞など)
ここまでは視覚的な資料について書きましたが、文献も絵を描く際に役立ちます。資料写真だけではわからない情報を文字から学ぶことは多いです。特に昔の風俗などは、入手できる写真や絵にも限りがありますし、写真が残っていても、説明がないとそれが何なのかわからないこともあります。とはいえ、もちろん文章から想像だけで描くには限界があります。かつて外国人が「文献から想像して描いたジャパン」の絵などは、色々なアジアの要素や空想が混ざり合って摩訶不思議な世界になっています。当時はそれでも十分、見る人の憧れや好奇心を掻き立てました。現在でも、現実と想像とのズレによってできた部分が魅力となっている絵も多くあります。ただ、それを狙うのでない限り、多くの仕事ではできるだけ皆が納得する絵になっているほうが良いと思います。文字と画像、両方の情報を利用して、知らないものでもできるだけそれらしく描けるようになればと思うのです。文字資料は書店や図書館、またネットで所蔵品のアーカイブを公開している博物館なども利用できます。
資料を参照する時に気を付ける べきこと
・著作権・肖像権に注意する
当然のことですが、他者の創作物である写真やイラストは、著作権フリーの明示がない限りそのまま真似して描いたりトレースしたりしてはいけません。もちろん、構図が似るような 場合は あるでしょう。どこまでがありふれた表現で、どこからが写真家やイラストレーターの創意工夫によるものか、それをよく見極める必要があると思います。
参考資料をできるだけ数多く用意する、描く内容を大まかに決めてから資料にあたる、などを意識するだけでも、参考にしたものをそのまま描いてしまうことを防げます。また、イラストばかりを見ていると、何が「その人独自」の表現なのかわかりにくいことがあります。私が子供の頃は「ネズミを描いて」と言われると、大抵の子供は耳を丸く、大きく描きました。本物のネズミは見たことがないけれど、ミッキーマウスは皆知っているので、ネズミと言われて想像するのは丸くて大きな耳のミッキーマウスだったからです。しかしその後、本物のネズミの写真や、日本画や別のイラストレーターの描いたネズミを見て、あの丸い耳はディズニー独特の表現だったのだ、とわかりました。もちろんこれは一つの例で、丸い耳で表現したネズミはミッキーマウスの他にもありますし、耳を丸く描いただけでは、「ミッキーマウスの盗作だ」とは言えません。ここで言いたいのは、他者の表現を無意識に拝借していないか、現物を参照する癖をつけようということです。
・トレースをしたくなったら
「トレパク」という言葉があります。無断で他者の創作物をそのままトレースして自分の作品としたり、一部に組み込んだりすることです。こういう例のせいで「トレース=悪!」と思ってしまうことがあります。たとえば学校で、写生の課題を提出するのにモチーフの写真をトレースしたら「ずるい」ということになるでしょう。モチーフの観察力や、描写力がどれだけあるかを判断するためには、トレースでは意味がないからです。でも絵を描く上で、トレースという行為そのものが悪い訳ではありません。最近では写真や3Ⅾモデル からそのまま線画を抽出できるソフトなどもあります。それが制作の効率化とクオリティアップにつながるなら、取り入れたら良いのです。ただしそれは、トレースのもととなる写真やイラストなどが、自分以外の誰かの著作物でない(あるいは素材として使用許諾を出している)場合に限ります。余談ですが、あまり工夫のないトレースは同業者には大体ばれます。
・デッサンやパースが全てではない
資料を見て描こう、というのは必ずしも「デッサンやパースが狂ってはいけない」という意味ではありません。絵で表現するのですから、必ずしも見たものそっくりそのまま、リアルである必要はないのです。対象や事象を良く観察して知った上で、デフォルメや抽象化など独自のフィルターを通して描いた結果、資料と全く違う絵になることは当然ですし、それでこそ私たちが描く意味があります。あくまで目的は「描きたいもの、伝えたい内容を自分らしく、そして他者に伝わるように表現するために必要な情報を資料から得る」ことです。
・資料を見た部分と見ていない部分に明らかな差がでないようにする
ありがちな失敗として「資料を見て書いた部分だけやたら細かく正確で、他の部分とのバランスがとれていない」絵があります。たとえば、真ん中の人物は写真を見て描いたな、とわかるリアルな描写なのに、周囲にあしらわれている植物はいかにも「想像で描いた葉っぱ」という感じで1枚の絵としての落ち着きがないとか。もちろん、周りの葉っぱは「飾り」としてあえて対比させる場合もありますが、それならもっと はっきり意図がわかるように描いたほうが良いです。私自身も食べ物のイラストを描いていて、気が付くと一部分だけ写真を見て細かく描き込みすぎてしまい、他のタッチと揃わなくなって、結局全部の描き込みをしなおすことがあります。1枚の絵だけでなく1セットで使われる絵の場合も、全体の仕上がりが揃うように描くべきです。わかっていても、うっかりやりがちなので注意が必要です。
資料を大事にしつつ、頼らないで描ける力をつける
たくさん資料を見て描いていくうちに、慣れてくれば資料を見なくても「それらしく描けるもの」が増えていきます。また、一つのアイデアから色々な構図やモチーフのバリエーションも増やして連想できるようになります。結局のところ、こうして絵を描いた数こそが画力を上げていくのだと思います。観察して描くことを積み重ね続けて「何も見なくてもサラサラ描ける」ものが増えていくのです。
著名なイラストレーターの個展に行った時のことです。膨大な作品の傍らに、本人のスケッチブックが置かれていました。そこにはつい最近描かれた、庭の花のスケッチがありました。正直なところ私はびっくりしました。そのイラストレーターは昔から、人物の絵と一緒にたくさんの花を描いています。その花も、ボタニカルアートのようにリアルに描かれたものではありません。ですから私は、花などはもう本人の「引き出し」から、何も見なくても描けるだろうと思っていましたし、実際、描けるはずです。それでも、今もその人は庭の花をスケッチしているのです。本人は特に努力と思わず、好きで描いているのかもしれませんが、モチーフに対する誠実さを感じずにはいられませんでした。そしてこういう積み重ねが、いくつになってもこの人を現役の売れっ子でいさせるのだろうと敬服しました。
同業の友人は人気のショッピング街でイベントに出展し、お客がこなくて暇な時には通行人の服装をスケッチしていたそうです。「人物のイラストを描く時、服装がワンパターンになりがちなので、今時でリアリティのあるファッションをストックできて助かった」とのことでした。こういう「生きた資料」は本当に役に立つし、一度スケッチすることで相当な情報量が頭に残るものです。この話を聞いた時も「こういう努力をサラッと続けているからこの人は仕事が切れないんだろうな」と思いました。
インターネットやデジタルカメラのおかげで、資料集めは本当に楽になりました。その分、誰でも同じような資料を見ることができるので、資料集めで一歩差をつけることは難しくなりました。結局は、体験や経験の差がものを言うことになるかもしれません。
人体のしくみを知らないまま、3Ⅾ人形のトレースだけで描いた人物はやはり不自然です。食べたことのない料理の写真を見て描くのと、実際に口にしてから描くのでは、伝わるものも変わってくるでしょう。だからといって、描くもの全てを実際に見に行くことは不可能です。資料の恩恵を享受しながら、そこから得た情報や知識と自分自身の経験を、どう絵の力に結び付けていくのかを考えながら制作する。それを繰り返すことで、描く力も格段に上がるのではないかと思うのです。
文/白ふくろう舎
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