今の自分の姿形を確かめる。『プライド』を何度も読み直す理由【連載・あちらのお客さまからマンガです/第10回】
「行きつけの飲み屋でマンガを熱読し、声をかけてきた人にはもれなく激アツでマンガを勧めてしまう」という、ちゃんめい。今回は、折に触れて読み返しては背筋が伸びる! と信頼してやまない、一条ゆかり先生の『プライド』について語ります。
世界で活躍する成功者の多くは、何かしら独自のルーティンとやらを持っているらしい。例えば、毎朝必ず読書をしたり、瞑想をしたり……。そういったお決まりの日課を持つことで、集中力が高まったり、あるいは不調を事前に察知できるなど嬉しい効果が見込めるそうな。なんだか他人事感満載で語り出しましたが、実は私にもあるんです、ルーティン。
私の場合、お決まりの日課というよりも“対処法”という表現の方が正しいのかもしれませんが、仕事やプライベートにおいて上がったり下がったり、何かしら変化が起きた時に一条ゆかり先生の『プライド』を読み返します。「私は今どんな姿をしているのだろうか?」と、今の自分の姿形を確かめるために。
相反する2人の“プライド”と闘いを描く
例えば、叶えたい夢に向かって努力を重ねている時。自分と同じ夢を抱く者に闘争心を燃やしている時。念願の夢が叶った時、あるいはあと一歩届かなかった時。
その時々で私は自分の姿形が少し違うように感じています。確かに全部自分なんだけれど、どこか自分じゃない何かが乗り移って自分を操縦している感じ……。その原因は、その都度で纏っている「プライドの鎧」が違うからなのだと考えています。そんなプライドの鎧という存在に気付かせてくれたのが、レジェンド作家・一条ゆかり先生の大名作にして伝説的作品『プライド』でした。
裕福な家庭で生まれ育ち、類まれなる美貌を持つ史緒。一方で、貧しい家庭に生まれ苦労が絶えない萌。何もかも正反対の2人ですが、共通点はオペラ歌手を目指しているということ。『プライド』とは、この相反する2人が各々の“プライド”をかけ、オペラ歌手という夢を叶えるまでの闘いを描いた作品です。
それぞれが纏う「プライドの鎧」とは何か
史緒と萌は纏っているプライドの鎧も実に対照的です。例えば、史緒は資産家の娘にして、亡き母親は一流オペラ歌手。母親譲りの美貌と、(もちろん努力の上に成り立っているものではあるけれど)天性の歌声を持つ彼女は生粋のお嬢様気質。全てを手にしているからこそ、誰かを妬むことも、僻むこともない。でも、それゆえに他者の傷みや立場を想像できずに高慢な態度を取ってしまうことがある。まるで女王様のような史緒は、凡人が決して手に入れることができない、キラキラ……いやギラッギラしたプライドの鎧を纏っています。
対して萌は、母子家庭で育ち、お酒に溺れた母親に金の無心をされながらも、アルバイトをいくつも掛け持ちして、大学の費用を自分で工面しています。恵まれない境遇で育ったことから、時には人から蔑まれたり馬鹿にされることもある萌ですが、その度にこう言うのです。「私…イヤな思いすると力が湧くんです 絶対にこのままじゃ終わるもんかって 恨みの力って強いんですよね」と。恨み、妬み、嫉み、どす黒い感情全てをエネルギーにして、目的のためなら平気で人を蹴落として夢を叶えていく萌。そんな彼女は、どこまでも重く、ともすれば自分を苦しめかねない、鈍色のプライドの鎧を纏っているように見えます。
何かも満たされていて、確実にオペラ歌手になれる未来があると信じてやまない史緒。物語は、そんな彼女の父親が事業に失敗してしまい、全てを失うところから始まります。最初はどんなに生活が落ちぶれてもお嬢様気質の見上げたプライドを崩さない史緒でしたが、萌との確執、そして蘭丸という善き理解者に導かれ、守るべき“本当のプライド”とはなんなのか? と。自問自答を重ねて成長していきます。
自分の鎧を確かめたい、私が『プライド』を読む理由
『プライド』という作品を初めて読んだのは高校生の頃。当時は、逆境を乗り越え、纏うプライドの鎧を着実にアップデートし、一人の女性として輝きを増していく史緒が大変魅力的に映りましたし、彼女のようになりたい! と心から憧れました。反対に萌というキャラクターにはひたすら恐怖を抱き、正直に言って軽蔑の対象でもありました。だけど、社会人になってたまたま『プライド』を読み返したとき、萌に共感したというか「あ、身に覚えがある」と背筋がひやっとしたものです。
もちろん、私自身が萌のように誰かを蹴落とすとか、卑怯な手を使ったということは一切ありません。だけど、史緒にだけは絶対に負けたくない! と並々ならぬ情念で這い上がる萌を見た時に、自分ではなく誰かと闘ってしまうところ……つまり、向上心ではなく異常なまでの闘争心をエネルギーにして突き進んでいくところが当時の自分と重なったのです。あぁ、私は今、萌と同じプライドの鎧を被っているんだと思いつつ、萌のなんとも言えない鋭い目つきが自分の目とそっくりだと感じました。
そんな萌に対して、彼女が働くクラブのママにして、本作で神名言を連発する名キャラクター・奈津子さんはこう言います。「ちゃんと自分と戦いなさいな 人とばかり戦ってるとつぶれるわよ」と。
いや、本当にその通りなんです。闘争心というのは、努力をするためのカンフル剤にもなるので多少は必要だと思うけれど、行き過ぎた闘争心は人との衝突や軋轢を生む。その果てに、夢や目標を叶えたとして、自分は本当に幸せなんだろうか? と。萌が歩む人生と、人との衝突が多かった当時の自分を重ね合わせて、深く考えさせられたものです。
それ以降、何かしらの上がり下がりを経験した時には、『プライド』を読み返すようになりました。自戒の意味を込めて、自分は今、どんなプライドの鎧を纏っているのかを確かめるために。
どんな鎧を纏えば良いのだろうか
まるで真実を映す鏡のごとく、折に触れて『プライド』を読み直すようになった私ですが、これが本当に面白いもので。歳を重ねて成功体験を積むと、なぜか萌ではなく初期の史緒を見るのが辛くなる時がある。つまり、無自覚の傲慢さを持った自分に気付かされるのです。
年齢や経験値の変化によって、纏うプライドの鎧が変わっていく自分。萌と史緒、どっちになってもこのままじゃいかん! といつもどこか自戒めいた気持ちで『プライド』を読み直していた私ですが、最近よく考えるのです。じゃあ、どんなプライドの鎧だったら良いのか? と。
本作のラストで史緒が辿り着いたプライドの境地とは、自分の弱さも全て認めて受け入れること、出会った人を大切にすること、そして変化を恐れないこと。決して濁りがない、それでいてどこか高潔さすら感じるプライドが史緒の答えだったように感じます。
史緒のような鎧を纏えたらどんなにかっこいいだろうかと思うものの、実は私にはそれよりもずっと心に残っていて憧れる情景があります。それは、史緒と萌が共鳴するようにデュエットするシーンです。
史緒と萌のデュエットに想いを馳せて
冒頭で話した通り、何かも真反対な上に互いを理解するどころか、暴力的なまでに衝突する史緒と萌ですが、なぜか一緒に歌うとこれまでに感じたことのない心地よさや、オペラ歌手として自分に足りないものが満たされていく感覚を覚える……。つまり、皮肉にも共に“歌う”ことで互いを補完しあい完璧な歌(存在)になれるのです。その姿は、若き2人の女性が一所懸命に歌っているなんてものではなく、なんだか美しき一つの怪物の誕生に立ち会ったような凄みを感じます。
生きていくうえで一体どんなプライドの鎧を纏うべきなんだろうか? きっと、史緒と萌どちらか一方だけではなく、2人がデュエットした時のような姿……あの凄まじいエネルギーを放つ、美しい怪物のような史緒と萌を思い出しては、人生をかけて証明しようとした2人のプライドの鎧を調合して纏うことが必要なのではないかと思うのです。例えば、自分に負けそうな時は萌のような激しい情念で自分を鼓舞して、もしもそのパワーに呑まれそうになったら、今度は史緒が辿り着いた境地を思い出すようにして……。
きっと私はこれからも折に触れて、『プライド』で今の自分の鎧を確かめることでしょう。それと同時に、史緒と萌のデュエットに想いを馳せては、鎧の兜をキュッと締め直すのです。
文/ちゃんめい
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